Web2.0の憂鬱

 拙著において「Web2.0」という単語はBuzzword(バスワード)
でしかなく、個別の現象や技術の素晴らしさとは無縁のお祭り
騒ぎと断じていますが、ITオプティミスト(楽観主義者)が
持ち上げる

「総表現化社会」

は本当に良い社会なのでしょうか。

総表現化社会とは、誰でもいつでも「表現」ができるということ
で、街角のたばこ屋の佐々木さんでも、小学校2年生の花子ちゃん
でも「表現」できる「ブログ」がその代表例です。

誰もが表現することは素晴らしいことでしょうか。

お仕事でとあるメルマガの監修をした時の話です。

執筆者はやる気はあるのですが、文章を書いた経験がほとんど
なく、さらには読書もあまりしていません。

そして、やたらと「語り」たがります。

本人の「書く気」は大切にしてあげたいと思うのですが、私が
お手伝いしているものは「販売用」のメルマガです。

有り体に言えば

「ダイレクトメールで語り」

です。
商品について熱く「語る」という手法がありますが、この方の
場合、そうではなく「文章風」のものを綴りたがるのです。

「身の丈」というものがあり、ましてや「読書経験」という引き
出しも少ないのに「文章」を作ろうとしても無理がでます。

しかし、「執筆」という作業が彼にとっては

「創作活動」

のように感じるようで、心の中では

「大作家」

ですから最悪です。
結局、このケースは私がゴーストライターとなりました。
使えないんですもの。そのままじゃ。

まるで「お説教」でしたから。

個人の日記は自分だけが見るためのものですから、どんな
文章でもかまいません。個人のブログもその意味では同じです。

「ぁみぃわぁ」

なんて奇怪な言葉で綴ったってケチをつけられるものではあ
りません。

ところが「公(おおやけ)ブログ」はどうでしょう。

こんな言葉はありませんが、個人のつれづれのつぶやきの
ブログを「私(ワタクシ)ブログ」として、その対極にある
読んで貰うことを前提としたブログのことです。

インターネット上に見て貰うためにおいたものだから

「おおやけ」

ということです。自宅で全裸でパンティーをかぶっていても
だれに責められるものではありません。パートナーや家族に
なんといわれるかは別ですが、これを自宅の外に出てやったら
追いかけられ、逮捕されます。

自分の意見を「公開」して、広く知らしめるためにコメント
を書き込み、トラックバックで相手のブログにリンクを貼らせ
ます。

これによりどんな無名の民でも、有名人のブログに

「意見表明」

できますし、自分の意見を「公開」し表現できます。

もちろん反対意見もふくめて「自由な議論」がなされることは
素晴らしいことで、反対の意見がぶつかることにより、発展し
進歩する面があります。

しかし、その為には「相手の意見をちゃんと聞く」という
行為があって初めて成立するものです。

ところが「ブログの炎上」を例に挙げるまでもなく、ブログ
社会ではあて逃げならぬ

「言い逃げ」

が横行しています。
トラックバックも同様です。

また、「相手の意見をちゃんと聞く」を逆手にとって

「俺の意見を無視した」

という逆恨みまで発生しています。
ただ、私も執筆者の立場に立つとわかるのですが、取り上げる
までもない意見のすべてに答えることなどできないのです。

と、普通に考えればわかることが、ブログ社会では時として
通用しなくなります。

上村愛子さんが亀田選手の試合で感動したって良いのです。
それが上村さんの人となりなのですから。

しかし、瞬く間に「炎上」して、上村さんの謝罪コメントが
掲載されました。

炎上に参加した人の多くにとって、

「亀田批判以外存在しない世界」

こそがすべてだったのでしょうか。

中学校の物理の教師が電子と原子のモデル説明をしました。

原子を中心に電子がまわりを飛んでいるもので、

「太陽の周りを惑星のようなイメージですか?」

と質問をすると電光石火

「違う! 全く違う! 全然違う」

と完全否定されたことがあります。
大きな球体の周りを小さな粒が円軌道でまわっているイラストを
みて質問したのですが、言下に否定です。

私だって馬鹿じゃありません。
違うものだと言うことはわかりますが、目に見えない極小の
世界をイメージするのにした質問ですが、この教師は完全否定
でそのイラストをそのまま暗記しろと強要します。

