ネットリンチは日本人の遺伝子

 堀北真希・山本耕史夫妻が新居を探して某不動産屋へ。家賃35万円ほどの賃貸物件を探しているとか。売れっ子俳優にしては堅実な家賃は、子役から活躍するご主人の影響とは大きなお世話。

 家賃まで知れ渡っているのは、対応に当たった不動産屋の女性社員が、Twitterでそのときの様子を拡散していたから。

 元サッカー日本代表の稲本潤一とモデルの田中美保のデート現場をツイートしたホテルスタッフ、最近ではももいろクローバーZのメンバー来店をネットに晒したコンビニバイトなど、いわゆる「バカッター」ですが、ご多分に漏れず女性社員のアカウントは「炎上」した上に、氏素性は全て特定され、家族との集合写真まで晒されました。すべてネット上に自ら公開していた「公開情報」ですが。

 これをうけて「ネットリンチ」なる言葉の定着に、テレビメディアは躍起になっています。サノケン騒動において「鬼女」を持ち出し、ネット情報への悪印象を目論むテレビ朝日「モーニングショー」では、夢よ再びと「ネットリンチ」を拡散しています。

 しかし、「しまむら土下座事件」「ファミマ土下座事件」の頃は、比較的好意的にメディアが取り上げていた、同様の「ネット捜査」と個人情報や「まとめ」騒動ですが、カワサキ国における少年犯罪のあたりからテレビメディアは「ネット(社会)は怖い」というオチへの誘導を試みていますが、目論見虚しく、その萌芽の気配すらありません。

 なぜか?
 真っ当な市民は自業自得という言葉を知っているからです。

 格安衣料店の従業員や、コンビニバイトを土下座させ、その写真を拡散するような「輩(やから、一般的にはならず者の意味)」とは、社会の秩序を崩壊させるものであり、二抗対立で捉えれば明らかな「社会の敵」であり、排除されてしかるべきと、素朴な市民感覚が告げるからです。

 また、誤報という問題は孕みながらも、13才の真冬の川で泳がせた上に惨殺した「カワサキ国」の事件のように、子を持つ親なら我が子の安全のために、ネットで不審者情報を共有するのは自衛手段であり、リンチと呼ばれても他に手段がないから、すがる藁(わら)がネットで、2ちゃんねるであり「まとめサイト」です。

 接客した芸能人の個人情報を、例えば親友の自宅で「ここだけの秘密」と打ち明けて、友人が口伝えに漏らし、それがもとに「ネットリンチ」が行われたのなら同情論も起こることでしょう。

 少なくとも相手を選んだ上で、抱えきれない秘密を漏らしたのであれば、攻められるべきは漏らした友人であり、そもそも墓場まで背負うほどの守秘義務を、不動産屋の受付社員ごときに背負わせるほど日本国民は残酷ではありません。

 それでも居丈高に責任追及するネット民は必ずいますが、そんなときは「賛否両論」に別れます。いまのネット世論は、21世紀初頭の「オタク」や「マニア」ばかりではなく、一般人の参加率が高くなり、そこから「普通」の価値観、判断が主流となりつつあるのです。

 これは法整備が進んだことも理由のひとつではありますが、かつて遠慮会釈ナシに拡散された「本人映像」についても、今回の不動産屋社員の女性では、モザイク処理するなど「配慮」が進んでおります。「無修正」も拡散されていますが、主流派は「修正版」です。

 とはいえ、ネットが公の空間だと、多くの日本国民は気がついており、なにより職務上知り得た、守秘義務の発生する情報を、不特定多数に晒すようなバカを擁護するまでのお人好しではありません。日本国民の大半は外務官僚ではありません。

 そしてそもそも、ネット上に晒している情報を集めているに過ぎず、イヤなら最初から公開しておかなければ良いだけのこと。とは、首都圏近郊在住の普通の主婦(39)の指摘です。

 テレビメディアが「ネットリンチ」を問題視する際に、必ず取りあげるのは「匿名の闇」。つまり、自らは匿名という安全圏にいることが、犯人や当事者への攻撃性の高まりへと繋がると言う指摘です。

 この指摘の裏側には、敵とはいえ手足が飛び、血しぶきが吹き上げるシューティングゲームでも楽しむかの残虐さがあるという推測が含まれます。

 この推測をゼロは言いません。安全圏にいる人ほど、過剰に傾くのは、脱原発や護憲論者、安保法制反対と言ったパヨクの特徴でもあり、この手の「ネットリンチ論」を展開するものと見事にリンクするからです。つまりこの指摘は近親憎悪です。

