ゆとり免許世代

自動車事故が相次いでいます。ゴールデンウィーク前は通学する
児童への事故も相次ぎました。エキセントリックな報道が続く中で
言えないこと。

「むかしからあること」

もちろん、この“むかし”とは江戸時代ではなく昭和の、自動車
が普及してからのことです。

悲劇を容認するものではなく、伯母がダンプに引きずられ旅立ち
小学校2年生の夏休みの終わる1週間前、目の前で姉がライトバン
にはね飛ばされ5mほど「飛んだ」映像を脳裏に焼き付け、ついで
にわたしもガマガエルのようにダットサンに挽きつぶされた身とし
ては交通事故への忸怩たる思いがあります。

わが家は愚妹も跳ねられており、彼女は自転車が一回転して奇跡
的に軽い怪我ですみました。わたしも踏みつぶされたわりに鎖骨骨
折と後頭部の小さなハゲだけですんだのはラッキーでしたが、姉の
場合は1週間の意識不明で、意識が戻るかどうかは神のみぞ知る
状態でした。

そんな経験から後悔したのが、先週「自転車ネタ」を公開して
しまったことです。ゴールデンウィークも近いことから、移動手段
やサイクリングなどで自転車に触れる機会も多いことから、ネタと
したのですが、今回の「自動車ネタ」を優先していれば・・・ま
なにができたか分かりませんが、自己満足にはなったのではないか
と。

というわけで珍しく前置き短くネタにはいります。

ゴールデンウィーク前に自動車事故が増加するのは「経験則」と
して昭和時代から語られており、特にトラックドライバーなど、
日常的に運転する人のあいだでは知られていることです。

休みに浮かれ気もそぞろとなり、あるいは休みにはいる前の
納品に追われたりして、ついアクセルを踏み、無理をしてしまう
からです。そこでこんな標語が昭和からあります。

「注意一秒、ケガ一生」

至言です。一時停止を完全停止すると制動と始動の時間ロスは
数秒から10秒ぐらいになるかもしれません。しかし、事故を起
こせば小一時間は優に奪われ、人身事故ともなれば何時間、何日
なくしてしまうかわかりませんし、命に関われば一生ものです。
信号の変わり目の無理な進入も同じです。

そしてどれだけ注意に注意を重ねても事故は起きるものです。

悲劇の連続に「事故は防げなかったか」「再発防止は」という
お為ごかしな「正論風」を振りかざす識者に断言します。

「無理」

と。完全に通学児童の交通事故を「撲滅」するなら、各家庭と
学校を直結する地下道を掘るか、核兵器の直撃にも耐えられる
ほどの装甲車をスクールバスにした上で「ドアトゥドア」に
するしかありません。

あるいは逆転の発想で、すべての公立小中学校をネット回線を
利用した「テレビ電話授業」にするのもありでしょう。子供を
鳥かごの中に入れておけば、外敵からは守ることができます。

姉も妹も同じ交差点で事故に遭いましたが、どちらも横断歩道
を渡ってのことです。愚妹は自転車に乗っていたのでいまの自転
車をめぐる風潮からみれば横断歩道を渡る資格はありませんでし
たが、姉は天下御免の徒歩児童で、見通しの良い直線道路で2〜
300m先から直進してきたライトバンに跳ねられたのです。

わが家においての教訓は「道路は危険な場所」ということ。
というより、昭和時代は当たり前のことでした。

仮に歩道の内側、ガードレールがあったとしても、自動車の
挙動には神経を払うように指導されたものです。

度重なった悲劇に「集団登校」を問題視する声もありますが、
これも論外です。児童が密集していたから、悲劇が拡大したと
いう面は否定できませんが、その言葉の裏には、ばらけていれば

「ひとりの死亡で済んだ」

という残酷な告白があり、問題の本質ではありません。

集団登校とは「多くの目」による相互防衛の意味があるのです。

高学年からリーダーが選ばれ、同学年かそれに次ぐ学年の
サブリーダーとともに、集団の前後に配置され、低学年の児童
ほど中心に配置し、前後から近づく、大人や自転車に声を発し
て、集団をよけさせます。

そのため集団登校中は私語厳禁でした。もちろんそれで口を
閉ざす小学生男子はいないわけですが、道路という危険な場所
であり公の場所で、注意を払い大騒ぎをしないことを自然と学
ぶ機会が集団登校にはあるのです。

個別事例をここで紐解くことはいたしません。しかし、こう
した昭和時代の教訓も活かされた上での悲劇だったのかという
検証が待たれるのです。ドライバーの過失やうっかり、さらに
無免許など言語道断で殺人罪の適用を検討しても良いと考えま
すが、同時に本当に再発防止を願うのなら、我が身は我が守る
という概念こそ、安全教育において不可欠なのです。そして
集団的自衛の観点から「集団登校」を指導しなければなりませ
ん。

ここらは平和憲法を信じていれば、隣国が攻めてこないとい
う日教組的幻想教育が落とした悲劇というと、坊主にくけりゃ
なんとやらでしょうか。

小学1年生などに我が身を守れとは酷。その通り、だから
「集団登校」でお兄さんやお姉さん(どちらも高学年の小学生)
が目を光らせるのです。少子化により、多層な学年の小学生の
組み合わせが不可能ならば、保護者や地域ボランティアの導入
を検討するのもひととです。

そして集団登校の是非を論じる人は、

「外は危険」

という大原則を置き去りにしています。

水と安全はタダの国はとは比喩表現で、水道料金を徴収される
ように、安全を得るためには多少のコスト・・・それは注意を払う
交通ルールを守るといった基本ではありますが・・・が必要なの
です。

