脱原発派に感じるムー的

我がまち足立区も被災地のがれきの受け入れで紛糾しているとは
関係者のはなし。いま、世界中で日本の「絆」にたいする疑念の
声が上がっている理由です。

わたしは賛成です。なんならネコの額、いや眉間ぐらいしかない
庭ですが、焼却灰を受け入れてもよいと思うほどです。ただ、
乳幼児を持つ親になると意見が異なり、放射性物質の危険性につい
て科学的見地から説明しても

「それ、保証できる?」

と切り替えされては答えに窮します。

わたしと妻と愛犬の人生において、私が下した決定に責任を
もちますが、他人の子供の人生までは負えませんし、負わすような
親の子供の責任など持ちたくもありません。

「絆」と高々と掲げた金看板より

「困ったときは、おたがいさま」

のほうが、震災から一年が過ぎた日本に適切な言葉です。
絆はあっても助け合わなければ意味がないので。

そして困っていると言えば、被災地以外にも降りかかるのが

「電力不足」

です。以前「逆ヤシマ作戦」を提唱したのは、わたしは東電を
始め電力各社に経済産業省、枝野大臣の発言を話半分も信用してい
ないからです。だから、もっとも社会的影響の少ない日を選んで、
日本中で一斉に電気を浪費してみて、本当に足りるか足りないかを
検証すべきだというのが作戦の骨子です。

わたしは足りると見ています。ただし、火力発電所などをフル回転
させて。すると電気代は上がります。

ざっくりといえば、円安にふれはじめており、円安になれば
輸入は不利で、イランの核開発をめぐる経済制裁が、原油価格への
上昇圧力となり、天然ガスに波及します。その結果、電気料金の
さらなる値上げは避けられなくなります。

徒歩圏の川口市では電炉を使う鋳物工場が悲鳴を上げ、義父の
八百屋も大変だと大騒ぎしています。

電力不足を解消し、電気料金の値上げを和らげる(避けることは
できません。残念ながら)には原発の再稼働しかありません。

繰り返し述べておきますが、わたしは筋金入りの脱原発派。

ただし、急伸派でも過激派でもなく穏健派。というより、
ウランも埋蔵量に限界がある限られた資源ですし、いまも問題と
なっている廃棄物=ゴミ処理にコストがかかり、中長期で見ると
経済合理性に疑問をもっているからです。世代的に「はだしのげん」
の心理的な影響も否定しません。

いずれ使えなくなる日のために代換えエネルギー、特に自然
エネルギーの活用をかねてより提唱していたものです。

しかし、直面している現実からは「原発再稼働容認」の立場です。

急進的な脱原発派は、

「子ども達の未来のために(原発はすぐに廃炉へ)」

と、いいますが経済力をなくした日本の未来が明るいとは
思えません。

脱原発の集会でスピーチする女学生が

「経済よりいのち」

といっており、その穢れなき主張は傾聴に値するのでしょう。
汚れた大人からみれば、それは戯れ言です。

いのち、を、育むためにもお金は必要です。お金がなければ
紙おむつは買えません。粉ミルクも買えません。今日飲む水さえ
ないのが本当の貧乏です。

なにも極端な・・・ということなら、スマホの定額制がなくなり
牛丼が一杯1000円となり、マクドナルドが高級品になるぐらい
の貧乏なら目の前です。経済が疲弊すれば、購買力が下がるので
輸入に頼る食品が値上がりするのは自明で、スマホの定額制も
可処分所得の余裕から生まれているもので、ひとは困窮すれば
パケットよりもカロリーに金を投じるからです。

脱原発しなければならない、しかし当たり前のように定時運行
するエアコンの効いた電車のなかで、毎年のように機種変更する
スマホを使う生活は続けたい。階段よりエスカレーター、社内で
はエレベーター。

絆を叫んでがれきを拒否する心根をそこに見つけます。

脱原発を自認するわたしですが、急伸派や過激派には眉根を
寄せます。それは彼らのやり方に「ムー」を感じるからです。

月刊誌「ムー」とは、

「世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリーマガジン」

がキャッチコピーの科学雑誌(笑)です。わたしは中学時代の
3年間、定期購読しすべてストックしていました。

超能力、UFO、ネッシー、心霊、秘密結社などなど、まぁ
その手の情報に事欠かない雑誌です。先日、久しぶりに書店で
みつけて表紙を見ると、四半世紀前と変わらぬ切り口に
眼を細めます。

知的好奇心の刺激として楽しむことは悪くありません。
ところが「ムー」にはまると、全てが「ムー」的視点で解釈する
ようになります。アメリカの外交政策はすべてフリーメイソンに
よる陰謀で、天変地異は竹内文書に記されており、夜明けの晩に
鶴と亀がすべってころんでツチノコになると。