私の物理はこのとき終わりました。
「盲目的暗記」は私の「科学する心」に反するので。

ブログにはこういう教師のような人たちが溢れています。

暗記しろと言うのではありませんが、自分の世界観しか認め
ない人です。

以前は妄想や空想の世界で生きていた人が公道に飛び出して
きています。

また、

「木をみて森を見ず」

の人も散見します。
自分の意見が正しいと信じ込んでいるが故に、全体像が見えて
いないためなのですが、わずかな言い間違えや、記憶違いをあげ
つらい、鬼の首を取ったように喧伝する人です。

ブログによる総表現化社会になったが為に発言できてしまう
ようになった人たちです。

リアル社会では

「相手にされない人」

です。話の大筋よりも枝葉末節ばかり、相手の意見を聞か
ずに自分の主張ばかりを押し通す。

会議でも飲み会でもこんな人がいたらどう思います?
相手にしますか?

今、不定期週刊連載をしている

「Web担当者フォーラム」

の第壱号で

「戸田奈津子さん」

の話を盛り込みました。

子細を綴ろうかと思いましたが欠席裁判になってもなんで
すので、詳しくはフォーラムをご覧ください。

私が言わんとしていることがここで起こりました。


http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2006/12/18/588

また、拙著を取り上げた書評ブログのなかには枝葉末節を
あげつらって、思わず「愛」を感じるほどのものもありまし
たが、その一つで私が梅田望夫さんの

「日本の若者をシアトルに1万人移住させる計画」

を、

「インドの成功例を見るなら、いまさらアメリカを目指すの
ではなく、これからは市場規模が大きく、同じ漢字文化圏
の中国を見据えて国内に居を構えろ」

と指摘したところを取り上げて、

「日本の漢字と中国の漢字は違う」

として「こんなこともわからないのか」と言われてしまい
ました。

ちなみに中国最大手の検索エンジン「百度(バイド)」が
日本上陸し、その社長が日経新聞のインタビューで

「我々は漢字検索に自身がある」

と答えていました。これはYahoo!やgoogleのような
英語文化圏で生まれた検索エンジンと、漢字文化圏の違いを
表しています。

それに字体の違いは「変換表」を用意して、プログラム
処理すればたいした問題ではありません。

また、インドの成功例は

「シリコンバレーで修行したインド人が自国に帰って
IT産業勃興に心血を注いだ」

ことが理由で、ならば日本人をアメリカに出荷するような
計画はあまりにも

「アメリカかぶれじゃない?」

という指摘だったのです。

そして・・・これはすべてということではなくですが、

「時間がなければブログはかけない」

のです。私ブログと違い、公ブログの場合、ネタを考え
る時間(と、いうより探す時間)に、執筆する時間(と、
いうより元ネタにひとこと)、そしてトラックバック先を
探す時間と大変です。

RSSなどを使っていても、リアル社会で忙しい人には
難しいのです。

いきおいリアル社会で、それほど忙しくない人たちの
比率は高くなります。

枝葉末節を指摘されても嫌なので、あえてフォローして
おきますが

「表現するのが仕事の人のブログ」

は全く別ですよ。それは営業活動であったり、自主練習
だったりですから、時間を作ってでも書くのです。

年を重ねるごとに、人には「分」というのがあることが
深く理解できるようになりました。

そして人前に出るには分相応のものが必要だと。
生まれ持っていなければ、持ち合わせるような努力も
またあると。

洋泉社の依田さんに声をかけていただき、2冊の本を
上梓しました。そのことにより、宝島やインプレスに
寄稿し、今連載を一本持っています。

舞台裏を見るとちゃんとハードルをクリアしないと

「商業ベース」

にはのらないのです。

しかし、「Web2.0」というお祭り騒ぎで

「誰でも表現社会」

がやってきました。
ブログには可能性があると、3年前に始めたときには
思いましたが、その可能性が憂鬱なため息をつき始めて
いるような気がしてなりません。

と、いけない、いけない。
ため息をついただけ幸せは逃げていくんだった。

「低位順応性」はネット社会で顕著に表れています。

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