ここまでは「自衛」の話し。

で、そもそも論に移ります。
無免許運転は論外とはいえ、ゴールデンウィーク直前に立て続
けにおこった通学児童への殺人級の運転ミスのドライバーは二十歳
そこそこでした。

さらに一部報道によれば防音壁につっこんだ貸し切りバスの
事件の犯人は43才とのことですが、大型2種を取得したのは
3年前とありました。

例示するのはわずか3件で、そこから導き出される結論は
暴論に思えるでしょうが、これが結論です。

「事件の背景に自動車教習所の指導レベル低化がある」

愚妹が免許を取ったときの話しです。運転歴20年を越える
わたしがマイカーに「仮免許練習中」の紙を貼り、愚妹の練習
に付き合いました。有り体にいえば「ど下手」。これでよく
「仮免許」がとれたものと呆れたものです。

そしてすんなり「卒業」。そのとき教官はこういったそうです。

「外にでてからしっかりと練習してください」

なんじゃそりゃ。実際、妹が教習中に教習所を覗いたことが
ありますが、カーブを曲がりきれず壁にぶつかりそうだった
クルマがそのまま「路上教習」にでていくのです。

わたしが免許を取得した昭和時代なら、仮免を持っていても
「再講習」を命じられたレベルで路上に出て、卒業検定を通過
します。

低レベル化の理由は少子化とマイカー離れです。

少子化により絶対的なパイが縮小しました。そこにエコと
デフレと草食化のトリプルパンチです。排気ガスからエコが
デフレによる所得減少、草食化により

「クルマでナンパ」

がなくなり、おまけを言えば

「保険証が身分証」

個人単位で発行されるようになり、免許の身分証としての
価値が希薄になったことも些少の理由でしょう。

つまり、圧倒的な客不足の中で、昭和時代のような

「鬼教官」

では客がつかず、カルチャーセンター化したのです。

そして極めつけはこれ。

「定額制」

なんかい教習に落ちても、追加料金不要の教習所が増えま
した。一回落ちる度に3〜4千円の追加費用が発生し、
仮免と卒業検定の場合は、検定費用に追加講習と万単位で
お金が消えた昭和時代の必至さはそこにありません。単位を
落として失うのは時間だけです。

すると教習所側はどう考えるでしょうか。
厳しく指導して、何回でも落第させて、立派なドライバー
として世に出そうとするでしょうか。

仮に教官がそう考えても経営者は別のことを指示します。

「とにかく(合格の)判子を押せ」

ギリギリアウトならおまけでセーフとし、危険運転でなけ
れば「外で練習してね」と卒業させることでしょう。だって
いてもらっても金にならないのですから。

つまり、

「真面目に指導すればするほど損をする仕組み」

を自ら構築し、また、客もそれを支持しているのです。
以前、自動車教習所に取材をすると、受講者の8割以上が

「定額制」

を採用するそうです。いうなれば

「ゆとり免許世代」

教習を落としても金銭的ロスがなく、教習所としても
お客様としてうやうやしく接し、採点基準も甘く卒業させる。

もちろん「個人差」はありますが、ここ数件の事件に
共通する

「ブレーキ痕がない速度超過による事故」

をみるに、愚妹の件と自動車教習所への取材を通して
自動車教習所の指導品質にフォーカスすべき時期にきて
いるという結論に辿り着きます。

簡単に取得できるから、安易な違反をするのではないか。
安易な違反を繰り返すうちに、法令遵守の精神は崩壊し、
自動車が凶器であることを忘れてしまう。

で、なんでも規制するのは好みではないので提案です。

「自動車免許更新時にペーパーテストと技能検定導入」

ペーパーテストは法令遵守を植え付けるためと、法改正の
周知徹底で、昭和の末期にはなかった

「後部座席のシートベルト着用」

などを確認する意味合いと、あやふやになりがちな
道交法を再確認させ、あまりにも交通法規を忘れている
ドライバーはこうします。

「教習所での規定時間の講習、または試験場での試験」

を義務づけるのです。

そして「技能検定」はシミュレーターで行います。この
開発はゲーム会社も含めて競争入札にすれば民需が刺激さ
れることでしょう。もちろん「実際の道路」を再現した
コースを走行して、右左折はもちろん、その際の視線の
動きをトレースして、巻き込み確認や安全確認、当然、
進路変更の30m、あるいは3秒前での方向指示器の
点灯なども記録し、A〜Eまでの5段階で評定します。

その結果、適切な技能と安全確認がしっかりなされた
AとBは、無条件に免許を再発行し、かつA評定のドライバー
は「グッドドライバー」として、公共駐車場の割引サービス
などを受けられるようにします。

つづいて運転には問題がないが、安全確認などに若干の
怪しさが伴うばあいはC評価とし、免許の有効期限は
ゴールドドライバーでも3年とします。

そしてDの有効期限は1年。いわば「執行猶予」です。

最後のEは10時間以上の「再講習」か、試験場での
試験を義務づけます。

この制度により教習所は一定数の実入りが期待できます。
と、同時に安全指導の厳格化が期待でき、さらに再講習を
受けてもドライバーの安全技能の上達実績の乏しい教習所へ
行政指導できるようにもしておきます。もちろん、その結果
はすべて公開し、警察OBの天下りによる恣意的な運用を
なくすのは当然ですが。

免許制度についてはまだまだ言い尽くせないのですが、
ひとつだけ言えることは

「事故を起こすか、取締の網にかかるまでペナルティを
受けない仕組み」

で良いのかということです。

もちろん、すべてを自己責任と言い切る覚悟が国民にある
のならすべては余計なお世話の提案です。しかし、事故の被害は
なんら非がなくても被るもので、それを仕方がないと言い切れな
いところも我が国 国民の長所でもあり、ならばその理不尽の芽を
摘み取るための提案です。

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