脱原発の急伸派ヤ過激派のひとが「ムー的」に、政府を疑い
東電をけなし、原発を「消滅」させようとしています。

これも以前に指摘したことですが、たったいま脱原発に舵を
きったとて、放射性廃棄物が霧に消えることはありません。
その処理費用やら処分地の金銭的な問題はさておき、とりも
なおさず即時撤廃を叫ぶ様は一種のカルト宗教をみているよう
です。

かつてはノストラダムスが21世紀の訪れを否定しました。
その後はマヤの終末予言に宇宙人と、人類の恐怖を煽った
「ムー」のネタは尽きません。

論理的に考えれば「ムー」が特集した企画をビーズのように
すべとつなげると論理破綻するのですが、それを指摘するのは
東京スポーツの記事に眉を吊り上げて否定するのと同じくらい
野暮というものです。

わたしが「ムー」を止めた理由。
一般人と話しがあわなくなったことです。

ここでいう一般人とは、自分を高見において見下す、それで
はなく、特殊な情報を常識としてある種の選民意識に染まって
いた恥ずべき自分を蔑んでのことです。

急進的な脱原発派に感じる匂いを「ムー的」としたものを

「選民意識」

と置き換えても良いでしょう。

貴重な情報に触れると知的好奇心とともに、その情報を得た
自分を特別な存在と見なしたくなるものです。もちろん、本当
に貴重な情報をもっている特別な存在もいます。しかし、雑誌
や又聞きで得られる情報が貴重なものである確率は希です。
皆無に近いといって良いでしょう。

かれらの主張は大手マスコミや政府を否定するところから
始まり、さも貴重な様子をふりまいていますが、週刊誌では
取り上げているネタは少なくありません。週刊誌というのは
面白いもので、確定した事実でなければライバル誌と反対の
スタンスをとるので、脱原発や放射能の危険性を煽る媒体も
少なくないのです。

危機意識から取り組んでいる。という反論もあるでしょう。
そしてその心を否定しません。

しかし、あえて「選民意識」とまで言及するのは、脱原発派
に染まり始めると、脱原発派からの情報を丸呑みして、反対意
見や、それこそ「一般人」の感覚からハズレ出すからです。

その代表例がアーサー・ピナードさん。

アメリカ人でありながら日本人の人情の機微を理解し、
その操る日本語の軽快さに敬意すら覚えていたのですが、
この春、埼玉県教職員組合主催の国際女性デー関連の集会に
招かれ、講演のタイトルを

「さいたさいたセシウムがさいた」

と提案したといいます。
ク・・・コホン、日教組の連中のやることならニタニタ
笑って見逃したでしょうが、アーサー・ピナードさんの発案
ということに「ムー的」という解を見つけます。

彼はいま脱原発、アンチ政府、アイラブ巨人軍の
ラジオパーソナリティ吉田照美さんの番組レギュラー出演中。
洗脳されたのでしょうか。

脱原発こそすべてに勝るという教義の前には、言葉で傷つく
ひとがいることを言葉の職人が忘れます。しかも埼玉の日教組
ということは、埼玉県でイベントをします。

中止にはなりましたが場所は「さいたま市」。

そこから北へ20キロもいかずにある加須市には福島県
双葉町の役場機能と住民が集団避難しています。

すこし「一般人」の感覚があれば、容易に悲しみを想像でき
ることでしょう。

ところがカルト化・・・もとい、ムー化が宗教にまで悪化す
るとすべての悲しみに教義が勝ります。

もちろん、思想信条、表現は自由。

ただ、脱原発という点では一致するだけに残念に思うのです。
それはカルト化すると一般人には相手にされなくなるからです。

本当に「脱原発」を社会運動に昇華するなら、一般人の理解
は不可欠です。ということは、一般人の常識にあわせなければ
ならないのです。

「一般人はマスコミの洗脳を受けている」

で思考停止しては、せっかくのネットが泣きます。

ユーチューブで海外に訴えかけ、その危機が本当なら国際原子
力機関や諸外国という外圧により日本を変えるという運動だって
できるはずですし、逆輸入により洗脳を解くことだって可能です。

ところが海外は静かです。福島原発の危機の時は、あれだけ
やいのやいのと大騒ぎした国際機関もアメリカもやけに静かで
すし、日本国内から退去命令は解除され、渡航制限も右に同じ
です(横書きは左に同じになるのでしょうか)。

脱原発とカルト。絆とがれき受け入れ拒否。

隣町にオウム真理教の最大の施設がある足立区民として、
なんだかすべてが重なって見えます。

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