イヌより人間様が上

差別や虐待はいけないという大前提は理解していますし、その通り
だとは思っております。何を持って差別か、虐待かで結論が大きく
異なるのですが。

地震を知った「舎人公園」では禁止されている

「放犬(イヌを放し飼いにする)」

を見します。
大迷惑です。動物愛護と「癒し&おイヌ様ブーム」により、犬猫
の悪口をいうことはタブー視されていますが、我が社の専務。いや
ここはあえて「愛妻」と表記しますが、彼女は

「イヌ恐怖症」

幼い頃に手を噛まれたことによります。まぁ大袈裟に表記するなら

「イヌPTSD」

です。ショッピングモールに出店するペットコーナーには近づき
ません。しかし、公園は行きます。首輪で捕まえていれば、その
紐の長さを目算してその倍以上の距離だけ離れればよいのですが、
「放犬」されていると彼女は足がすくみ動けなくなります。

人がイヌに道を譲ります。私の愛妻が。

そして往々にして放犬をする飼い主は、与えている恐怖を知りま
せん。イヌ好きですから。

かくいう私も物心ついた頃から18才までイヌを飼っている環境で
育ちましたので以前は好きでした。多分、今も「イヌ」だけなら好き
です。

しかし、愛妻とともに街をでると、周囲の迷惑を顧みない、また
禁止されている放犬を悪いと思わない飼い主の多さにイヌまで嫌い
になりそうなのです。坊主から袈裟を憎むように。

「イヌには罪がない」

という声が聞こえてきます。はい、その論理はナイフにもアニメ
にも適用されますし、そもそもイヌに人間の決めた罪はちょっと
理解しがたいことでしょう。

ただし、これだけは言えます。
私の中の価値観では「イヌより人間様が上」。

非難を浴びそうですがこれは私の価値観。そして虐待を奨励し
ているわけではなく「優先順位」、または「序列」の話しです。

こういう意見にも首をかしげます。

「人間の都合でペットにしたのだから」

一見、筋が通っているようですが、それは「飼い主」やそれで
商売をしている「イヌ屋」の中で遵守すべきことであり、

「イヌを飼っていない他人には関係のない話」

です。重ねていうなら

「自分が好きなものは誰もが好き・・・であるわけがない」

ということです。
私は多分、まだイヌが好きです。舎人公園に行くたびに
好きの気持ちが少なくなっていきます。

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