世界第2位の経済大国を誇っていた我がニッポン。
の、凋落が止まりません。日本経済の「底」はどこなのか。
冬季五輪は全体的な底上げと見るか、トップを獲れない戦略性の
なさを嘆くべきが微妙ですが、すくなくスピードスケートの高木
選手を除けば、「次世代」の希望が見えてきません。
また、長野五輪で貯め込んだ金も「計画通り」に使い、底をつき
ました。
そして「世界のトヨタ」は信頼をなくしました。
同じく「家電ジャパン」はすでに過去の栄光で、太陽光発電の
一位は雲の影どころか雪雲にかき消されています。
政治は言わずもがな。昭和の自民党のような民主党に期待できず
また「若手」も去勢されたようなおとなしさで、いや、臥薪嘗胆
チャンスを待っているというのなら、民主党ってなんなのだい?
と突っ込みをいれてしまいます。そのまま自民党にも以下同文と。
誇れるのは世界的大ヒットの「iPod」の鏡面仕上げぐらいでしょ
うか。すると日本に待っているのは「世界の下請け」。なんだか
懐かしい言葉です。
株式格言に「もうはまだ、まだはもう(諸説あり)」があります。
「もうこれ以上、上がらない(下がらない)」
「まだ上がる(下がる)」
と、つい自分に有利なほうに情報を捉えてしまうことへの
戒めです。
平成ジャパンに置き換えれば、始まりのバブル期はこう
「まだ上がる」
はじけた後はこう
「もう下がらない」
バブルだったと気づいてからは
「まだ下がる」
と右往左往している間に、冷静な外資に美味しいところをもって
いかれたということです。
しかし、100年、いや10年単位ならともかく、1年2年のスパンで
で考えれば、下がり続けるということは古代ローマの「ボンベイ」や、
「カルタゴ」のように滅亡しない、されない限りは起こらないことは
歴史が証明しています。
すると今はどうか?
楽観的に「上がる」とは残念ながらいえません。
突然、話題を変えます。
「週刊少年ジャンプの黄金期はいつでしょうか?」
ジャンプに興味がない人のために説明すると、かつての
60年代から70年(昭和40年代)、
「ハレンチ学園」「男一匹ガキ大将」「ど根性ガエル」
こんな漫画作品が連載されていました。
私が覚えているのは1970年代後半、つまりは昭和50年代で
「リングにかけろ」「すすめ!!パイレーツ」「サーキットの狼」
アラフォーなら名前ぐらいは知っている作品となると80年代に
突入してからの
「キャプテン翼」「キャッツアイ」「北斗の拳」
といったところでしょうか。
ジャンプの代表作を挙げたらキリがありません。
そして1994年の年末特大号で653万部の世界一の
歴代最高部数を達成しました。
と、いうことはここが「黄金期」でしょうか?
それに対する私の答えはノー。
私見ですのでご意見には感謝しますが自説の押しつけは、
ご自分のツイッターやブログでどうぞ(いや、それもジャンプ
愛としてわかるのですが返答しきれないので)。
黄金期は80年代と考えます。
もちろん異論があるでしょう。
「ワンピース」や「ハンター×ハンター」「ナルト」などは
90年代後半ですし、2000年代にはいってからも一部海外で
社会問題になるほど広まった「デスノート」もあります。
しかし、何を以て「黄金期」とするかいえば、目安のひとつに
「部数」があり、ならば、「ピーク」の94年末ではなく、その
前とするのは
「ピークは結論に過ぎず、ピークを生み出した蓄積こそ
もっとも輝いている時代」
と・・・まぁこれももちろん私見ですが。
94年のピークを代表する作品に「スラムダンク」や
「幽☆遊☆白書」があり、これらは90年に始まっており、
90年代・・・とすることに違和感を覚えるのは、私も、ものを
書く生業をしている故。
「作品」の「仕込み」はそれぞれとはいえ、連載のはじまる前
からで「スラムダンク」においては、その前に「読み切り」が
ありました。そこから辿ると80年代に辿り着く・・・と、
些末な時の勘定をしているのではありません。ピークへと向かう
エネルギーは80年代に仕込まれていたとみるのです。
80年代に突入して「ジャンプ」は300万部を突破しました。
この時代の連載作品を以下に挙げます。
「Dr.スランプ」「3年奇面組」「ストップ!! ひばりくん!」