 しかし、単純な誹謗中傷や、脅迫行為と違い「社会正義の実現」のために「まとめ」る動きも多く、残虐さ、非合法とは正反対です。ネット民の大多数は、選挙結果も認めず、社会常識からの逸脱も辞さないパヨクではありません。

 なお、立教大学の教授職にあり、テレビメディアでも活躍され、精神科医を名乗る香山リカ氏は、この日曜日に行われた合法的なデモに反対する立場から、デモの周辺にまとわりつき、デモ参加者に向かい中指を立て(FUCKポーズ)罵声を浴びせていました。自らが信じる正義のためなら、法治の精神や品位をなくすのがパヨクです。

 匿名だから過激なことが言えるのはその通りで、昨年来のパヨクが見事にこれを証明してくれていますが、いわゆるネットリンチが発生する理由のせいぜい3分の1に過ぎない、というのが私の見立て。

 仮にネット社会がすべて実名になったとすれば、多少の数は減りますが、告発がゼロになることはないのは、「便所の落書き」と呼ばれた20世紀末から、私のように実名で活動しているものはいて、そうした者のスタンスは今も昔も変わりません。

 私自身、それを「リンチ」と呼ばれると心外ですが、物書きの端くれとして、さらには良き市民の一人として、社会的意義を感じて告発したのは一度や二度ではありません。

 さらに匿名の告発者を十把一絡げにして恐怖を煽るのは、レッテル貼りのいつものパヨクの手口で、匿名ながら品位を守り、ウィットに富んだ発言するものの方がむしろ多く、匿名=凶暴化はデマといってよいでしょう。

 つまり「匿名」だけを理由に求めるのは、本質の矮小化とともに、ネット世論を恐ろしいと印象づけるためのミスリードだということです。

 なにより「ネットリンチ」を生み出したのは、それを批判するメディアで、一番のロールモデル(お手本)はテレビです。

「メディアスクラム」

 と呼ばれるもの。つまり、テレビの真似が「ネットリンチ」であるのが、もうひとつの3分の1。

 具現化したのは「ロス疑惑」。豊田商事の事件もありましたし、各種信仰新興宗教、オウム事件などは、結果的にオウムを追い詰める一助となりましたが、一般市民の平穏な生活を破壊するまで、知る権利の名の下に報じる姿は、先の「カワサキ国」の事件でも同じです。

 三鷹市のリベンジポルノの事件では、犯人の生い立ちはもちろん、犯行に至る経緯を紹介するという名目で、被害者の尊厳に触れるセクシャルな報道も目立ちました。

 殺人事件が起きる度に、犯人の「雁首(顔写真)」が得意げに公開されます。

 再犯防止、情報提供のために雁首を晒すのであれば、30才を過ぎたオッさんな犯人の雁首が、中学校時代の卒アル(卒業アルバム)である理由は説明できません。単に掴んだ情報の垂れ流しで、メディアによるリンチ以外の理由があるというのでしょうか。

 ネットリンチとは、すでにメディアがやっている手法をなぞっているにすぎないということです。つまりそれへの批判は、自分を高みにおくことで区別を図る、卑しい選民意識に過ぎません。

 メディアには公益性がある、だからメディアスクラムや、リンチが許される。とでもいうのでしょうか。

 しかし、安保法制を巡る偏向報道はもちろん、読売新聞における軽減税率礼賛報道は私益の追及、政治的野心という私心の成就に過ぎません。

 さらに「ベッキー卒論事件」のような、芸能人の不倫はどうでしょうか。所詮は私事に過ぎません。ベッキー卒論事件は、ゲスなけんちゃんこと「ゲスの極み乙女。」のボーカルの嫁にのみ怒る資格がある民事案件で、浮気男の実家に不倫相手が行ったことを報じることに公益性はありません。

 不倫はイカンというのなら、梨園の隠し子はどうなるのか。多すぎて名前すら挙げる気が起きませんが、歌舞伎界に隠し子はつきもので、それも私事でどうでもよいのですが、一方、正妻に子供が生まれると

「海老蔵の長男」

 と表記するのは、隠された本当の長男の人権の侵害ではないでしょうか。正妻の子は長男で、妾の子供は先に生まれていても、何物でも無いとでも断言するのなら潔いともいえますが、こんなときにも「報道しない自由」を行使するのが既存マスコミです。

