原告の論理破綻を無視する樋口(大飯原発とともに民主主義が死ぬ その3)

 大飯原発の再稼働を差し止める裁判で、原告側は

“事故の要因となる「人的ミス」「見えない欠陥」、「不運」は含まれていない”

 被告側の事故対策を否定しました。

 かねてより「よく事件が起きないなぁ」とみていたAKB48グループの風俗的商法も、ファンの善意で奇跡的に事故が起きてこなかったわけ・・・いや、あってももみ消していたと睨んでいました、それは傷害ではなくエロチックな妄想・・・ですが、事故は起きました。

 一番怖いのは人間です。人的ミスを挙げた時点で論理破綻と同義です。仮に自動停止装置が故障した際、人力により停止ボタンを押下するとマニュアルで定めていても、その人が「うっかり」、別のボタンを押す可能性を言い出せば、どんな主張もあり得ることになりますが、一般的には「屁理屈」と呼ぶもので、議論の通じる人なら採用しない主張です。

 「見えない欠陥」も同じ。しかし屁理屈すら、可愛いく思えてくるのが

「不運」

 です。

 原発事故の可能性、危険性、そして悲しみを語るにこれ以上の言葉は見つかりませんが、それは科学的態度ではありません。

 原告(再稼働反対、脱原発の活動家多数)と被告(関電、実際には再稼働を目指す政府も含まれる)、双方の主張を見るに、どちらが科学的態度で論理的に挑んでいるかと言えば後者です。

 科学とは万能ではなく、現時点で分かることしかないのも真実で、できることなかで最大の成果を目指し、リスクを最小化するものです。しかし、前者はストレステストに「不運」まで持ち出して否定するのです。

 ところが判決は「不運」に軍配を挙げます。

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