受験を最上位に置く詭弁

乗りかかった船ということで、本日予定していた「本業」の原稿
を明日に廻してお届けします。

後ろが使えておりますのでいきなり本題へ。

杉並区立和田中学校の地域運営本部が始める「校舎」を利用した
進学塾についてです。

まず、訂正を。
1月9日に取り上げた際に

「最大で月に42000円」

としましたが、これは24000円の誤りです。
ごめんなさい、訂正します。

但し、生活保護世帯がだから払えるかとは別問題ですし、和田
中学校学区内の住民ではなく、もしかしたら生活保護とは無関係の
富裕層がお住まいになれるということでしたら、この懸念自体が
ナンセンスかも知れません。その際は、「下層民」と左利きの
メディアにバッシングされた足立区民故とお笑いくださいませ。

繰り返しになりますが、私は自主的な取り組みや新しいチャレン
ジを否定するものではなく、規制を廃して競争に任せることで
健全な淘汰が行われると信じているものです。

また、金持ちが金を使うことを悪だとは思いませんし、貧乏人の
ひがみのいやらしさもしっていますし、それ以上にお金はなくても
心豊かに暮らしている人も知っています。

だから、部外者から見ると「調教」と「値踏み」という児童の
人権と人種差別のような有名私立小学校への「お受験」や、今や
小学校3年生から始まるという中学受験に首をかしげつつも、
それぞれの家庭での取り組みを善悪では語りません。

私自身の価値観は述べますがね。

前回は東京都教育委員会が「ストップ」をかけたことへの評価
として綴りましたが、石原慎太郎さんのゴーサインがでていたの
で「開始」は織り込み済みでした。

余談ですがこれも面白いもので「役人気質」が表れ、声の大きな
権力者に吐いた唾もゴクゴクと飲め、振り上げた拳をそのまま開き
後頭部の上にかざしてピンクレディーの「UFO」の踊りを始める
ぐらい節操なく

「御意」

となるのも・・・ひとつの才能なのでしょうね。

私が期待していたのは「公教育とはなんぞや」という議論の深ま
りです。そして本業を棚上げにしても書いたのは、核心に迫る報道
がない怒りからです。

和田中学校の藤原校長の主張はこうです。

「学力上位を引き上げ、下位を押し上げることで中位も上がる」

下位対策としても「土曜日寺子屋」としてフォローしているので
優秀な子供のえこひいきではなく、逆に上位生徒をそれ以上に伸ば
す方法がなく「ふきこぼれ」という状態の改善につながるという
ものです。

お説ごもっとも。と、メディアは「賛否ある」といいつつも、
好意的に報じています。

でもね。これが一教育関係者としてならば良いかも知れませんが、
「公教育の担い手」の立場の人としては詭弁ですし危険です。

今回の塾を運営するサピックスは進学塾。

上位生徒の引き上げとは受験対策ということになり、すなわち
受験こそが中学学習での最上位という位置付けの告白だからです。

形式上というかテクニックというかこれを「地域本部」が強弁
するならまだしも、公立学校の校長が口にし、それを放置してい
ることが今後に与える影響を誰も口にしません。

確かに「現実」からすれば、学校の授業だけでは私立学校受験は
「難しい」といい、それは私たちの頃も同じでした。

文部省(当時)の定める中学校のカリキュラムにない問題も多く
私学側は

「応用力を試す」

と言い逃れていました。

そもそも論で「公教育とは何か」だけではなく、この受験シーズン
の真っ最中というもっとも「旬」な季節にも拘わらず、

「受験制度と進学塾のありよう」

について口を閉ざすのは、それが有力なスポンサーである、それも
この「季節」の大口スポンサーであることと関係はないのでしょうか。

ちなみに学校は「許認可事業」で、高校までは各都道府県自治体が
認可します。そして大なり小なりの「私学助成」という税金が投入
されています。

石原慎太郎さん的な強権を発動するなら、

「文科省の中学校カリキュラムから逸脱する試験問題を出した
私学の認可を取り消し」

とすることだって一案なのではないかという議論すら起こりません。

受験に直面している子供達(と、いうか保護者)にとっては

「理想論より受験テク」

と思うかも知れませんし、その気持ちだけは非難することが
できません。

しかし、「現状追認」を公の立場が公開された議論もないまま
進む先にあるのは、公立学校の崩壊だと危惧するのです。

文科省は「地域運営本部」を設置して、地域や保護者を巻き込んだ
学校運営を目指しています。これは悪くない話です。

だからこそ「教育の頂点」についての議論が今回喚起されるこ
とを期待していたのですが。

「私立中学進学率ナンバーワン。●●市立××小学校へようこそ」

学校選択制と地域本部のリクエストによる生徒の「お客様化」の
先にあるのは公教育の崩壊でしょう。

裏を返せば「学校で教える内容で受験は充分」ということならば
和田中学校の取り組みはなかったのでしょうから。

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