自殺は正しいというメッセージ

大阪市長と大阪市の教育委員会のことなので大阪市民の問題。橋下大阪市長を選んだのは大阪市民のみなさん。ただ、彼は国政への野心を隠していないことから、警告しておけば、彼がトップに立てば同じことを国家レベルでやってくるということ。わたしゃ賛成しかねます。そしてこれは大阪市だけの問題ではないので言及しておきます。

件の高校に入試を中止し、教員の総入れ替えと吠えている橋下徹大阪市長。批判に対して

「一番重要なのは亡くなった生徒のこと。(受験生は)生きてるだけで丸もうけ。またチャンスはある」

と。

わたしはこれに同意できません。これでは「自殺」が正当化されます。リーダーの発信すべきメッセージではありません。体罰をし、それを容認した教師も同級生も責めを負うべきでしょうが、死んだものが一番大事として明日が決まるのなら、死んで抗議をしようとするものが続かないと誰が言えるでしょうか。それよりも死ぬ前に救う場所、機会、機関の設置こそが急務です。

大川隆法のように霊言が聞こえない凡夫の我々にとって、残酷な言い方をすれば現世は生者のためにあります。死者からの教訓は得るべきですが、死者を中心に据える思考法は、センチメンタルでなければヒステリックと呼ぶものです。

まぁ大阪市民はそう選んだということです。わたしはヤです。自殺すれば制度が変わり、死者の感情を第一としながら現世を生きるなど、菅原道真や平将門を祭った平安のよう。いまは平成だというのに。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください