組織に属すると、そこでの立場を守り、組織に益する行動を取ることが当然となります。結果、防衛反応が優位に立ち、攻めるより守りが重視されるようになります。
例えばいま執筆中の「ネット選挙」。
もうあらかた仕上がっているのでネタを明かすと「マニュアル」です。ネット選挙が解禁されたとき、こうした手段がある、手法がある、方法論がある、そこにはグレーゾーンも含まれます。
わたしはIT業界で、しかも実務に関わるものとして、今回の形での「ネット選挙解禁」について危惧することしきりです。そこで野放しにされている問題点を「方法」として紹介することで警鐘を鳴らすとともに、実際に政治家が取り組むことで課題を理解して欲しいと願っての書き下ろしました。
原稿を見た、ある編集者はこういいました。
「ウチじゃ出版できない」
理由はこうです。
<責任がとれない>
ここに書かれた内容を実践したことで、逮捕者がでたら出版社として責任はとれないということです。もちろん、原稿において、危ない部分は「危ない」と指摘しています。しかし、その前提に立ってもリスクはとれないというのです。
なるほど、貴重な意見です。一事を持ってすべてを語ることが愚かと知っていながらも、出版不況の片鱗を見た気がしました。
タイトルは『完全ネット選挙マニュアル』。
昨年末の政権再交替後、ネット選挙への舵取りがあまりにも稚拙で、問題だらけであることから取材を進め、辿り着いたひとつの仮説が「民主主義の自殺」です。
小手先の技により世論を作り出せ、有名人は今以上により有名になり、海外からの干渉に左右される選挙活動になるからです。これは仮説ではなく結論。そうするか、しないかは
「個人の良心」
に委ねられるのが、いま日本で解禁されようとしているネット選挙なのです。
米韓はすでに解禁し、問題は起きていない。とは国柄の違いです。問題とはその国の国民が感じることであり、互いを罵り合う中傷合戦も「表現の自由」と認めるアメリカ国民と、それをはしたないと思う日本人では問題意識が異なる、という当たり前を無視した連中が、米韓の事例を持ってネット選挙を礼賛しているです。
誹謗中傷までを良しとするのか、あるいは一定の規制をかけるべきか。その議論が深まった形跡はありませんが、結論は一定の規制となりました。すると次に影響するのは
「表現の自由」
との兼ね合いです。公職につくもの、政治家を目指すものが一定の批判を受けるのは健全であり、民主主義を支える土台のひとつです。
可決された法律は、表現の自由を抑圧しかねない内容が盛り込まれています。
政治家が自分たちに甘い法律を作るのは、定数削減の議論が進まないことをあげるまでもありません。そしてこれを単純に責めるつもりになれないのは、冒頭に触れたように「組織」に属するものの本能で、新橋でくだを巻くサラリーマンと同じ心根です(政治家がそれで良いのかは脇に置きます)。
そうでありながら、表現者達から批判の声はあがりません。
いわゆる「非実在青少年」のときに、声高に叫んだ学者もどきの評論家、漫画家、ネットの住民から小声すら聞こえません。いわゆるエロ漫画への規制で、特にやり玉に挙がったのが「ロリータ」だったことを振り返れば、あのとき活動をしていたのは、みなそういう趣味の連中で、表現の自由という美名を掲げ、己の性癖のためだけに活動していたのでしょうか。
・・・と、これらへの危険も含めたまとめた
「完全ネット選挙マニュアル」
まもなく、どこかで発売します。
で、その前に、誤字脱字などのチェック=校正作業に協力してくれる読者を募集します。若干名です。こちらまでメールをいただければ幸いです。
件名:完全ネット選挙マニュアル校正協力してやるよ係
メールアドレス:biz@as-mode.com
話を戻します。
実は他の出版社からも、お誘いはあり今週末にも人に会うのですが、先の編集担当者は知人の記者の紹介と言うことから、優先的に話しをしていただけで、今回、タイトルも発表し、協力を呼びかけたのは
「表現の自由」
への危機感もあります。先の編集は「売れる、売れない」の視点ではなく、責任がとれないであり、もちろん、内容に嘘があるわけではありませんが、法律の施行前で、結論が出ていないもののリスクをとれないという理由です。
この結論を聞き、わたしはこう考えたのです。
「そんな訳の分からない法律を通し、それを批判しないのは言論人として如何なものか」
やってみなければ分からない法律を通したことで、混乱したのは
