最高裁受信料合憲判決が追い詰める地上波

最高裁受信料合憲判決が追い詰める地上波


 12月6日に最高裁は受信料を合憲と判決を下しました。

 もの凄くザックリと言えば、

「NHKは偏向報道していて見ないから受信料は払わん」

 という視聴者に対して

「テレビを設置したら金払え」

 という放送法を盾としたNHKの主張が認められたということです。

 判決文をよく読むと、「契約の公平性」を判断の要点としているようで、つまりは

「Aさんは契約後から受信料を支払ったが、BさんはNHKを見ないから受信料を払わない。しかし、放送法ではテレビを設置したら受信料を支払うとなっている。よってBさんの不払いを認めることはAさんとの契約における公平性を歪めるから、Bさんも払え」

 ということ。

 法律はあまねく等しく適用されるというのが原則なので、それに従えば当然と言えば当然の判決です。

 一方で「偏向報道」についてはどうでしょうか。判決文を見る限り、ここを微妙にぼかしている、というのが私の解釈です。

 ざっくりといえば「公平公正な報道をしているはず」という推定で判決が下されているということです。

 この最高裁判決により、NHKはもちろん、地上波各局もいよいよ追い詰められました。と見ています。

 皆様のNHKが、政治的、イデオロギー的に偏向した内容の番組を放送していることは広く知られていることです。NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」に代表され、これは「台湾人を珍獣扱いした」というもので、取材に応じた台湾の人からNHKは訴えを起こされています。

 その他にもサブリミナル効果を使った、印象操作や偏った編集などが次々と指摘され、つまりは「日本は悪い国」とするもので、この番組以外でも、「脱原発」や「戦争法」、もっと言葉を崩せば一貫して「安倍のバーカ」という立場です。

 また捏造や、やらせの疑惑も後を絶たず、それも左派や反政府、反日活動ばかりで、その反対は寡聞して知りません。

 だから訴えを起こした方の気持ちはよく分かりますが、一方でNHKは左派からは「犬HK」と呼ばれ、つまりは右に、政府よりに偏向していると批判されています。

 左派のそれは「政府批判が弱い」であったり、ネットに転がる「陰謀論」や、モリカケに代表される「風聞」の追及が弱いというもので、つまりは自分たちの望みに反するので、政治権力に尻尾を振る「犬」ということです。

 最近、これを右派というか「ネトウヨ」も用いています。たぶん、偏向報道をするNHKへの罵倒語として、ネットのどこかで仕入れたのでしょうが、「家庭犬トレーナー2級」の資格を持つものとして指摘しておきますが、馬鹿な犬はいません。馬鹿な飼い主がいるだけです。

 一貫して同じ態度をとる、すなわち「しつけ」がなされているとしたら、長期政権を誇る安倍内閣はともかく、それ以前のコロコロ変わる政権では難しく、その背後に実質的な飼い主がいることでしょう。先の「JAPANデビュー」では「共産党」を指摘する声もあります。あ、あくまで犬の話しです。

 話を戻します。左右のどちらからも、その内容に疑義が申し立てられているNHKの現状に、最高裁判決は踏み込んでいません。また多チャンネル化の時代になったいまでも「受信料」に不合理はないとも結論づけています。

 いまの放送電波の割り付けや「受信料」は、放送インフラが貧弱だった時代、技術も限られていた当時のままで、デジタル技術によるこれらが解消された今、最高裁判決は「遅れている」のですが、ここが争点ではなく、また、先端技術は往々にして判決に反映されないので仕方がないとも言えます。

 家庭用ビデオにおいてベータ規格の方が優れていましたが、普及したのはVHSで、その発売当初に、どちらが正解であるかを裁判所が判断できなかったように、ある種の「鈍さ」も社会の知恵のひとつです。

 なにより、「法治国家」において判断は「法律」を下敷きにして導かれます。

 ならば、今回の最高裁判決が間違っている、と思うのならば、次に採るべき手段は「放送法改正」です。

 それができるのは国会議員で、彼らを選ぶのは我々国民。つまり最高裁判決が、現実に即していないということは、その法律を変える必要性があるということです。これは「憲法」も同じですが、今回は割愛。

 そして最高裁判決は「契約」を争点としました。それは「受像器=TV」を設置し、それをNHKが認めたら、受信料が発生するというものです。

 ならば、受像しない、すなわち「モニター」ならばどうか。具体的にはパソコンやタブレット、スマホで、ネット回線なり、その他の媒体を使った番組や映像を見る分には、受信料の対象外になるということです。ネット経由でNHKの番組を見ても、放送法的には受信料の対象外です。

 なお、これへの対応と、さらなる肥大化のために、NHKはネット経由の視聴からも受信料を取るように画策中で、最新のNHKの解釈では、携帯などの「ワンセグ」も受信料の徴収対象となっています。

