小泉純ちゃんの後に誰かが総理になることを承知の上で

うらなり瓢箪の実写版に見えても我が国のリーダーであることか
ら、あえて取り上げていませんでしたが、彼については年金未払い
が発覚するやとっとと逃げ出した官房長官時代に指摘したことであ
り、それ以上、貴重な時間を割くつもりはありません。

ま、先週民主党の野田君への言葉と重なりますが、

「戦うべき時に戦わぬもの」

はどんな理屈を陳列しても卑怯者といいます。昭和の価値観かも
知れませんがね。

そして負け戦でも負け方があります。
土下座にも作法があり、またどうせ負けるなら土下座ではなく、
相手に頭を下げさせる負け方もありますし、更には「道連れ」、
もとい「刺し違える」のもケジメの取り方です。

育ちのよろしいお坊ちゃんには負けるというレッテルが嫌だった
のでしょうね。あとは「群馬県第4区」の皆さんが判断することです。

それにあの坊ちゃんは満足だったのではないでしょうか。

「中国様のオリンピックの成功にお役に立てた」

わけですから。角福戦争からの因縁を考えれば、敵の舎弟頭
(小沢一郎)を出し抜いて中国様の晴れの舞台に臨席できたので
もう思い残すところはなかったのでしょう。余談ですが、その
意味からも昨年の「大連立」は、中国様への「愛」を示すための
「呉越同舟」だったとすればそら恐ろしい計画でした。

メディアは「なぜ、この時期に」といいますが、24時間テレビ
のマラソンじゃありませんから、そんなに都合良く準備している
ワケではありません。そして辞めるまでは舵取りに文句や注文を
出し続け、辞めれば「なぜ辞めた」というメディアにイライラし
ているので全く別の見方をひとつ提示してこの話題の〆とします。

「民意を問えと言うが民意が選んだ迷走政権」

覚えていますか? 郵政解散選挙を。
郵政民営化か否かという二者択一を迫り、本質から目をそらせた
と「選挙後」マスコミは評し、そう語っていますが、踊らされたの
は何よりそのマスコミで自己反省もなくのうのうとそれこそ
選挙結果という民意を無視して小泉批判を繰り返し、ようやく辞め
たら後継者の安倍のぼっちゃんの「人格否定」をしました。

しかし、思い出してください。選挙を。あの頃から小泉純ちゃんは
こういっていました。

「自民党総裁任期満了をもって退陣」

これも2005年の郵政選挙の時には一部話題になっていました。

途中で辞める小泉自民党を支持するのか? と、特に小泉嫌い
メディアは取り上げていたのですが、圧勝という結末です。

つまりこういうことです。

「小泉純ちゃんの後に誰かが総理になることを承知の上で国民は
選んだ」

有識者という電波芸者はこれを「総選挙」と絡めますが、それは
日本の法律にはなく、永田町とテレビ局や新聞社だけで通じる
「符丁」のようなものに過ぎません。またぞろ、福田の坊ちゃんが
辞めるに当たり「民意」が御旗として掲げられていますが、我が
日本国は符丁が頂点にあるのではなく「法」により治められている
のです・・・建前でもここは歯を食いしばって。

だから民意云々はメディアと野党の主張であって、それに乗せ
られるとしたら、私たち国民はいつまでも馬鹿にされ続けてしま
います。自分たちが世論を動かしていると盲信しているメディアに。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください