曽野綾子氏のコラムについての騒動を報じる見出しに
「海外からも批判が」
とあるのですが、その構図が「慰安婦」にそっくりなことが気になります。見出しの付け方ひとつで、印象操作は簡単で、それを朝日新聞では「角度」と呼びます。
私が曽野綾子氏のコラムをひとつの見識とみたのは、その批判の対象となっている「居住区」についてです。ぷち炎上したブログで、これに「コミュニティ」とルビを振るとしたように、人種隔離という連想はしませんでした。ただ、日本が「移民」を受け入れるとするなら、実際に居住区を分けるかどうかはともかく、曽野綾子氏が指摘した文化習慣の違いに、目を逸らすわけにはいかないと考えたからです。
この騒動を報じる朝日新聞は「共生は可能」という、反論できない錦の御旗を立てて、批判的な論調でまとめていましたが、結論を述べれば共生は可能としか言いようがありません。時間軸を明示していないのですから。
300年後に外国にルーツをもち、その国の文化を守り続けた民族が、日本人の主流派になっていても共生は嘘ではないからです。
朝日新聞が紹介する事例は、外国人のタレントや、商店主で、唯一肩書きがなかったのは
「東京・大久保に15年前から住む40代の韓国人男性」
だけです。新聞がコメントを紹介する際は、氏名と年齢、職業を紹介するのは、どの立場からの発言かが分からなくなってしまうからですが、朝日新聞には時々、こうした不可解な記事を見つけます。
ともかく陰謀論の類ではなく、少なくとも望んで日本にやってきた外国人と、移民でやってくることになる人々は、根本的に違うという視点が抜けたままの「共生可能」は楽観的すぎます。
また、この朝日新聞の記事では、日系ブラジル人を大量に受け入れた群馬県大泉町が、摩擦を乗り越え共生へと向かったかのように、紹介されていますが、後に触れる「週刊新潮」における記事では正反対の事例が紹介されています。
南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使が抗議してきたそうで、コラムを掲載した当事者である産経新聞は
“アパルトヘイトの歴史をひもとき、「政策は人道に対する犯罪。21世紀において正当化されるべきではなく、世界中のどの国でも、肌の色やほかの分類基準によって他者を差別してはならない」としている。”
と大使の抗議を報じています。
歴史を紐解いたとき、日本には奴隷制度がなく、日教組が喧伝した士農工商の身分はありましたが、実に曖昧でカーストの最上位の「士分」が購入できた事実からしても、欧米のそれは日本に当てはまりません。
これをペコ駐日大使にご理解いただく努力、という発想はまさに日本人的ですが、駐在しているのなら、そうした日本の歴史を踏まえた上で、「今後も差別のない社会であるべきだ」ぐらいは添えて欲しいものだと、むしろ反論するのがグローバルな世界をサバイブする術であることは、「慰安婦」が国際社会に喧伝された屈辱からも明らかです。
駐日大使だから日本に造詣が深くないことは、同盟国のお嬢様が証明して見せたようにです。
曽野綾子氏への批判にこんなものがありました。要約です。
“私の息子の嫁、つまり義理の娘はアメリカ人で、私自身四半世紀も海外で暮らしている。その経験からこのコラムは論外だ”
なるほど、と頷きはしません。これはプロ野球選手がいう
「キャッチボールなんて簡単だ」
と同じだからです。
ブラジルやハワイへの移民をのぞけば、いまも海外に暮らす日本人、または海外を飛び回る日本人は、自分が望んで海外の水を飲んでいます。その活躍、当地において日本人の国際交流に貢献しているのであれば、まことにありがたいことではありますが、人には向き不向きがあり、社会にはそれぞれの役割があります。
外国人とのコミュニケーションも慣れたものであり、得意な人種が海外で活躍します。業務命令であっても、馴染めない種族は、ミッションがコンプリートすれば、ハリーアップでバックホームすることでしょう。