「個人情報保護法」
で証明済みです。人は過ちから学ばなければなりません。しかし「改正公職選挙法」は同じ轍を踏もうとしているのです。
そこから、大仰に言うならが日本が大好きな日本人として、知見から苦言を呈するのは義務ではないかと!!! ・・・と、権力の揶揄は表現者の腕の見せどころでもありますので。
そして調べてみるまでもなく「電子書籍」なら、すぐにでも発刊できます。しかもアマゾンからも。
リスクを取るならば、表現の自由は最大限に守られべきという立場に立ちます。ただし、表現の自由は濫用すべきではなく、また立場により、できる表現に規制がかかります。
というわけで本題。「橋下徹慰安婦発言について」。
橋下徹氏がタレントや弁護士、物書きならばなんら問題発言ではありません。発言を事実関係で追い掛ければ、法に触れることもなく、多少の誤認あるにしもで歴史的な事実が含まれていることです。
問題は公党の代表だと言うこと。
すでに「袋だたき」状態のものをむち打つのは美学に反するのですが、「マスコミでは言えない」ことを指摘します。
まず、慰安婦というか、軍による管理売春について世界中どこの軍隊でも起こっていたわけではありません。語弊を怖れずに言えば
「自由恋愛の名の下のレイプ」
のほうが多いでしょう。占領下で、札ビラきり現地人を買った形式での強姦もあれば、食糧を提供しての強姦もあり、そのままの強姦もあります。また、侵略を受けた側が身の保全、利益のためにより弱い立場の女性を指しだし強姦させた事例もあります。
シニカルに言えば世界最古の商売は売春であり、田嶋陽子先生風にエキセントリックな主張をするならば、結婚制度そのものが売春だともいえます。
これらと戦時下の強姦を同列に語っているのではありません。ただし、私が子供だった昭和時代、戦後からしばらくは進駐軍相手の娼婦は、悲劇の味付けとしてたびたび登場しており、米兵による先の定義における強姦があった事実を、繰り返し耳にしたものです。もちろん、年齢的に目の当たりにしたわけではありませんが。
ただし、こうした過去をわざわざつまびらかにすることはありません。それは食事の席で尾籠な話しをするのと同じです。
性被害を尾籠というのではありませんよ。いまだ戦後苦汁をなめた女性が生きていることもあれば、ほじくり返すことによるセカンドレイプとなり、議論すべきでない場所での議論という意味です。
ここで他国の事例を挙げて貶めるやり方は、その他国と同じ土俵に立つことになるのでやりませんが、戦地で私生児を残してきた軍隊もあり、軍と性は切り離せないことは事実です。そして橋下徹氏の誤認を指摘しておけば、軍による管理売春の目的は、兵士の休息ではありません。
「性病予防」
です。だから性病を予防するワクチンを注射する国は管理売春をしません。戦時下における強姦とは、強制的な乱交です。ひとりの性病保菌者により、あっというまに軍を壊滅に追い込みます。その状況を想像するだけで、軍と性を軽々に語るおぞましさが理解できることでしょう。ひとりとひとりではなく、ひとりと多数、それも繰り返しです。
そしてこれが言えないこと。
「おぞましい蹂躙をベースに世界は発言を捉える」
橋下氏の発言は、管理売春を念頭に置いてのようですが、言葉の理解は自身の体験や、民族の歴史と照らし合わせるものです。つまり欧米諸国が植民地において、その支配する過程で行ってきた人権蹂躙を日本軍にも重ねさせてしまう危険のある発言だということです。
まして世界は・・・いやキリスト教の支配の下にある欧米諸国では
「汝姦淫するなかれ」
という建前もあり、軍と性を認めるのはアンビバレントです。
端的に言えば「誰も同意できない発言」なのです。
さらにゴールデンウィーク中に視察した沖縄県の米軍普天間飛行場を視察した際に、米軍司令官に海兵隊員に風俗業者を活用しろと言った話し。
やはり橋下徹に国政は預けられないという結論。
先に触れたように、欧米諸国においてキリスト教の影響排除は不可能で、図式はイスラムでも同じです。すると現実問題のセックスと、建前以上のセックスがあるのです。
実は日本は表現における性の解放区であることを、日本国民が一番知りません。アンダーヘアや性器は隠しても、多様な性的価値観が排除されないのは世界からみて珍しいことです。ちなみにこれが児童ポルノに甘いと糾弾される素地でもあります。世界中でロリはあるのですが、すべてアンダーグラウンドです。
