ちかごろ橋下徹さんとそのまんま東さんがかぶってみえて仕方が
ありません。
出自は異なりますが、どちらもタレントとして名前を売り、政治
経験のないまま首長になりマスコミに注目され、そしてどちらも知
事の時代は、他県からみてそれなり程度の仕事をしていたように見
えますが、次のステップに移るあたりから発言がぶれはじめている
点が奇妙に重なるのです。
あ、あらかじめ明らかにしておきますが、維新の会を信用して
いません。それは取引実績のない企業に売り掛けをするようなもの
だからです。また、その企業が大言壮語を吐けば眉に唾を塗るのが
大人の所作です。
「とにかくやらせてみれば」
で失敗したのは民主党。いや、これなどはやらせる前からあきら
かで、逆上がりができない体操選手をオリンピックに選んだ国民の
罪です。
そして政治はとにかくや、とりあえずといった、新入社員や
「はじめてのお使い」
に送り出す我が子とことなり、大人がその人生をかけて背負う
大任であることは少なくとも日本以外では社会常識です。
それともうひとつ。維新や革命を簡単に口にする大人をわたしは
信用しないからです。清新なイメージのある維新ですが、江戸城の
無血開城を除けば血なまぐさいテロと粛正の時代であり、権力闘争
があったことを歴史の素養があれば知っていること。
またフランス革命を筆頭に体制転覆には大きな血が流され、
独裁者チャウシェスクが銃殺され、その映像を世界中に発信した
ルーマニアは、いまだに革命の後遺症に悩まされています。
維新も革命も歴史の一場面であり、ドラマなら迎えるエンドロール
が流れません。維新や革命を口にする連中は、例えば官僚制を打破し
アントワネットを断頭台に送り込めば、幸せの蝶々が飛んでくると
脳内花畑を全開にしますが、その後かならず訪れる混乱から目を背
けているのです。いや知らないのでしょう。無知は罪です。
例えばこれを10代や20代の若者が口にするのなら、健全な
若さと眼を細めるかも知れません。いわゆる維新のキーパーソンは
若者でした。
ところがオッさん(30才過ぎたらオッさんです)たちがこれに
はしゃぐ様は無教養であり無知に過ぎます。まるでバイ○グラを入
手して、いつ使うかと居酒屋ではしゃぐ定年間際のサラリーマンで
す。奥さんにすら相手にされていないのに。
さて、そんな維新大好きな橋下徹さん。
ちらちらと見える馬脚にニタニタしているのですが、野田首相を
絶賛しました。彼一流のイヤミかと思えばどうやら本気らしい。
集団的自衛権にTPP、そして増税と当初言ったことをすすめて
いると持ち上げます。それに女性宮家に尖閣購入を加えれば、昨秋
すでに指摘していることの裏付けとなります。
「野田は歴史に名前を残したいだけ」
なんでもいっちょ噛みです。増税に命を懸けるなら、もっと
簡単な方法がありました。
「増税法案が可決した暁には、衆院を解散し国民に信を問い、
わたしは次回選挙に出馬しません」
民主党内から自爆テロと罵られるでしょうが、政治生命を懸ける
とは成否を問わずに身を引く覚悟を意味します。いや、上手く行っ
たのなら辞める必要がない・・・というのであれば、命を懸けちゃ
ダメ。
政治家の信念を貫き通す。で、充分でしょ? 命がけだから、
ほら、話を聞いてよ・・・で、聞いて貰ったら何事もなかった
ようにのうのうと政治屋を続けるのであれば、それを
「狂言自殺」
と呼ぶのです。あるいは小学生男子の
「命かけるか?」
という挑発レベルに過ぎない軽い言葉です。
一流は一流を知りますが、ムジナはムジナしか理解できない
くせに一流を語ります。彼の野田評価に重なります。
橋下市長に話を戻せば、大津市のいじめ問題を記者会見で問わ
れて目に涙を浮かべます。
子沢山の父親としての気持ちは分からんでもありませんし、
いまどき涙を流すものを批判すれば冷血漢となじられ、ときには
子供がいないからだろうとプロフィールを調べて罵倒する人も
でてくるのですが、あえていいます。
「そこは怒る場面だろ」
目を赤らめる姿が琴線に触れた人も多いでしょうが、市長という
立場で記者に問われたのであれば、リーダーとして回答すべきであ
り、非公開の場でご遺族を前に流す涙とは訳が違うのです。
「大阪市では絶対に許さない」
と怒り心頭に発してみせるべきなのです。もちろん演技で。
そもそもリーダーは感情をあらわにすることに慎重でなければ
なりません。感情は判断を鈍らせますし、態度に出せば足元を
救われかねません。だから演じてみせるのです。
余談となりますが、これも自民党と民主党の違いで、かつての
自民党は腹芸やタヌキとよばれる政治家が多く、本気で茶番劇に
取り組んでいることも多々ありました。一方の民主党は本気なの
はわかりますが、一本調子で怒っているときに怒っている演技しか
できません。そして、はらわたが煮えくりかえっているときに
ニヤリと笑ってみせる大人の余裕がないので、向きになって反論
して、それが自分を縛る縄になるのが彼らの芸風です。
被害者を思い涙を流す姿に人間味を感じる・・・というより
橋下徹さんに関して言えば、直情的な人間味は充分に伝わって
おり、短絡的と紙一重であることはすでに誰もが知っていること
でしょう。
すっかりこの国では「人間味」がどんな状況でも好意的に
受け入れられるようになりましたが、これほど危ういものはなく
東電の自己保身もまた「人間味」の現れです。
移ろいやすい人間味に左右されるリーダーほど恐ろしいものは
ありません。もちろん、人は成長しますし、伸びしろに期待する
楽観論で述べるなら菅直人の100倍は期待できます。
しかし、すわ国政! とわたしは応援できません。