「ウイングマン」「ブラック・エンジェルズ」「風魔の小次郎」
「よろしくメカドック」「銀牙 -流れ星 銀-」
「Dr.スランプ」はあの「アラレちゃん」ですが、原作では
頻繁に「う○ち」が登場し、一歩引けば下品です。「3年奇面組」
は「ぶさいく」を「奇面」と称していますが、現代ならあちら
こちらからクレームがはいり連載は困難でしょう。
「ストップ!! ひばりくん!」はヤクザとオカマ(これも今なら
性同一性障害として扱われるのでしょうか)、
「ブラック・エンジェルズ」は暗殺屋さんで「風魔の小次郎」
は木刀で宇宙を破壊します。
「よろしくメカドック」は自動車修理工によるロータリー
エンジンの解説が差し込まれ、「銀牙」は犬が会話をして
集団闘争を繰り広げます。
ひとことで総括すれば「無茶苦茶」で、約30年前を大人になり
振り返り、このジャンプの作品群、とくに80年代のそれらの
「多様性」
に唸ってしまいます。
ちなみに同時期、マガジンの名作はこんな感じ。
「翔んだカップル」「あした天気になあれ」「1・2の三四郎」
「コータローまかりとおる!」「バリバリ伝説」
それと斉藤由貴さんを排出した「ミスマガジン」。もっとも
東宝シンデレラガールの準グランプリが先ですが。
コホン。同サンデー。
「タッチ」「ふたり鷹」「究極超人あ〜る」「トーイ」等々。
・・・ジャンプのぶさいくから自動車修理工までの幅の広さから
比べると「多様性」において見劣りします。作品それぞれの評価で
はなく一冊の漫画雑誌としての評価です。
この「多様性」が大きな資産として、花開いたのが94年末の
記録だというのが見立てで、「黄金期」を現象として捉えるか、
背景からみてもっとも「金の鉱脈」を掘り出した時期とするのか
の違いで、私は次々と鉱脈を発見した80年代とするのです。
もっと平易な例えをすればこうです。
「成り上がりの親と、その資産と人脈で成功した二代目」
二代目を否定する者ではありませんが、その「土台」を築いた
成り上がりに軍配を挙げるということです。94年以降も大躍進し、
あるいは600万部という記録に届かずとも近い数字を叩き出し
ているなら、評価は少し異なります。
ところが今の週刊少年ジャンプの発行部数はだいたい300万部。
つまり、80年代初頭並です。
インターネットに携帯電話、そしてテレビゲームと時間争奪戦
が激しくなっている状況と80年を単純比較するのはフェアでは
ないでしょうし、「健闘」していると思います。また、一時は
陥落した「玉座(少年漫画誌発行部数)」へ復帰したことへは
心からの賞賛を惜しみませんが「黄金期」として評価するなら
80年代とみるのです。
ここで強引に話を戻します。
さて、日本の黄金期はいつだったでしょうか。
そして「多様性」はどこにいったのでしょうか。
「多様性」を「貯金」と言い換えてもいいでしょう。
結論を述べれば、いまの日本は昭和、あるいは戦前から貯蓄して
きた「貯金」を食い潰してしまいました。
多様性はそのひとつ。
ビジネスは世相を映す鏡で、ひとつの成功をみなが飛びつき
多様化は置き去りにされ画一化へとひた走ります。
街が画一化されます。
ファストフード、ファミレス、チェーン店。
100円ショップにデフレファッション。
一見、バリエーションが豊かなようですが、すべて規格品です。
商店街は扉を閉ざし、街の洋食屋は鍋を洗います。
タバコの議論もそう。「健康」というひとつの価値観の前に
「趣味や嗜好」は議論すらできなくなります。暴論と覚悟すれば
武士の腹切りと健康など相容れませんが、かつては存在した
価値観のひとつです。
個性もそう。個性の多様性と無分別は次元が異なる議論ですが
「生き方(あるいは自分探し)」なるものまえに膝を折ります。
エコなど最たる例。地球に優しいという金科玉条の前に、
数値の改竄が行われていたことはさらりと流され、振り返られる
ことは希です。
ちなみに現代日本が食い潰してしまった過去の貯金にはこんなものも
「勤勉性」「上昇志向」「競争心」
あ、あの組合の嫌っているものばかりだ。
多様性とは種の保存のリスクヘッジ。と、考えるやはり日本の
未来へ投げかける「もう」を告ぐ言葉は「だめ」・・・としたら
切ないですね。