で、いわば「HENTAI-JAPAN」の大らかさが世界で通じるわけがありません。
一般論で言えば、性風俗に務めた女性の動機は「金」です。そしてこの一般論は世界共通です。
つまり政治家が性風俗の利用を奨めるということは、我が国には性風俗に従事しなければならない女性がいることを公認していることであり、政治責任の放棄でもあります。
彼は言います。性風俗産業に務める女性への差別だ。
わたしはこう考えます。性風俗で働く女性は女神です。しかし、悲しみのベールにつつまれた。
もし、他に選択肢があれば、性風俗に従事しなかった女性は少なくありません。最終的には自己責任による決定であっても、他の選択肢を選べる環境を与えられなかったわずかな責任は、政治にもあります。
ネット情報によれば、橋下徹氏には4人のお嬢さんがいるそうです。お嬢さん達が、性風俗に従事することを奨励するとまで、言い切るのなら、彼の見識はそうだということでしょう。
しかし、我が子には好ましいとせず、他人のお嬢さん(仮に熟女ヘルスの従事者であっても、かつてはね)ならば、性風俗を奨励するというのは、とんでもない特権意識です。
それとも向き不向きという能力による選別というのでしょうか。ならば彼に問いたい、性風俗向きの能力はどこで判断できるのかと。妻が7人目の子供を妊娠中に、愛人にコスプレさせることで判断できるとでもいうでしょうか。
個人攻撃を目的としませんが、「性」とは人格を構成する一要素であり、妻を持ち、子供を、それも女児を育てているものから、ましてや慰安婦については歴史を語るという視点からなら避けられないとしても、現在進行形の性風俗従事者の活用を述べるところに、彼の人格が滲み出るのです。
奇しくも本日は沖縄県本土復帰の日。そして橋下徹は大阪市長。
普天間の海兵隊が通う風俗となれば、「松山」か「辻」でしょうか。デリヘル嬢をキャンプ内に呼べませんからね。いずれにしろ、大半は沖縄の少女や、かつての少女たちです。
市長だからと市民を好き勝手にできるわけではありません。ましてや他の自治体の長が、他の自治体の女性を米軍に差し出して良いわけがありません。
百歩譲って、米軍を宗右衛門町(大阪府大阪市中央区)や、松島新地(大阪府大阪市西区)に誘致するのならば、まだかろうじて分かります。
「風俗かてあきない。わてとこに来て、ぱぁっと楽しんでや。
地元経済もうるおうって景気回復につながりますさかい」
とね。なんなら、海兵隊割引を大阪市の予算で組んでも良いでしょう。そして大阪市内の婦女子を次々と性風俗に送り込めば良いのです。水商売を教える都立高校という設定の作品がありましたが、同様に「府立水商」とでもやると宣言する分には、大阪市長という立場に与えられる表現の自由・・・かもしれません。
ところが普天間で、就職率、最低賃金も低い沖縄で、性風俗の活用を、しかも他国の米軍司令官に提案します。
橋下徹氏という個人にならば認められる表現の自由でしょう。しかし、公党の代表として、さらに他の自治体の首長として、とうてい認められるものではありません。
中国や韓国にいわれて、どうこうするものではありません。
維新の会が国政を目指す公党であるなら、自浄作用を発揮すべき時・・・ですが、無理でしょうね。橋下人気を頼りにした選挙互助会ですから。
発言が非難されても、橋下徹氏はツイッターで持論を展開します。もちろん表現の自由。そしてこれが出版不況の一端であり、マスコミの地盤沈下の理由でもあります。
裏返せば「つまらない」のです。既存メディアは組織の性質が強まり、リスクを取らなくなっているのです。橋下徹はその発言において、己の人格の一端までさらけ出しているのであれば、本稿で指摘したように、私生活も含めて考えを問いただすべきなのに、例の週刊朝日による人格攻撃記事への対応から、批判の刃を隠したままです。他の政治家相手には考えられないぐらいの自己規制です。
だから「つまらない」のです。
そして「ネット選挙」への危惧を橋下徹氏にみつけます。
これは『ネット選挙マニュアル』で指摘していることですが、ネット選挙において、もっとも恐ろしいことが「幼児化」だからです。表現の自由が野放しにされ、フォロワーという信者に囲まれた世界で人は幼児化=赤ちゃん返りします。
いまの橋下徹氏のバランス感覚を欠いた暴走はまさしく幼児化です。
というわけで私に与えられた表現の自由。そして物書きとして権力暴走への抑止力。なにより、権力の揶揄のために、まもなくどこかで。お楽しみに。