 余談ながら、日本の人権団体や、差別や女性の権利を叫ぶ連中が、ここらの問題に目をつぶる姿に吐き気がします。

 つまり、テレビを筆頭とした既存メディアは、公益と私益を都合良く使い分けており、ネット民が勝手に感じた公益性による追及を批判する資格などないということです。

 さらに、ネット民を「匿名」とすることで、一段低くみている構造もひっかかります。取りわけテレビメディアは、報道する側が実名ではないからです。

 アンカーマンや司会者、コメンテーターは芸名を含む実名で出演していますが、肝心のニュースの中身に彼らは責任を持ちません。重大な誤報があれば、番組のなかで頭を下げることはあっても、それを理由に番組が打ち切られるケースは希ですし、なにより取材現場のディレクターや記者が実名を晒され批判の矢面に立たされることはありません。

 直近ではNHKの「クローズアップ現代」における「やらせ疑惑」において、限りなく黒に近いグレーという結論がでたからと、このディレクターの実名が晒されることはなく、スクープした週刊誌でさえイニシャルで報道します。

 企業体として存在していることから、執拗に追及されれば逃げ場を無くすことは一昨年の朝日新聞の、慰安婦誤報からも明らかですが、動かぬ証拠が突きつけられても白を切り続けてきたのも同じく事実です。

 朝日新聞は「実名」ではありますが、個々人どころか企業体としての責任を取らぬ姿は、匿名のネット民と遜色はありません。雪印乳業を挙げるまでもなく、逃れられぬ責任を背負う(当たり前ですが)他の民間企業とメディアの大きな違いでもあります。

 責任の所在に絞れば、既存メディアもネット民もさほど違いはないのです。だから、メディアスクラムの手法を、ネット上で真似ることに罪悪感など感じるわけがありません。

 ニュースや記事として報じる場合、「裏とり」という事実確認が行われ、この点でネット民のタワゴトと、プロの記者との仕事に違いがある・・・のですが、少なくともテレビが「ネットリンチ」として毛嫌いする「まとめ」に関しては、多くのネット民による相互検証が成されており、対象に確認する反面取材なども「電凸」によりある程度はカバーされています。

 ある意味、ネットリンチ批判とは、速報性で負けているテレビメディアの繰り言で、それはかつて速報に劣る新聞を笑っていた歴史からの報復で、天に向かって吐いた唾が顔にかかっているようなものです。

 ネットによる特定を礼賛しているのではありません。ただ、盲目的な批判とは近親憎悪による批判に過ぎず、昭和時代における比喩表現での「女の腐った奴」レベルの的外れなヒステリーだということです。なお、21世紀の平成ジャパンにおいて、「男の腐った奴」のほうが適切な比喩かもしれません。女性は相変わらず女性でありながら、男の軟弱かというより「卑怯化」に拍車がかかっているのは、ベッキー卒論事件における「ゲスなけんちゃん」からも明らかです。

 最後にネット民が「ネットリンチ」とやらに取り組む、残された3分の1の理由とは「お節介」。

 島国という特殊性に華開いた村社会という文化が生んだお節介。

 異物排除もまたお節介の1形態で、GHQにより仕組まれた戦後の核家族化により他人への関心は薄れ、世界と繋がるネット社会により加速するかと思われた人間関係の希薄化と、伴う社会性の喪失ながらも、ネット上で日本人とのみコミュニケーションすることで目覚めた「村社会遺伝子」。その発動が呼び覚ました「お節介」。

 かつての昭和時代。戦前、戦中派どころか、明治の男も生き残っていた時代。さらに江戸時代生まれもいた昭和の頃には、都会にも残っていた「お節介」。

 若者には息苦しさを与える相互監視システムであり、また嫁や亭主を斡旋する結婚紹介所機能も有し、葬式や婚礼では助け合う互助会の性質を持つ「お節介」。

 この発露が「まとめ」であり、「ネットリンチ」とは「私刑」ではありますが、お節介とは

「なにもお上の手を借りるまでもなく」

 という民間の自助であり、直近の事例では、ゲームセンターのクレーンゲームでの窃盗案件や、2才児にタバコを吸わせていたバカ親の事例でも、犯人を特定して晒し者にするというより、当初のネット民の反応は「たしなめる」というものだったような、意味からすれば正反対ですが「共助」のようなもの。

 これに、バカどもが反発し、いきがったので「制裁発動」となったのです。

 法治国家において私刑は一切まかり成らない。とは理屈の上ではそうですが、少なくともメディアスクラム、偏向報道により「私刑」を実現しているテレビメディアに、それを批判する資格などありません。

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