英語早期教育義務化が50年後の日本の隆盛の礎

我が町足立区の公立小学校は今週末が卒業式です。
徒歩2分の小学校から「来賓」として呼ばれていますが、今年度
は先生へのレクチャーだけで、子供達のためには何もできなかった
ので、どうしたものかと考えております。
年度末で忙しいというのもありますが。

義務教育の頃、一番うれしかったのが春休みという方は多いので
はないでしょうか。

「宿題の長期休暇」

でしたからね。

ただ、昭和の頃は親も忙しく、子供が休みだからといってどこか
に連れていってくれることはあまりありませんでした。

テレビゲームもない時代、友達と遊ぶぐらいしか時間を潰すすべ
がなかったのですが、東京に引っ越してしばらく、友達も数人しか
おらず、また、幼稚園以来の「幼なじみ」と、新参者の私との
間には見えない壁があり、遊んでいてもいつもどこかで遠慮してい
る自分がいました。

子供って残酷ですから、ナチュラルなシカトなんて当たり前です。

そこで「迎合」できる能力をもっていれば、見えない壁も融解した
のかもしれませんが、能力が欠落した「小僧ミヤワキ」は、ひとりで
いることを選択しました。

そして見つけた「居場所」が「図書館」です。
小僧にとってそこは「知識の泉」で、端から読みふけったものです。

その後、大人となり

「フリーターという人生の落伍者(笑)」

から社会復帰できたのは小僧時代に身につけた「読書力」の賜です。

「人生の落伍者」というと敏感に反応される方もいるでしょうから、
少し脱線します。

外人やハーフなどは昨今、「差別用語」とやり玉に挙げる人も
います。あの「斜め座りという無礼」を晒して人気者となっている
フジテレビ女性アナウンサー

「滝川クリステル」

さんもハーフといわれるのはイヤだといいます。
本人がイヤだというものを押しつける気持はありませんが、一方

「差別用語(?)対象者本人がいう分にはOK」

というまか不思議もまかり通っています。

でも、

「他人が不快に感じる言葉は差別用語」

という論調で言葉狩りをしているわけですから

「被差別者(?)」

の発言であっても同等に取り締まるのが筋です。

ここに「言葉狩り」の程度の低さを見ることができます。
倣って私も「経験者」としてフリーターを評してみましたが
非難されるのでしょうか。少なくとも私はそう感じていました。

当時はフリーターが否定の意味から、生き方の一つとして
肯定されつつありましたが、今振り返れば

「非正規雇用社員」

という会社にとって使いやすいパーツを量産するための
策謀だったのではと。

そして「落伍者」は永遠の敗者ではありません。

落伍=ドロップアウトすることにより、隊列(=ストリーム)
にいたときには見えなかったものが見え、より大きな視点を
得ることもできる貴重な経験を積めることもあると添えておき
ます。

言葉狩りと「いわゆる慰安婦問題」が相似形に見えるのは
気のせいでしょうか。どちらも

「ちゃんとした反論」

をしていないが為に押し込まれて常識とすり替えられているよう
に映ります。

幼なじみの壁と同時に私が感じていた壁が

「言葉の壁」

です。
大阪で生を受け、四万十川のほとりで育った私の発する言葉は
東京の子供達には異質でした。
まだマンザイブームの来る前ですから、東北弁と関西イントネー
ションの違いなど分からずに

「風大左右衛門(いなかっぺ大将:青森出身)」

と同じ扱いとなり、言葉が理由で虐められました。
(・・・もっともきっちりやり返し、報復戦となり最後は学年を
巻き込んだ・・・騒動となった末、先生という公権力の介入に
より解決しました)