紹介した批判は、コスモポリタン的な素養を持っている人の発言であり、果たしてそれがドメスティックな日本人にどれだけ当てはまるのか、という議論が「移民」を考える上で、すっぽりと抜け落ちています。
実際の所、政府の移民に関する議論は雑で、いまのままでは賛成などできませんが、一方で、移民政策において楽観論を述べる人は、日本で生まれ日本で育ち、海外旅行をさして望みもしない日本人について
「国際化」
のひと言で思考停止し、日本人の矯正を目指しているように見えて仕方がありません。
外国人に隣に住んで欲しくない、と素朴に思う日本人の主張は認められないのであれば、それは国家の三要素が主権と国土と国民であることからみた本末転倒です。
日本人以外はでていけという極論を述べているのではありません。現実にはそう思う人がいる、という事実を指摘しており、いま現在住んでいる日本生まれの日本人と、外国生まれで違う文化背景と思考法を持つ移民と、どちらが優先されるべきか、あるいは全く同等の扱いを現時点においてすると決めるのか、はたまた一定の基準や要件を儲けるのか、といった「そもそも」ベースの議論が必要だということです。
議論の末に
「日本国は日本人だけのものではない」
というルーピー鳩山的な結論に達したのなら、それに従うのが日本の民主主義で、その一員として私も従うことでしょう。
身近な話しに置き換えた「移民」とは、一時的なホームステイを受け入れるという話しではなく、既に成人した外国人を、養子に迎え入れ、生活を共にするようなものだということです。
家族がひとつの部屋にあつまり「川の字」で寝るのか、個別の寝室を与えるのか、またある程度、日本語ができるものを養子にするのか、言葉は問わないのか。などなど、課題は山積です。
今朝の日経新聞はインドネシアの移民受け入れについて、現地紙「コンパス」の報道として、
「インドネシア語能力の義務化」
を検討していると報じていたようにです。
EU諸国が、移民を巡るトラブルが増加しているのは、そもそもベースでの議論が欠けていたか、議論があったとするなら、その結論に欠陥があったとみるべきです。そしてこれも「歴史的」にみれば、日本にそのまま当てはまるものではありません。
我が町足立区は、かなり国際色豊かです。
いきつけの寿司屋の二軒隣の一軒家に、中国人の女性が確認できただけで5〜6人で集団生活を営んでおり、以前住んでいたアパートにはご主人が中東系の家族が住んでいました。いまは宅地となった公園では白人が太極拳を練習し、お隣の川口市は「キューポラのある町」で、そこには鋳物工場で働く黒人がいて、フィスブックのCOO、シェリル・サンドバーグの著書(原書)を、神社のベンチで読みふけるスペイン系とおぼしきママも、すべて愛犬の散歩途中にみかけた人々です。
中国人女性については、自転車で通勤する彼女らは集団走行をするので、その時みかけたざっとした人数で、昼食も家に帰って取るようなので、年がら年中みかけるから、とわざわざ断るのは、一旦差別という「色眼鏡」でみると、すべてをそう結びつけるのは、朝日新聞の得意技ですが、同じ思考回路の人間からの、面倒な批判への防護策です。
なぜなら、ぷち炎上したブログで「中国人」と、この前段のような形で紹介したところ、こんな批判がありました。
“わざわざ「中国人」ってだすところに差別意識が”
目に映る事実を、そのまま書いていただけで差別になるなら、表現の自由どころではありません。批判者における差別意識が露呈瞬間ではありますが、面倒なので念のため。
むしろ、私を「ネトウヨ」とするなら、朝鮮人、韓国人という記述がないことに注目して欲しいものです。
半島の人々は、多くが同化しているせいか分からず、唯一近所であげるなら「韓国風居酒屋」のママさんが、地域広告で「韓国人ママの手料理」と宣伝したので、彼女はそうなのでしょうが。
脱線ついでに言えば、ツイッターでの批判に
「アイハブブラックフレンド理論」
なる指摘がありました。
「私には黒人の友だちがいます」
と述べることで人種差別主義者でないとアピールするもので、米国社会の根底にある差別との葛藤の表れです。あるいはカモフラージュ。
