声高に叫ばれた「民意」の正体

軽減税率を求める声について、そもそも論で先週、指摘したのは、社会保障費の財源不足の中の増税なら、予定されている10%の消費税率よりも、さらに高い課税の品目も同時に導入しなければ、バランスがとれませんよというものです。

新聞各社も紙幅を割いて、自身への軽減税率の適用を迫るのも如何なものかと苦言を呈し、金儲けのための経済誌である日経新聞は、贅沢品だろうと適用の疑義を唱えたところで力尽きました。

というわけで先週からの持ち越し企画。そして今年一年を振り返って考える「民意ってなんぞや」。

何を持って民意とするかは非常に恣意的です。

例えば今年のオリコンランキングで上位を独占したAKB48関連。

昨年脱退しましたが、絶対エースとされた前田敦子は、社会学者の濱野智史によれば「キリストを超えた(彼の著書『前田敦子はキリストを超えた』)」とのことで、こんなトンデモ説を開陳できるものが社会学者を名乗れる平和な国で、キリスト教圏でこんな本を出せば排斥運動が起きることでしょう。これをモハメッドでやれば、暗殺指令が下るかも知れません。ぶるぶる。

一神教において掛け値無しに絶対エースである神を越える存在を、広告代理店の仕掛け満載のパフォーマンス集団のひとりを比較するなど常識と良識をもっていればできません。

もちろん、芸能は1000%嗜好の世界。その耽溺のなかでなにをほざこうが構いませんが、広告代理店の仕掛けの中という箱庭での出来事を、社会現象にすり替え、民意という名の多数派であるかのように錯覚したのが濱野某の主張です。

古くは美空ひばり、あるいは山口百恵、松田聖子、個人的趣味から言えば斉藤由貴をいれたいところでは、残念ながらそこまでではないと冷静に分析できるのは、かつてのアイドルは老若男女を問わず、あまねく支持を得てはじめての「国民的アイドル」であり、直近では『あまちゃん』のなかの「天野アキ」ぐらいでしょう。決して能年玲奈ではありません。

AKB48グループが商業的に成功していることに異論を挟むものではありませんが、彼女たちの支持層は、とても限られた属性に過ぎず、それはエグザイルなどにも通じる、エンタメ業界の現代的な特徴です。

だから支持層において絶対エースという肩書きが前田敦子に与えられ、トンチキによってはキリストを超えたと私見を得るのは、斉藤由貴に心を奪われたわたしにとっても理解できますが、それを斉藤由貴ファン以外の誰にも広言などしません。恥ずかしい。

つまり、民意とはどこを分母にするかで大きく意味が異なるものだということです。

さらに、です。「民意」が誇張されるケースは、自分たちの主張、それがトンデモな主張であっても、「大義」があるかと偽装するときに「民意」という言葉が持ち出され、往々にしてそれは実態において少数派こそ声高に叫ぶ傾向が強くなったのがこの一年の特徴です。

放射脳に・・・いや、すでに彼らは左翼と同化した・・・脱原発の主張や、特定秘密保護法、直近ではPKOで南スーダンへ派兵している韓国軍への弾薬供与などへの反対論で「民意」を盾や槍とします。

それでは民意に任せたときにどうなるか。この場合の民意とは、橋下徹大阪市長が述べた「フワッとした民意」です。そしてこれを集めるのに先の濱野智史や津田大介などはネットの活用を呼びかけ、それに従うとすれば軽減税率はどうなるのかのシミュレーションです。

きっとこうなります。

「KGZ48総選挙」

軽(K)減(G)税(Z)率です。バカバカしいですね。オチはご想像通りです。

軽減税率適用の品目を国民総選挙で決定します。そして

1〜16位:選抜:非課税
17位〜32位:アンダー税率:3%
33位〜48位:ネクスト税率:5%
49位〜64位:フューチャー税率:8%

で、圏外は10%。品目とはそのままズバリ「商品名」や「サービス名」。すると麻生太郎財務大臣が心配するような味噌やケチャップの線引きは不用です。ケチャップはカゴメとデルモンテで、税率が異なる事態が起こるのですから。

総選挙の大義はこうです。

「国民が生活に必要と思う品目に軽減税率を適用」

はい、いまの軽減税率を求める声と同じです。

煩雑になる集計はネットの出番です。国民総背番号=マイナンバーを導入して、ひとり1票(あるいは10票ぐらいの複数回答でも可)としてネット投票。コンビニのネット端末でも受け付け、スマホには強制的に投票アプリをインストールして出荷すればよいでしょう。特にスマホはネット回線付きパソコンですから集計には便利。

