内田の足が止まっている

 先週末のサッカー日本代表オランダ戦。結果に唸りました。

負けたことではありません。
名将ヒディングの指摘通りだったことがです。

テレビ番組の取材で「日本代表」を問われ、素晴らしいチームだ
と社交辞令をいれた後で、

「60分までのチーム(筆者要約)」

とばっさりときります。その後のVTRで示された結果が今回、
確認できたということです。そしてその指摘に耳を傾けないので
あれば日本サッカーの歩む道に暗雲がたれ込めます。

足が止まる。

力が尽きた選手の表現ですが、ならば足が止まらないタフネスな
選手を招集基準にしなければなりません。

また、中村俊輔選手と若手との齟齬が週刊誌レベルで噂されてい
ますが、それは

「中田ヒデ」

の時から言われていたことで国内組か海外組か。融合を目指すの
なら低きに合わせるバカはいないでしょう。

・・・十年一昔というより十年一日のごとし。この10年間
同じコトが繰り返されてきました。そして退化しつつあります。

選手個々人のレベルは上がり、代表チームも10年前よりは
レベルアップしており、このことではありません。

「報道姿勢」

です。これには協会の圧力もあったとかないとか噂されていま
す。川淵&ジーコ批判に対して取材パスをだすとかださないとか。

私は「選手を信頼する」ジーコの流儀がお気に入りで批判の
なかには不当なものもあり、苛ついていましたが、本人である
ジーコの言葉を噛みしめながら報道に接していたものです。

それは

「勝利は選手の活躍、敗北は監督の責任」

というものです。

しかし、日本人としてどうなのかなぁと思ったのは、Jリーグの
大恩人を三顧の礼でお呼びしておいて、さんざんっぱら文句をいい
ワールドカップ3戦全敗に石を持って追い払うようなやり方。

かつては「非礼」と呼んだものです。

ところがオシムになると手のひらを返します。前述の圧力の
影響だけでなく、言葉の表層を捉えることしかできないメディアが
老獪な知将に翻弄され、真意を探ることに傾注し本筋を見逃し
ます。

続いて岡田監督。こちらへの批判もやんわりとしたものです。

いくら「練習試合」だからといって敗北を反省しなくて良い
道理はありません。

ついでにですが「解説者」のレベル低下にも危惧しています。
あの「チーム」を「てぃーむ」という人です。芸人としては
面白いのですが、サッカーの醍醐味を伝える人としては資質を
疑ってしまいます。

先日の試合では後半こういいました。

「内田の足が止まっているから交代させた方がいいのではないか」

テレビ画面はボールのあるところしか映さないので本当かどうかは
分かりませんが、確かに攻め上がる局面で上がってきていません。

すこし解説を加えると内田選手は右サイドバックという
ポジションでバックの名前の通り、自陣の右側に陣取っており、
ただ野球と違い位置が固定されるわけでもなく、攻撃になれば
敵陣に上がり攻撃機会をつくるのが仕事です。もちろん、点を
取ることに異論はありません。

しかし、画面の右側敵陣、つまり内田が上がるべき場所でボールを
もっていたのは中村俊輔選手。小学生のサッカーならばオフェンスも
デフェンスも関係なくボールに群がることもありますが、
代表クラス(どころか、これは常識ですが)ならば反撃に備える
こともまた重要で、フィールドのすべてを見渡せない視聴者に
伝えるのが解説者の仕事で、この映像だけでは足が止まっている
根拠が分かりません。

それはこういうことです。

1:内田の足が止まり上がってこないから俊輔がそこにいる

駆け上がり、ボールを受ける内田がいないため、中村俊輔が
そのスペースを使っている

2:敵に囲まれている俊輔のフォローとして内田がオーバーラップ
しなければならないのに動いていない

敵に囲まれた選手のフォロー、または囮として駆け上がることは
よくあることで、そのどちらかを根拠に足が止まっている示さなけ
れば素人には分かりません。

・・・だって、ボールが来れば走り出しますからね。あきらかに
疲労困憊して「足が止まる」シチエーションもありますが、今回は
そこまでではなく、反応の遅れはありましたが、私は最近の日本代表
の特徴をこう捉えています。

「疲労性パニック」

体力低下により正常な判断ができなくなり、右往左往して失点し
ているのではないかということです。単純な体力不足ではなく
精神的な弱さではないかという見立てです。

つまり解説が素人の感情を高揚させる言葉に時間を割き、肝心の
競技の醍醐味や妙味を伝えていない・・・ことが多いのです。特に
テレビ朝日は。

また先ほどの解説ですが「足が止まっている根拠」を解説しなけ
れば説得力がないのはこういう可能性もあるからです。

3:俊輔がいるから内田があがれなかった

攻守のバランスのためです。前述の疲労性パニックによる弱気が
そうさせたのかも知れませんが、ならばそこは監督の仕事です。

そして話を本筋に戻すと、これがジーコならば「解任」の文字が
スポーツ紙を賑わせたことでしょう。トルシエでもそうだったかも
しれませんし、加茂さんでも同じくです。

残酷かも知れませんが「批判」が我らが代表を強くした面も
あるのです。

かりそめのFIFAランキングを根拠に勝利予想を広めるのは
大東亜戦争時の大本営発表と同じです。指導者への批判が許され
ない空気も同じです。

しかし、その先に待っているものを私たちは歴史で学んでいる
はずです。

日露戦争の勝利で国際舞台のプレイヤーになりました。だからと
いって植民地ワールドカップで優勝するほどの実力は残念ながら
ありませんでした。

ワールドカップ予選まではでられるようになりました。それは
アジア枠のお恵みによるものであることはファンは知りません。

それが実力なのですが。

批判のための批判は論外ですが、正すべきは正さなければなり
ません。ましてや報道に携わるものなら健全な批判精神は基本原則
です。それは政治だけでなくスポーツでも。

ワールドカップで勝てない日本に「ファン」は飽きているのかも
知れません。そして協会の圧力が・・・あるのかもしれません。

しかし、こんなことを続けていればファンがサポーターになる日
はこないと危惧します。

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