初級編だった浅草酉の市。日本人・・・江戸っ子は元来いい加減。

ちょっと我が町自慢を。

我が町「足立区」にある「花畑大鷲神社」の酉の市がお酉様の
発祥の地なのです。

今では浅草や新宿の酉の市が有名で、テレビ中継もそちらばかり
ですが、

「元祖酉の市」

は足立区の花畑なのです。

何せその由来は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」に発します。

<a href=’http://www.adachiseikatsu.com/walk/ootori.html’ target=’_blank’>「花畑大鷲神社」の酉の市
http://www.adachiseikatsu.com/walk/ootori.html</a>

江戸時代より「お酉様」が始まったといわれますが、もともとは
綾瀬川を船で上り「花畑」に通っていたものが、平たくいうと

「遠いなぁ」

という訳で、北千住に「中とり」を設けて、更に浅草の竜泉寺で
「初とり」が行われました。

まぁ初級編、中級編、上級編(本家)という具合です。

・・・ところが。

これが日本人らしさというか江戸っ子らしさというか、初級編の
浅草にはすぐすぐご近所に「吉原」という一大歓楽街が待ちかまえ
ています。

余程の信心深いものでもない限り、この「スケベ」も含めたこの
誘惑に勝つのは難しいでしょう。

まして江戸は開発ラッシュの人口流入から、男女比率で異常なぐ
らい男やもめが多かったことから、「お楽しみ」といえば・・・と
いう具合で初級編は何かと都合が良かったのです。

ちなみに女性にとっては「買い手市場」だったことから、気に入
らなければ三行半を突きつけられるのは男だったそうです。
明治以降の武士の世復権と、時代劇の影響から男尊女卑のイメー
ジが強いのですが、江戸の町人の事情は違ったようです。

そして人が賑わえば、由来も伝統も関係ないというのは現代の

「日本全国よさこい・ソーラン」

と同じです。

メディアの発達により、

「取材され易いところばかりが注目される」

ことも浅草や新宿の隆盛に手を貸しました。

もちろん、「神様」のことですから、どこが本家で分家でも
ちっぽけなことですが、この季節のウンチクとして覚えておくと
居酒屋で「語れ」ます。

良くも悪くも「いい加減」なのですよ。日本人って。

今年も三の酉まであるので「火の用心」してください。

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