そして軽減税率を求める「民意」の1位、つまり絶対的エースとやらは

「ソフトバンクの接続料」

になるかもしれません。あるいは米や塩、味噌を脇に置いて、

「パズドラの魔法石」

だとしたら。

笑い話ではなく、スマホユーザーの利便性を高めて集計すれば想定の範囲内の「民意」です。ネットに潜むリスクで、ネットを活用すればすべてがバラ色という発想は、テクノユートピアというより、すべての痛みを正露丸で治そうとする昭和時代の発想により近いでしょう。

民意とはその程度のもの。といえば民主主義の否定だと大騒ぎする人もいるでしょうが、人間の真実にたてば「衆愚」とは正しい表現なのです。

佐々木俊尚というIT系のジャーナリストがいます。グーグルが社会を破壊すると扇動する新書でひと山当てた御仁で、数年前に『キュレーションの時代』という書籍で、その到来を予言しました。

しかし、これは予言というより現実の焼き直しに過ぎず、リパッケージやリニューアル、あるいは模倣やパクリといった方が正鵠を射ることでしょう。

電子書籍スタンド「ブクログ」にあった同書の紹介から「キュレーション」を引きます。

“無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。”

これを20世紀は「専門家」と呼びました。というより20世紀どころか人類が知性を得た頃から、食べられる木の実を見分けるキュレーター、狩りやすいマンモスを瞬時に見分けるキュレーターなどが存在していたことでしょう。

もっと平易な例を挙げれば、

「小金稼ぎのテレビコメンテーター」

もキュレーターの類です。室井佑月や倉田真由美などの珍説組だけではなく、鳥越俊太郎や落合恵子のような独自の価値観と世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに存在しない意味を与え、多くの左翼シンパを焚きつけるキュレーターで、彼らはすでに街を闊歩しており、いまさら彼らの時代が来るといわれても鼻白むばかりです。

そのキュレーション(笑)。が太古より存在する理由はなぜでしょうか?

大衆のひとりひとりは、正しい判断を下すための、充分な見識と良識、そして下した決定への責任感を持ち合わせていないからです。

だから誰かに頼るのです。だからこそ、それがキュレーターか、アジテーターか、本物か偽物かの区別も怪しいのです。なにせ正しい判断を下せない人間が、頼れるとした人間です。サッカーを知らない人間が松木安太郎氏の「エンタメ解説」を鵜呑みにするようなものです。

(※松木安太郎氏の解説は最近、評価しています。あの楽観と希望的観測だけで構築された解説には、サッカーファンの間口を拡げる機能があるからです)

つまり、ひとくちに「民意」といっても、切り取り方次第で表情を変える不確かなもので、それは金科玉条になり得ないということです。

しかし、それでは情緒的すぎます。そこで人類は民主主義の意思統一の手続きとして「多数決」を編み出します。もちろん、万全の技法でないことは、先の不安定な民意からも明らかですが、本日がお誕生日という説もあるキリストさんの教えを祖とする宗教において、人は神の下の平等の原則があり、賢者の一票より愚者の2票に価値を与えるのです。

一神教においての神の存在は絶対であり超越しており、迷える羊の人間においての優劣は、語弊を怖れずに例えるなら、お手ができる犬とできない犬の違いに過ぎません。あえて優劣をつけるなら、神の教えに従うか否かによります。

余談ながら、先の濱野智史が「前田敦子はキリストを超えた」というのならAKB48を脱退直後に、佐藤健との

「泥酔パンツ丸出し事件」

をもって「神は死んだ」と殉教の真似事ぐらいはして欲しかったものです。

民主主義とは宗教観も背景にあり、本質的には日本人には馴染みにくい制度であることは、ここでは割愛して本論に戻ります。

不完全ながらも民主主義という制度をもとに、いまの日本の日常生活が存在します。これに異論はないと思っていたら、異論を唱える人がいました。

ツイッターでのやり取りですが、公開情報なのでそのまま収録しますが、特定秘密保護法をめぐる共同通信の世論調査をもとに、反対と主張する伊藤岳氏(‏@gaku_ito)。

プロフィールを見ると今年の参院選挙に埼玉選挙区から出馬した日本共産党の人。そこで「政治家」と認識し、

“世論(せろん)調査で法律が決まるなら、あなたたちの存在は不用です。”