図書館は「言葉の壁」がなかったことも好きになった理由かも
しれません。

さて、本日は「英語の早期教育」について。

以前にも触れたように

「勘違いしやすいローマ字教育をするなら最初から英語を」

と考えています。
そして早期教育推進派の「グローバル」や、先進国での英語力
の議論を聞くに連れ、まぁやらせたほうがよいのかなという気持
になりつつあります。

そこで提案です。

「詰め込め。ひたすらに言語教育は詰め込め。
ゆとりを捨てて『言語教育』をしろ」

英語教育も結構です。どんどんおやりなさい。
と、同時に

「日本語」

はその倍以上のカリキュラムを用意しなさいというものです。
言語は詰め込み以外で習得することはできません。

「言葉」

とは互いの共通認識の上にのみ成り立つものでから、語彙に
用法などなどを暗記するところから始まります。

積み込み教育は子供に良くないという主張もありますし、
早期の英語教育は混乱を招くといわれますが、子供の脳はもっと
柔軟です。

大阪弁と土佐弁と標準語のマルチリンガルだった私は
すべてを同列で聞きこなしていました。

東京で「床屋」といわれたときには、理解不能でしたが、
それが「散髪屋(理髪店)」だと置き換えれば全ては通じます。

子供は大人以上の柔軟性と耐久性と吸収力をもっています。
「英語脳」なるものには怪しさを感じますが。

少し脱線しますが「右脳」「左脳」というものも、相当に怪しく
いまだにこういうことを平然という人は、どんなカリスマコンサ
ルタントでも疑ってかかる必要があります。
人間の知っていることはまだまだ極わずかで、己の脳味噌に
しても完全解明には至っていません。

ただ、体力や社会性に劣る子供を、その尺度で測ることにより

「学習能力も低いだろう」

というのは戦後日本の社会的コンセンサスが国力の低下を
招いているのではないでしょうか。

子供はスゴイのです。かつての自分がそうだったように。

それでは「英語早期教育反対派」の主張に目をやると

「学ぶ気になればいつでも学べる」
「それよりやることがある」
「米追随でよいのか」

などなど。いわゆる「保守」の方に多く見られる傾向です。

論に「日本喪失の危機感」見られるのが気になります。
英語ばかり達者になっても・・・だから、英語の倍の
日本語のカリキュラムをセットで押し込めば良いのではない
でしょうか。

算数は基礎となる「四則演算」だけにしても良いでしょう。

結局、分数や虫食い残は「数学」という「論理展開」による
ところが大きく、十分な「論理思考」をもっていない状態で
丸暗記させてもその後の人生で全く役に立たないのですから。

その分を、徹底的に日本語の授業にあてるのです。
英語を話せるようになっても

「会話に中身がなければ相手にされない」

のです。
海外にでて現地の人が日本人を見つけて何を聞きたいでしょうか?

ハリウッド映画の評価でしょうか?
グラミー賞の選考理由でしょうか?
英国王室の王子様のイラク派兵でしょうか?

いえいえ、日本についてです。

沖縄の読谷村の残波岬にある「残波岬ロイヤルホテル」という
リゾートホテルがあります。

北海道からの団体が泊まりました。

旅先での朝食は楽しみなものです。

朝、食卓に並んだのは

「鮭の切り身」

・・・沖縄までやってきて地元、北海道でもっと美味しいものが
食べられるのに。

沖縄で世話になったおっちゃんが東京に遊びに来たときの話し。
我が社の専務が

「おっちゃん。沖縄の料理屋さんがあるけど、いく?」

おっちゃんと私は顔を見合わせて笑ってしまいました。

「それはね。
俺達が沖縄に行って江戸前のそばをだされるようなんだよ」

異邦人に聞きたいことは異国のことです。
旅先では旅先の文化風土、食事を楽しみたいように。
そして海外に出た日本人から、外国人が聞きたいのは日本のこと
なのです。

言葉というは技術です。技術は高い方が便利です。
しかし、技術は目的のために存在します。

コミニュケーションや、こちらの考えを伝えるために言葉あるの
です。

ホームページ屋さんなどにも共通するものがあり、

「最新ホームページ技術」

にばかりこだわっているネットの住民は掃いて捨てるほどいます。
しかし、技術の品評会で喜ぶのは専門家や技術者で、利用者は置い
てけぼりです。

私の商売がぼちぼち順調にやらせていただいているのは利用者の
コトばかりを見てきたことによります。

最新の技術を導入してプロが唸る設計をしたとしても、そんな
ものは一般の利用者には全く関係ないのです。

ま、こういう視点に立脚している「同業者」は極端に少ないので
執筆活動を続けながら暮らしていけるんでありがたいのですが。

ネイティブな発音で英語を話せるようになります。
美しい筆跡でスペルを綴ります。

さてその中身はなんでしょう。

「美しい国。日本」

とはなんでしょうか。

「美しいという文字は羊が大きいというところから来ています」

といえる位の「語彙」や「教養」もセット販売するのであれば

「英語早期教育義務化が50年後の日本の隆盛の礎」

となるのではないかと。
これも差別用語にいれようという動きがありますが、英語だけが
話せる教育は

「片手落ち」

以外の何者でもありません。

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