今、日本人が問われています

 読売新聞の人事異動に嫌気がさし、あまり触れませんでしたが
イチロー不振が報じられ、それはまるで

「A級戦犯とするための伏線」

のような報道に苛つき、

「イチローだけ頑張れ」

というひねくれた心で見ていました。
監督選任から紆余曲折、選手選抜から某球団からは誰も選手を
出さないなど諸処のすべてが彼に集中していたように感じ応援し
ていました。

そして結論を述べれば

「よかった」

それは、あのマウンドに国旗をさされた屈辱を味あわずに
すんだこと。韓国の報道によればあの行動は「日本」が相手だっ
たからではなく「世界の列強」となったことを韓国国民に示す
為だったといいます。

まぁそうかもしれません。なにせ

「母国国歌斉唱も静かにできない」

のですから日本人的な道徳や価値観でみてはならないのでしょ
うね。昨日の決勝戦前の国歌斉唱韓国編で例の「デーハミングック」
の声こそ聞こえませんでしたが太鼓の音が鳴り響いていました。

国民性や文化の違いは理解しなければなりません。

で、理解したから許すかと言えばさにあらず。主張すべきは
しなければなりません。それは南朝鮮ではなく北の方。

ミサイル発射です。

人工衛星という名前のミサイルを発射すると将軍様は
いいました。人工衛星の発射実験で、ルートに日本があるのは
たまたまという論理のようですが、受け入れてはなりません。

それでは打ち上げに際してそのルートに「周辺諸国」がある
国は実験ができないのか! ではありません。そういう場合は
安全な実験場を他国に借りるものです。つまりは北朝鮮も
そうすべきです。

「他国を借りずに自前でやりたい」

それをワガママと言います。将軍様のワガママがとおるのは
北朝鮮の文化風俗かも知れませんが日本には通じないと言わな
ければならないのです。

そして今、日本人が問われています。

ミサイルを迎撃したら戦争だと彼らは言います。

さて、やりますか? 闘いますか? それとも?

迎撃について「識者」はできないといい、政府筋でも疑問視
する声があります。

「できないなら無理することはない」

というのは一見正論です。しかも

「無理して事を荒立てることも」

という日本人的な落としどころも納得しやすいことでしょう。

さらに問います。

「じゃあ本当に日本に向けてミサイルを発射したら」

迎撃できないから・・・座して死を待つのでしょうか。
それとも撃たれる前に白旗を揚げるのでしょうか。
いやいや米軍の第七艦隊をデリバリーしてどうにかして貰う
ように祈るのでしょうか。

問われているのです。平和国家の平和とは何を持って支え
られ、維持するためにはどうしなければならないのか。

ソマリア沖への「派兵」も同じです。草創期から本稿を
お読みいただいている方には懐かしい表現かもしれませんが
自衛隊という軍人さんを送る場合は「派兵」としています。

脅すわけではありませんがミサイルの先にあるのが「核」
だって視野にいればなければなりません。そして将軍様の
部下が述べるように「戦争」だってあり得ることを私たちは
忘れています。

追い込まれた国家が暴発することは歴史を見るまでもあり
ません。そしてイラクやアフガンと違い、彼国には中華共産
帝国という後ろ盾もあり、同じく「対日」でみれば利益を
共有できるシロクマも控えています。少しだけ妄想の羽を
広げてみると、佐渡や福井に特殊部隊を上陸させ佐渡なら
人質、福井なら原発を盾に「交渉」にはいるかも知れません。

そしてまったく「成果」が望めなければ将軍様がこういいます。

「軍の一部が暴走して」

成功すれば中国とロシアを巻き込んだ「和平協定」で
領土問題も絡めてきます。それではアメリカはといえば・・
・同盟国の自動的報復も「人質」をとられた日本政府の
意思がなくては動きようがありません。だから中露主導に
なるのでは・・・という妄想です。

WBCの優勝が私たちに北朝鮮が投げかけた問いへのヒント
となるかもしれません。

「侍ジャパン」

侍とは諸説あり、さらに幕府や犯の役職に就けば
「官僚」的性質も持つのですが、その本分を現代風に置き
換えるなら

「職業軍人」

です。WBCの野球人は見事に闘いました。そして
対戦相手や審判への礼儀を忘れない「侍」でした。

うろ覚えで申し訳ないのですが、アフガンかイラクかで
自衛隊を賞賛する声でこんなのがありました。

「規律正しいのも素晴らしいが何より盗まない」

・・・世界の軍人さんの戦場での評価がうかがい知れます。

で、侍。悪代官も侍身分ですが、自らを律し、腹が減っ
たら爪楊枝を食べる(洒落ですよ。念のため)侍。

北の将軍様が威嚇します。
赤い水軍が日本の庭を荒らしています。
シロクマが日本漁船を狙い撃ちしています。

侍のぶら下げる刀は飾りではありません。
抜くからの刀で、人を切るための道具、そしてできるだけ
切らないようにする為に己を律します。

そう、「侍の国」への回帰がいま求められているのです。
将軍様によって。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください