多様な言論を認めない松尾貴志とモーニングバード

 全体主義をウィキペディアで引けば

“個人の全ては全体に従属すべきとする思想または政治体制の1つである”

 とあります。簡単に言えば北朝鮮のような社会を指しますが、いま、日本もそうなりつつあります。理由は「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」でもなければ、脱原発でもありません。もちろん、うわべだけ謝罪の言葉を並べ、本音ベースでは反省していない朝日新聞へのブーイングでもありません。

 それは「多様な言論の封殺」が日常茶飯事となっているからです。テレビに至っては全局といって良いでしょう。そのなかでも際立っているのが、わずかな隙を見つけると自民党への攻撃と、反日・侮日活動を始めるテレビ朝日「モーニングバード」。

 親が親ならといってしまえばそれまでですが、今朝(2014年9月18日)の放送でトップニュースとして扱ったのが

“「結婚したら」都議会また失言…男女参画のトップが”

 とラテ欄に記した、野島善司都議(自民党)の

「結婚したらどうだ、と平場では僕だって言う」

 との発言をやり玉にあげるもの。議員は「平場」とは「プライベート」とし、結婚については一貫して「個人的な信条」と繰り返します。

 結局、公的立場から誤解を与えたことへの謝罪はしましたが、本稿執筆時点で発言は訂正していません。

 そもそもどうして発言を撤回する必要があるのか? という疑問を呈するものは、私の確認したテレビ報道では皆無でした。

 結婚するもしないも本人の自由であることはもちろんです。それではプライベートな場で、プライベートに関する質問をすることはタブーなのでしょうか。野島善司議員は65才で、仮に「適齢期」の甥や姪がいて、この質問をしてもセクハラと呼ぶのでしょうか。

 夫婦間でもセクハラは成り立ちます。ハラスメントとは嫌がらせです。例えばその甥や姪に、結婚をしないことを理由とした、脅迫や強要を強いたのならセクハラと呼ばれても仕方がありませんが、親戚の集う席での発言で「セクハラ」となるのでしょうか。

 他人がいるプライベートもあるでしょう。この時も同じです。世間話のなかで「結婚したらどうだ?」と語りかけることも「セクハラ」でしょうか。「いいぞ、結婚は。人生が豊かになる」と続けても「セクハラ」と呼ぶのなら、私はあちらこちらで「セクハラ」をしていると告白という「のろけ」をカミングアウトします。

 塩村文夏都議への「セクハラヤジ」について話し合う、超党派の男女共同参画社会推進議員連盟の会長に野島都議が就任したことについて資質を問う主張もありますが、「結婚したらどうだ?」という信条の持ち主を追放するというのであれば、それこそ特定のバイアスがかかっているということです。「議論」ではなく「アリバイ作り」です。

 これは塩村文夏のときにも指摘しましたが、あいての立場が鮮明になったのなら、攻撃は容易で、理論を持って折伏するのが「議会人」です。異なる意見をあらかじめ排除していった先に待つのは「全体主義」。かつては「ナチス」であり、いまなら「北朝鮮」です。

 モーニングバードがこれをどう報じたか。支離滅裂です。野島議員の地元の東久留米市の有権者に問うと、一人目はパターン通りの批判でしたが、二人目は「まえの騒動の時も騒ぎすぎと思ったけど、そう思っている人がいてもいいんじゃない(聞きかじりによる要約)」とご婦人。

 しばらくして次は「街の声」として、新宿を歩く女性にインタビューすると今度は、すべて憤りや怒りです。地元で「期待通りの声」が拾えなかったのではないかと邪推します。だって、無意味でしょ? 意味があるとするなら、恣意的な演出のためです。

 そしてスタジオがまた非道い。司会者のひとり、赤江珠緒氏は発言を「セクハラヤジ
」と断定します。斜め下を見ながらだったので「原稿」を読んだのかも知れませんが、中身はともかく見解を「ヤジ」とは、野島議員の人格を否定する発言であり、事実誤認、すなわち誤報です。

 つぎに松尾貴志氏。

 発言を「醜悪」とし、「途方にくれる」と嘆きます。そのまま途方にくれ、口を閉ざせばと期待はしますが、そう要求をしない理由は後ほど。そして言うに事欠いて、結婚を勧めた行為を

「多様性を認めない(要旨)」

 と糾弾し、おフランスが出生率を回復した理由を、結婚制度の改革(解体)にあると持ち上げ、発言に戻り「気持ち悪い」ととどめを刺します。

 家族制度といった伝統や、そこに根付いた文化を無視した主張に、リベラル&左翼の色が明らかですが、やはり左翼らしいのは、対立するものを躊躇なく侮蔑するところだけではありません。

「多様性を認めない」

 と、「結婚を推奨する立場の発言」を封殺していることです。左翼は己の思想信条を絶対とし、他人を排除し攻撃します。

 思想の左右もまた「多様性」であり、私が松尾貴志に黙れといわない理由ですが、他人の見解を「醜悪」と切り捨て、舌の根も乾かぬうちに「多様性」を掲げる様を、私の価値観では「醜悪」と呼びます。

 さらに反日活動家 玉川徹(テレビ朝日社員)氏。

「議長は議論をリードすることもあり、女性は家で家事をしろという古い価値観につながる(要旨)」

 とは珍妙な。議長は議論を統括するいわば司会進行で、議論の核にならないはず。可能な限り中立を守り、国会においてはむしろ野党に配慮することで、活発な議論を促すことが「名誉職」とされる理由でもあります。

 確かに親会社の朝日新聞では、週刊誌情報によれば、一連の誤報への対応は社長の独断だったとされ、「議長=社長」のご機嫌ひとつで、社論も主張も歴史的事実も塗り替えられるかも知れませんが、それは社会常識とはかけ離れていることを玉川徹は知らないのでしょうか。

 そしてこれまた「専業主夫」的な発想を「古い」とするのは良いでしょう。しかし、それを「悪いこと」とするのもまた「多様性」からみれば正反対のアプローチです。

 これは安倍首相に感じるリベラル影に重なるのですが、そもそも「男女共同参画社会」とは、すべての女性が社会進出することと同義ではありません。女性の社会進出において、条件面での不利や不合理を正すことが目的なはずが、全ての女性に「外にでて働け」といっているようなのです。

 専業主夫という選択肢があっても良いですし、少子高齢化による労働力不足を補填するための「女性の社会進出」ならば「女子挺身隊」と同じ発想で、それこそ70年前から日本は進化していないことになります。

 モーニングバードに話を戻します。ことほど左様に、多様性を認めない連中が、多様性を叫んでいるのです。程度の差こそあれ、テレビ報道すべてに通じます。そしてモーニングバードが際立っているのは、司会者のテレビ朝日社員のこの台詞に集約されます。

「個人的発言でも資質が問われる(要旨)」

 モーニングバード的に結婚は悪。という価値観で統一された全体主義を目指しているようです。

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