小沢一郎幹事長の真の狙いは自民党の復活!?

 先日、ある大新聞の記者から取材を申し込まれての雑談中、知っ
たのですが取材方法は私のそれと違いがないことです。

ある事案・事件に疑問を持った時「仮説」をまずたて、しかし
仮説に固執にしないように情報を集め、仮説との整合性を確認し
ピースがはまらなければ仮説を見直し、再び情報収集に取り組むと
いった作業を繰り返すといいます。

これはビジネスも同じです。成功例、失敗例、ビジネスモデルに
対して自分なりの「仮説」をたて情報にあたり、整合性をとって
いき実像に迫ります。もちろん、仮説の修正を迫られることは
珍しくありません。

私がこれを身につけたのは営業現場で、お会いする社長が必ず
本当のことを語るわけではなく、言外の含み、虚飾、虚偽、妄想
をフィルタリングしなければ、自分自身の商品価値を下げてしまう
必要に迫られたからです。相手の言葉を鵜呑みにするリスクです。

この仮説作りにおいて「人」の背景は重要です。豊かな環境で
育った人と、極貧に耐えた雑草では異なり、同時に金銭の多寡で
人がゆがむのは養育時の愛情の多寡とも密接な関係があります。
また学歴や職歴も仮説を検証する材料で、また使う言葉によって
も仮説の修正が求められます。

今回は「仮説」編です。
現時点での政権与党民主党の「仮説」です。

まず首相。鳩山由紀夫さんについて。
故人献金への対応ですが「知らなかった」は政治屋の十八番で
すが彼に限定すれば本当かもしれないと思ってしまいます。

「個人商店 鳩山由紀夫」

として金の出入りを丸投げにしてチェックもしていなかったと
すればあまりにも無責任ですし、金の出所が企業ではなく本人や
家族である点から「事件性」の乏しさを指摘する声もありますが、
野放しにすれば建前論と笑われるとしても

「金持ち勝つ」

が立証され、金持ちの金持ちによる金持ちのための政治がまかり
とおるリスクも内包している問題なのですが、今回の主題はここ
ではありません。

「仮説1:鳩山由起夫首相は自分のことしか考えていない」

プラスしても幸夫人のことまでで、自身の政治団体にも頓着しな
いのは比喩ではなく文字通り、自分の手の届く範囲でしか考えら
れないのではないかという仮説は彼の発言によります。

a:私はクジラ肉は大嫌いだ
b:私はタバコを吸わない
c:トラスト・ミー

aはオランダのバルケネンデ首相との会談での発言で、日本の
伝統食文化であり漁業を個人的な好みで切り捨てます。野党の
党首ではなく日本国の総理大臣です。縄文時代からクジラと接し
てきた国のリーダーが、自分の好みを優先して発言します。

次のbも「健康」や「財源」という政策面からではなく、
嗜好の告白です。

そしてcは米国大統領への発言ですが、その本人のリーダー
シップが見えてきません。

そら恐ろしくなる仮説ですが、私にはこう見えました。

「違うんだよバラク(オバマ大統領)。私を信じてといった
じゃないか。それは民主党でも日本国でもなくあくまで
人間、由起夫を信じて欲しいという意味なんだよ」

つまり普天間もなにもなく、個人の売り込みだったのではないか
というふざけた話し。

近日、この仮説が覆される日が訪れることを楽しみにしています。

続いて仮説2はこちら。

「仮説2:普天間に見る民主党のニート度合い」

子細は省き仮説の骨子だけ。

「米軍はなにがあっても出ていかない、仮に出ていっても日本を
同盟国として守ってくれると盲信していないか」

それでは何故、ニートか。それはこんな姿と重なるからです。

「親は子供の面倒を見るのが当然。こう育てたのも親だし。
困った時だけ助けて、あとは子供のやりたいようにやらせる
のが親の義務だ」

ニートという表現は不正確かもしれませんが、成人後も自立
できず、親の世話になりながら、ことあるごとに親に毒づく
子供の姿と重なります。

余談ですがニートを持ち出したのは例の「事業仕分け」も
含めて、「働く(=稼ぐ)」ための方針がまったく見えてこず、
学術研究予算を削る様に、働かない、学ばないのニートと
二重写しだからです。

米国は自国の国益のために日米同盟を組んでいるのであって、
利益とリスクを天秤にかけてリスクが上回れば日本から撤退
どころから「日米同盟解消」だって厭わないのは世界の常識です。

最近の私の思考実験テーマは「米国が日本を捨てる日」。
まとまれば発表します。

最後の仮説です。

「仮説3:小沢一郎幹事長の真の狙いは自民党の復活」

衆院選直後から選挙対策に動いています。世論の動向をみな
がら国会を動かしています。誰の目にも鳩山さんでも菅さんで
もなく、小沢一郎の号令一下に政治が動いていることは明らか
です。

そして議連の仕組みを変え、予算の仕組みを変え、つまりは
自民党時代の仕組みを変えることで、政官業の再編を目指す
動きがちらちらと見えてきます。

「それはいいことではないか」

もちろん、国益に適っていればです。ところがそこに

「国家観」

がありません。残念ながら「新自民党」からも見えてこず
一方で

「外国人参政権」「事業仕分け」

といった自民党でも噛みつきやすい政治案件を小出しにして
私の目には小沢一郎調教師の術中にはまったポメラニアンの
ように管理下に置かれているように映ってしまいます。そして
メディアが

「自民党にもしっかりして貰わなければ」

と同情的なコメントを述べることで「不甲斐なさ」が国民に
定着し、そのまま参議院選挙に滑り込みこちらでも民主党が
「圧勝」するという絵図を描いているのではないかと。

それがなぜ「自民党」に繋がるのか? 参院選も自民党が
負ければ組織として維持するのが困難となる可能性は大です。

すると少数党への分裂、乱立の可能性が高まります。

少数党でも小沢一郎さんに恭順の意を示せば、重用される
希望があることは国民新党ですでにみせています。自民党の
議員として小沢一郎さんに尻尾を振ることはできなくても、
新しい「××党」としてなら「詭弁」を弄することは容易い
話しです。

と、同時に小沢さんからしても「民主党」という身内に
はいってかき乱されるより、「下請け業者」という位置付け
での連立なら、不用になれば切ればいいので気楽です。

そして「オール与党」の国会が生まれます。

国民の声は二大政党を期待しているのだからそうはならない。

と、思うでしょうか。しかし、その時、二大政党の一翼が
すでになかったとしたら、あっても十数人の小規模党ならば。

いつかみた社会党の姿と重ねてください。

結果的に悪政を強いたとしても

「他に投票する党がないから」

と自民党に投票していた時代の再現です。

つまり、もっとも自民党が輝いていた時代への再帰です。
名前はもちろん「民主党」ですが。

師匠、田中角栄を追いやった自民党へ復讐して、同時に
その栄光を再び我が手に。

この仮説に国民は存在していません。
同時にこの「仮説」が覆される情報があがってくることを
期待しています。どこの政党を支持するかではなく日本国民
として。

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