と突っ込みをいれると、

“世論調査で決まるとは、私書いていませんよ。民意がどこにあるか、です(‏@gaku_ito)”

と返信が。主義主張はともかく、対応する姿勢だけは評価したのですが、これまた詭弁。私こと伊藤岳氏は、世論調査に上がったとみられる「声」をカギ括弧つきで紹介したので、自分の言葉ではないと主張するものと推測しますが、特定の方向に沿った意見を拾って紹介するのは、意見表明と同義です・・・が、左翼がよくやる手法で、これもまた「民意」と同義に扱いますが、左翼キュレーションがかけられており、正しくは「プロパガンダ」と呼ぶものです。

と、同様の突っ込みとは別に、わたし(@miyawakiatsushi)は

“民意という単語に限定すなら議席数に反映されている、議会制民主主義における民意の現れではないでしょうか?(原文ママ)”

と再度質問を投げかけると、こう回答がありました。

“民意が議席数とは、選挙制度を知らない方の言う言葉じゃないてすかね?(原文ママ)(‏@gaku_ito)”

不明を恥じます。わたしの知る選挙制度において、一票の格差は存在しますが、それを「係数」と割り切れば、民意は議席数に反映されていると解釈していました。

すると民主党が政権交代により日本を崩壊に導いたのも、自民党に再政権交代し、株価が1万6千円にタッチしたのも、民意により議席数をえたことで実現したアベノミクスによるものではなければ、なんなんざんしょ。

と、ここで少し反省しました。伊藤岳氏のプロフィールを丁寧に見ると「議席に及ばず」とあります。彼はなにか別の選挙制度を夢見て、立候補し落選したのでしょう。当選するわけがありません。あるいは負け惜しみかも知れません。しかし、水に落ちた犬を叩かないのが日本人の美意識です。この点においての反省です。

しかし、脱原発、特定秘密保護法、そして南スーダンでの韓国軍への弾薬供与にしても「民意」を盾に甲高に叫ぶ連中は、一年前の衆院選挙、半年前の参院選挙の「民意」をないがしろにします。

だからなのでしょう。特定秘密保護法により戦争がはじまると珍説を開陳し恥じず、ならば政権再再交代により、自民党を引きずり落とし、同法を廃止することも民意の表れという民主主義の制度上の手続きによる行動を口にしません。

民主党という失敗を前に、政権交代という正攻法において非力だと悟った左翼や文化的進歩人たちは、正規軍ではなく神出鬼没で国際法に従わないテロリズムの道を選び、デモや街宣活動やメディアジャックにより政治を動かそうとしているのかもしれず、だとすると自民党の石破茂幹事長による「テロリズム」発言は図星を指されて狼狽したのでしょう。

そしてこの手段、デモや選挙以外の世論調査や、恣意的にキュレーションされた民意とやらが、幅を効かせる社会の先進国は、エジプトやインドネシアです。気に入らなければ仕事を休み、デモを起こし、官邸を封鎖すれば制度が変わる・・・それをあなたは望みますか。

この民意の暴走が加速する理由は「ネット」にあります。

吉田照美のツイッターを眺めていると、彼はすっかり左翼の闘士です。かつては憂国の情もあったはずが、放射脳に汚染され、デマゴーグを絶賛拡散中です。

どうしてここまでバカ・・・特定の考えに染まり、別の価値観を忖度する余裕がない状態・・・になったのかと考えたときに、ネットの存在がクローズアップされます。

なぜか? 「同好の士」が集うことで情報の蛸壺化が起こるからです。

AKB48のファンにとって、神7だか8だかは存在するのかも知れません。しかし、それはファンにしか通じない価値観に過ぎず、足立区入谷にあるオウム真理教の拠点のまえで、

「神は麻原彰晃じゃない、前田敦子だ!」

と叫べば、さすがのオウム信者からも失笑が漏れることでしょう。

別の価値観に接することで、自分の世界の形を知ることができるということです。ところがネットでは、自分の望む情報ばかりを検索します。そして触れる情報量は格段に増加します。

つまり、

“圧倒的に多くの情報をネットにより得るコトができるようになったが、その大半は同じ情報源や、同じキュレーションによるもので、それによって思想信条は強化されるが、正しい判断に至るとは言えない状態で生まれた「民意」”

と、これが今年声高に叫ばれた「民意」の正体です。

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