ダナ・ボイドによる、アメリカの若者がサイバー空間にいりびたる理由をフィールドワークにより明らかにした『つながりっぱなしの日常を生きる』でも、登場する
「私は人種差別主義者ではないけど」
と前置きした上で、人種の違いによる課題を述べる若者と同じです。また、白人警官による黒人青年の射殺事件などから見るに、そこに差別はまだある、とは状況証拠からの推論ですが、なにより先のブログで「友だちがいる」とは言っていません。
土地柄、在日韓国、朝鮮人は何人も同窓生にいましたし、高校の頃は通名を名乗っていたので知りませんでしたが、卒業後なんどか旅行にも行き、酒を酌み交わすようになった同級生が、在日だと知りますが、だからと何も変わらずに過ごしております。そして彼の結婚式に呼ばれなかったので、「友だち」と表記することは控えております。
なんの間違いか、高校時代は生徒会長を拝命していたこともあり、卒業式に日の丸掲揚を職員室に談判に行き、最後は恩師による泣き落としで断念させられた経験が「民族と国際社会」を考えるきっかけになっており、インターネットが普及したから声を上げた「ネトウヨ」と呼ばれるのは心外です。
平成元年 18才の私の主張と恩師の会話
ミヤワキ「国際化社会に旅立つ我々は、日本国を代表するひとりだという自覚が求められ、日の丸=国旗は国家の象徴であり、それを背に母校を巣立つことは当然ではないか。アメリカが星条旗に忠誠を誓うように(発言要約)」
恩師「パッと見た目では分からないが、この学校には色んな国の人が通っている。日の丸に嫌な思いをする人もいるんだ(多分、そのまま)」
ミヤワキ「だって日本の学校(正確には都立高校)でしょうに」
恩師「(バツ悪そう)わかってくれよ。俺もサラリーマンなんだよ」
職員室でのひとこま。
恩師は周囲の教員をチラチラと見ながら、小声で説得します。日教組の教員が多かったようです。
そもそも、卒業式実行委員会の管轄は恩師ではなく、どの教師、それが強面であろうが校長であっても、筋が通らなければ意見を曲げない私が唯一従ったのがこの恩師で、連中は私の弱点を突いてきたことを悟りました。
「大人ってずるいなぁ」
そして少し、大人になった気がします。
脱線が快適に進行し、北陸新幹線のような新線になる勢いでしたが、話を戻します。
かように周囲に外国人が多いので、外国人アレルギーはないに近いのですが、先の義理の娘がアメリカ人の海外在住コスモポリタンを思うとき、いま、近所に住む外国人もまたコスモポリタンであれば、移民議論においては留意しなければならないと考えるのです。
つまり、日本が好きであったり、日本に溶け込もうとしたり、またそれが他の国に行ったとしても、現地に馴染めるタイプなら、もちろん肌の色を問わず、別の言葉にすればフレンドリーな習性と、高い環境適応能力を持つ人々が、私の近所にいる外国人ではないかという仮説です。
ブラジルを筆頭とする中南米やハワイへ移住した日本人の多くが、国内で困窮から脱出するために海を渡りました。個人の趣味嗜好や能力いかんに関わらず、生活のためだけに海外を目指した人々もいて、日本が移民を受け入れるのなら、同様の立場の外国人が日本にやってくると考えるのが妥当だということです。
そして「空気」を読み、波風を立てず周囲に同化しようとする日本人の気質は、世界においては特異な存在で、つまりはそうでない人々がやってくるのが移民です。
日本人のなかには、国際化こそなによりも正義で、グローバル化しない日本人を卑下する、これまた自虐的発想が日本人らしくと微苦笑が漏れるのですが、世界中を見渡しても、それぞれの国の国内問題しか興味が無い、正しくは「毎日の生活」に忙しい国民の方が多数派で、日本人だけが特別、内向きだという証拠はありません。
映画評論家の町田智浩著『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』によれば、パスポートを持っている米国国民は2割に過ぎないそうです。広大な北米大陸があるから、海外に出る必要がない? となれば、国際化とは土地面積に左右されるということでしょうか。
