日本人になるメリットを感じない人

 何度か書きましたが「泣ける映画」というものが嫌いです。
昭和育ちと言うこともあり他人様の前で、男は涙を見せぬものと
考えるからです。

えっと、面倒なのですが念のためフォローしておきますが、

「ならば女はいいのか、いや男が泣いたって・・・」

などという議論を提起するものではなく、あくまで私の生き方と
言うほどのものではなく「性癖」とさらっと流していただければ
幸いです。

すでにお気づきの方も多いとお思いますが、最近こうしたフォロー
が多いのは「イヤミ」です。

抑えることができずに落涙することまで否定しませんし、そこまで
感情をコントロールすることは未熟な私にはできませんが、

「泣かせちゃる」

という映画制作者の姿勢と、同時に各種評論や感想で

「感動=涙の降雨量」

という安直な方程式が形作られていたことも苛つきの理由です。

先日、とあるメディアの方ととある地方議員との歓談席で
こういう話題が出ました。

「障害者の悪口は言えない」

例えば甘やかされて育ち、議会の仕事もろくにせず、選挙以外の
仕事はまったくしない議員はさすがに嫌われ、政党の協力も得られ
なくなるものですが、この彼が車椅子に乗っているだけで票を
稼げる事実があります。これを俗に

「障害者票」

と呼びます。この立候補者の実態を知るものは投票しなくても
同じ境遇、または家族にいれば

「あの人なら」

となる気持ちを否定できません。この議員が「障害者のために」
と口にしつつ、彼の地元の公園がバリアフリーどころか

「和式便所」

であることは、他の地域の方には分からないので。
事実だとしても「障害者」を報道でも選挙戦でも攻撃すると
感情のままの「反論」や「反撃」が多く、議論すら成立しないので
得るものがなく、つまりは面倒くさいので悪口どころか、事実の
指摘すらできないのが実情です。

悲しい話=涙。それは良い作品。
障害者=助けなければならない。攻撃などもってのほか。

私の実母は一昨年脳梗塞となり片麻痺の障害者です。
助けなければならない気持ちは私も持っていますが、但し
それがすべての免罪符になるという考え方は逆に失礼と
いう立場です。

助けるべきは助けますが、ダメなものはダメと母へも指摘します。
最近、感情論を正論とすることが多くないですか?
平たく言えば

「可哀想だから助けなきゃ」

です。

埼玉県在住のフィリピン人の女子中学生の問題でも感情論で
語る人が少なくありませんでした。国籍上フィリピンの方なので
そう記したのですが、ご両親が不法入国の上、オーバーステイで
国外退去となりましたが、地元の公立学校に通うお嬢さんだけは
特別な配慮から在留が許可された事件です。

現在は接点がないのですが、オーバーステイのフィリピン人と
一緒に仕事をしたことがあり、彼ら彼女らの「家族」への感情は
現代日本人の比ではなく、それを思えばやはり「可哀想」と
呟くのはやぶさかではありません。

しかし、不法入国とオーバーステイという二つのルールを違反し
その上で日本で生まれて、日本に育ったお嬢さんだけは特別な
配慮をしたのですから、これ以上はやりようがありません。

感情論に立つ方はここで「国籍とは」というそもそも論を持ち
出します。

例えばアメリカ。両親が何処の国の人間であってもアメリカの
地にて産まれれば国籍を「取得する権利」を与えるというものです。
有名なものですが20歳の時に自分で選択するので、無条件に付与
されるのは「選択権」です。

