中毒にならない程度の処方

非常に悩ましい問題です。 と、使うことが増えていますが、
これは「セクシャル」なことがらで悶々とするような

「悩み」

という意味を持つことから、

「政府は悩ましい対応を迫られる」

となるとまるで、ゴア一瞬だけ大統領を除いた前アメリカ大統領の

「モニカ・クリントン」

や、一瞬だけ総理大臣だった

「ピンク宇野」

に対するものなのですが、

「政府は難しい対応を迫られる」

というものまで悩ましくなっております。
言葉は生き物ですから極端にあげつらうつもりはありませんが、
この「悩ましい」と「気づき」は曖昧な事柄をまとめて柔らかく
伝える非常に

「戦後日本人らしいメンタリティから重宝されている言葉」

に見えて不愉快です。
頭の痛い、難しい舵取り、薄氷を踏む思いなどなど。

状況により多彩な表現があるのにもったいないなぁと。

「気づき」だって閃き、示唆、啓示、道標といったものに、霊感と
やる気をミックスして使われております。

まるで「気づきちゃんぷるー」です。

私が「イラ」とするのは、

「思想信条の自由を盾に取り政治活動をする連中」

のいつも都合の良い解釈と重なるかも知れません。

「君が代裁判」をとも考えましたが、せんぞ書いてきましたので、

「イヤなら公務員を辞めろ」

としかコメントのしようがありませんので取り上げません。

曖昧模糊とするのは日本人の生活の知恵という見方もあります。

小さなコミュニティの「集落文化」では決定的な対立をさけて
曖昧にしておくほうが経済合理性があったというものです。

とかく島国文化といいますが「島」と呼ぶにちょっと日本は
大きいので「集落文化」としました。

相反するかのように戦後の左翼思想の好きな対立軸の演出も
根付いており、その最たるものが

「ステレオタイプのお上批判」

は庶民の溜飲を下げるようです。
勧善懲悪との融合ですが、お上は常に悪でないことは歌舞伎
でも古典落語でも明かです。

しかし、これは戦後以降の敗戦史観と融合されたもので
ましてや、・・・・仮に形骸化しつつあるとはいえ

「民主国家日本」

で、お上を批判するということは、

「風が吹けば桶屋が儲かる」

的に、庶民自らを貶めていることになるのです。
だって、役人を野放しにさせている政治屋さんを選んでいる
のは私達ですから。

最近、我が町足立区の役所の人と接する機会が多いのですが

「役人も色々」

で、ステレオタイプな仕事をしない役人もいれば、職責を
全うしている「ちゃんとした人」も結構いるのです。

さて、「タミフル」。

危険があぶない薬のようだと報じられています。

ふぐ・松茸・カニ、フランス料理、スッポン

全てをあげれば字数が足りなくなりますが、これは私の
知人の病院勤務の薬剤師が製薬会社の営業から接待を受け
て食べたものです。

一応、「説明会」と名が付いた接待が毎月のようにあった
といいます。

認可を受けた薬は大量生産します。
この在庫がはけるまで、かかった原価をペイして利益がで
るまではなんとしても売りたいと思うのが商売人です。

認可をだした側の責任も問われます。
役所は責任を認めづらい組織構造となっています。
認可を与えた直接の責任者がそのポストに現在いれば
まだしも、「昇進」して別の部署にいれば、現在の責任者
は「後輩」となります。

上意下達のヒエラルキーが息づく世界で「後輩」が先輩の
過ちを正すということは、自ら昇進の扉を閉ざすようなもの
です。

吉野家は究極の一本足打法と持ち上げられていました。

「牛丼のみ」

という商品戦略で外食業界の雄となりました。

ところがBSEリスクが発生したとたん、迅速に

「発売自粛」

を決定しました。
鉄道会社が切符を売らないというようなものです。

この危機管理意識の高さに敬服しました。

そこで「タミフル」。

製薬会社や役人の不透明な実態は・・・あります。
そして疑わしいものを迅速にストップするのも一つの
危機管理として重要です。

しかし、

「タミフルで救われた人はいないのか」

という疑問が残ります。

この点は大メディアはスポンサーという大人の事情から
口ごもるのですが、

「どんな薬も毒となる」

と薬剤師の知人はいいます。

「薬→中毒→致死量」

とカンタンにまとめると摂取量により変化するというの
です。摂取量も体重や体質、年齢により異なり極論すると

「中毒にならない程度の処方」

が薬としての原則だそうです。
※薬によりことなりますし、私は世間話をしている
だけです。薬の服用は自己責任で・・・医師の処方箋
を守ってくださいね♪

また

「薬で病気は治らない」

という人もいます。
あくまで対処療法で、症状を緩和させて自己回復力の阻害
要因を減らしているだけだと。

すると全ての薬はいらないということになります。

製薬会社の仕事がなくなってしまいますし、バファリンの
原料である「優しさ」の最終処分に困ってしまいます。

インフルエンザの治療か、副作用を怖れるか。
悩ましい問題です。

しかし、一つだけ確実に言えることは

「認可薬品は追跡調査を義務づけろ」

ということ。

そして、これは私達庶民の仕事。

もうすぐ、政治屋さんを選ぶ

「統一地方選」

が始まりますから。
役所に「気づき」を与えるのは、私達庶民の一票の積み上げ
しかありません。

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