確かに資源も少なく国土も小さな日本は、海外との関係は重要です。先のコスモポリタンが代表するかは分かりませんが、すくなくとも極東からクレムリン当たりを飛び回り活躍する日本人を、私は知っていますし、偉いなぁ、ありがたいなぁとつぶやいたりもします。
しかし、一方で帰国した彼らが変わらぬ日本にホッとする、安堵するのは、個人的な郷愁だけではなく、その国土、国内を機能させ続けるドメスティックな日本人の存在があるからです。
居住区=アパルトヘイトではなく、UR(公団)における単身者住宅と、家族向けのような区分も必要ではないか、という視点に賛同します。
是非は議論の末に、それこそ、国民の総意で決めれば良いことで、技術的に可能かと問われれば、移動の自由や住居の自由との兼ね合いから、固定化した「居住区」は現実的には不可能でしょう。
しかし、同時に人が生きる、生活するという現実が抜け落ちたままの移民の議論は、禍根を残すとは、微かな私の経験からの警鐘です。
同じアパートに中東系のご主人の一家が住んでいました。奥さんは日本人でしたが、週の大半は夕食時になると、独特の香辛料の香りが換気扇を通じて、共有スペースの廊下に充満させます。
食のヘンタイを自認する私も妻も、どんな料理なのかという興味が湧くだけでしたが、それは1フロア6室の端と端だったからで、その隣家は夕方になると、廊下に面した窓が開けられなかったようです。また、夕方まで残る二日酔いをする方が悪いとは言え、体調によっては正直、えずくこともありました。
これがアジの干物や、日本のカレーライスの匂いなら、そうなることは無かったでしょう。そして、それは私だけのことではないようです。
「週刊新潮」の2014年10月16日号に掲載されたノンフィクション作家 増田晶文氏による『南米移民の町「群馬県大泉町」を歩く』で、同様の不満が紹介されていたからです。
“記事によれば1990年「日本は難民の受け入れに消極的」という国際的な批判を受け、入管法が改正された。日系3世までの就労条件が緩和され、日系ブラジル人に「定住者」としての門戸が開かれる(同記事より)”
これにより多くの日系ブラジル人が来日することになったのですが、当初は真面目で勤勉だったと語るのは日系三世のレストランオーナーです。曰く「祖父の母国で恥はさらせない」。思わず涙が出そうになる決意ですが、誰もが高い志を持つとは限りません。
移民第一世代の成功により、受け入れた大量の第二世代が不良化したというより、ブラジルと同じライフスタイルを貫き始めたことで、「先住民」である日本人との間にトラブルが生まれます。
収集日以外のゴミ出し、朝までのどんちゃん騒ぎ、そして「バーベキュー好き」。
“彼らはアパートの軒先ほどのスペースでも仲間と集う。84才の老婆は、そんな彼らに辟易していた。「バーベキューをやられると煙たいし、香辛料が臭くて仕方がない。あれが洗濯物につくととれないんだから」(同)”
増田晶文氏のレポートは、移民議論においてもっと注目されて然るべきです。ただ、週刊誌の定めから、時が経つと入手困難となり、週刊誌こそ「電子書籍」でバックナンバーを配信すべきと考えますが、失礼を承知で結びにある大泉町 村山俊明町長の言葉を紹介します。
“(略)大泉町で起こっていることは、いずれ日本各地でも起こるんです。早々に、外国人集住都市で生じた課題を真剣に論議しないと、将来にまで禍根を残すことになります”
「移民」についての議論は避けられません。少子化はもちろん、国際世論(せろん)の圧力も今後増すことでしょうから。だからこそ、世界中の成功例、失敗例を集め、むしろタブーすら怖れない議論が必要で、今のうちから議論を深めていかないと、国民的世論が醸成される前に、
「いつの間にか決まっていた」
と・・・騒ぐんでしょうがね。
時間の関係で割愛しますが、南アフリカの大使の抗議にも指摘したように、移民を考えるとき、欧米のそれは「歴史的経緯」があるもので、日本の歴史とは異なることを踏まえなければなりません。