そして私はニヤリとしてしまいます。それはこうした感情論に
立つ方は善悪二元論的な単純思考の袋小路に陥っていることに
気がつかないからです。

可哀想、だから助けなければ。日本に生まれ育ったのなら国籍
ぐらい与えても。

よござんす。そうしましょうか。

法理を説くものはこれに対して「不法入国者の増加」などを
あげて牽制しますが、いやいや我が国にはそれ以上の頭痛の
種を内包しているのです。

「近隣諸国の国籍を持ち日本に永住している人」

はい、二世、三世と呼ばれる人たちです。

ある日、高校時代の友人と呑む機会があり丁度、選挙期間中で

「どこにいれる?」

と訊ねると

「あ、俺、選挙権ないから」

そう在日朝鮮人の友人でルーツは知っていましたが、友人で
あることを棄損するものではありません・・・と、書くこと自体が
イヤです。

ただ、この点は今でも私のこころに小さな棘として刺さった
ままです。

「帰化してないんだ」と、私。

「うん、メリットないもん」と、彼。

日本に生まれ日本に育ち都立高校を卒業し、しかし日本人
となるメリットがなく国籍は祖国。

さてそれでは「アメリカ式」にしたとします。
20歳になれば選択しなければなりません。祖国か日本か。

そして選択の結果は個人に帰結します。国籍がない不利は
他国人と同様となり、国籍による「区別」は世界共通のお約束
です。

フィリピン人の女子中学生を可哀想の論理で解決しようと
試みると2秒後に破綻する論理が産まれます。同様に

「今回だけは」

というのはバラエティ番組の

「最終問題のポイントは10倍」

と同じく、築き上げた法秩序の破壊へと繋がりますので
論外。今回だけの特別な配慮は女子中学生の特別在留許可で
与えていますので。

この議論は

「外国人参政権」

にも水面に落とした水滴のように波立たせることとなります。
要点を述べれば

「日本に住んでいれば政治に参加する権利を与えよ」

というものです。
私が消去法的にその支持を一番最初に削除する民主党の
鳩山幹事長はこれについて述べた持論がネットで話題となって
います。

以下はiza! からのコピペです。

「定住外国人は税金を納め、地域に根を生やし、
一生懸命頑張っている。その人たちに(地方政治への)
参政権ぐらい当然付与されるべきだと思っている」

「税金を納めている」というのはナンセンスです。
政治音痴というか国家の運営を根本的に理解していないと
断じましょう。

分かり易いのが「外形標準課税」という考え方です。
これは利益が出ていなくてもその会社の規模により課税
するというもので、公的資金投入で計上した赤字により
莫大な利益を相殺し「無税」となっていた銀行に東京都が
かけようとしたことで話題となりましたが、要するに

「道路や公園といったインフラや各種行政サービスは
納税により支えられ、それらを利用するものが負担する」

とするものには定住外国人も当然含まれます。

そして地域に根を生やし・・・というのは人間として
当然のことで、揚げ足とりとして反論するならば、

「近所に迷惑をかけるゴミ屋敷の住民からは選挙権を
剥奪するのか」

となります。
そして認めればこうなります。

「日本人になるメリットを感じない人が日本の政治に参加する」

やはり民主党に政権を取らせてはならないと。アイラブ
チャイナだけでなく国内も大変なことになると警鐘を
やかましいほどにならさなければと。

それでは自民党でいいのか! というといかけに胸を張れない
痛みもありますが国家がなくなるよりましかなぁと。

だって鳩山さんはこうもいいます。

「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」

なるほど、この思想的背景があればアメリカ人にも
フィリピン人にもイラン人にも近隣諸国民にだって
参政権を与えたくなるというものです。

民主党政権が誕生した暁には北海道にはロシア人が、
とりあえず対馬には韓国人が、沖縄諸島には中国人が、
新潟県や福井県には将軍様の民衆が、そして・・・

「東京、静岡、愛知県にはアメリカ人」

が大挙してやってきて自国に有利な条例を作って
いくことでしょうね。アメリカ人は金とクルマのために。

沖縄は米中で競うかもしれません。軍事戦略上。
すると沖縄議会は英語と中国語が飛び交いまさしく日本で
はない光景となります。

「泣かせる映画」のオチは不治の病か不慮の事故。
その先にあるのは「美しすぎる死」です。
配役とあらすじだけでオチがわかります。
平たく言えば「単純すぎる」のです。

街角レベルの感情論で国政を司るのは単純すぎます。

そして単純すぎる主張をはずかしげもなく口にする政治屋の
質は私たち国民の質です。障害者でも女子中学生でも
納税者であっても「ダメなものはダメ」という線引きが
曖昧になっています。

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