 さて、現在既に「放送電波」を経由せずに、番組(映像コンテンツ)を見ることは可能になっています。

 私の「動画版」もそのひとつですが、アマゾンプライムやHulu、そして完全無料のAbemaTVなどがあります。

■本編動画版 最高裁受信料合憲判決が追い詰める地上波

 おもに民間の投資で整備された通信インフラ(ネット回線)を利用しているので、「受信料」の根拠となっている「日本全国等しく放送を見るための設備費用」は崩壊します。

 有料チャンネル(ネット番組)にしても、

アマゾンプライム 400円/月額
Hulu       933円/月額
Netflix      650円/月額(最大1480円)

 で、対するNHKの受信料は

NHK(地上波) 1260円/月額
NHK(BS)  2230円/月額

 となり、往々にして「高い」のです。

 商取引において、あきらかに不利になる契約は無効です。つまり、国民が「ネット番組」に舵を切ったとき、受信料制度は有名無実化し、やがて瓦解するということです。

 それはそのまま「地上波」へも波及します。
 なんやかやいっても、「テレビ」をみる世代は、NHKにもチャンネルを合わせる視聴習慣を持ちます。そしてそれを常識に生きますが、常識が上書きされれば、地上波そのものを見なくなることでしょう。そうすれば「スポンサー」は広告を取りやめ、ネット番組に直接出資します。

 未来予測ではありません。広告業界ですでに起きている地殻変動です。

 やり方にもよりますが、地上波は一回こっきりの「CM」ですが、ネット番組では、番組内に埋め込んでしまえば、再生の数だけお客の目に触れ続けることができます。

 さらにユーチューブなどの動画配信サービスが、地域毎にCMを振り分けるようにすれば、グローバルなネット回線を使いながら、「地域CM」を配信することは、今の技術でも可能ですし、レコメンド広告のように、視聴者の好みに合わせた配信もでき、地上波より費用対効果の高い広告が実現します。

 固定電話がガラケーに変わり、スマホに置き換えられていく過程でも、従来の機器とやり方に固執する人は一定数はいますが、かならず淘汰され、ゼロになるにはやや時間を要しても、時の流れを止めることができないのは、「ポケベル」が鳴らなくなったことからも明らかです(「東京テレメッセージ」社を除き10年ほど前にサービス終了)。

 平たく言えばこんな感じ。

「ネット番組があるのに、どうして受信料を払わなければならないのか」

 今回の最高裁判決が「契約」にフォーカスを当てたことで、今後は「どこが得か」という消費者にとって、実に分かりやすい選択になっていくということです。

 そして「内容」について、最高裁判決はおざなりな結論を下していますが、とはいえ「公平だよね。たぶん」と判じています。するとこの最高裁判決を元に

「偏向している」

 という裁判も可能になったということ。判例主義をとる我が国の法曹界のテクニックのひとつです。

 ただし、理論上無限に番組を配信できるネット番組が主流になれば、その一部に過ぎないNHKが偏向報道をしていても、それを批判する番組が洪水のように配信され淘汰することでしょう。

 そのとき、生き残りを賭けたNHKは「公共放送」を理由に法律改正を目指すでしょうが、そこでは必ず「公共放送とはなんぞや」という議論が起き、いまのように「多チャンネル」を保有し、かつ子会社に環流させボロ儲けしている体制は崩壊します。

 NHK本体もボロ儲けしていますが、DVDを販売したり、ムックやテキストを販売したりする子会社は、濡れ手に粟のボロ儲けしているからで、定期的に横領や着服が発覚するのは、それだけの余裕がある証拠です。

 今回の判決で「受信料の徴収が強引になる」という声もありますが、それは杞憂というより、いつものマスコミの脅迫ビジネスです。

 だって、現行法ならばこう答えれば良いのですから。

「地上波? BS? 古いなぁテレビなんか見ないよ」

 実はこれ、とあるNHKの集金人から聞いた話。以前は単身世代だけでしたが、いまは一般家庭でもテレビを見ない世帯が増えているようで、

「Netflix(ネット動画)ばかりだよ」

 って答えられたときに、

「テレビで見ていれば受信料を支払わなければなりません」

 と食い下がっても、ニヤリとして

「大画面モニターにパソコンで見ているんだけど」

 と答えると「ぐう」の音もでないと嘆いていました。

 最高裁判決は絶対です。が、法律はいつでも変えることができますし、我々の日常の習慣はもっと簡単に変えることができます。

 いわゆる「テレビ」が終わる日は、想像以上に近いかも知れません。もちろん、テレビが経営も含めて、発想を変えればその限りではありませんが、すでに「余命」の段階にはいっており、今回の最高裁判決が「宣告」になったと後世ふりかえる日が来るかも知れません。

 今年は「モリカケ報道」における「報道しない自由」により、損なわれたテレビの信用と併せて、本当に「テレビが死んだ年」と歴史の教科書に掲載される・・・というより、

「テレビ? なにそれ? ネットみたいな奴?」

 てなるでしょうね。

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