昨日のANAのシステムトラブルの取材を受けていた親子。
子供にマイクを向け「どうだった」と訪ねると、子供は照れて
困ったようにしていると父親が「疲れたよね」と、同意を求める
訪ね方をしたので、なぞるように「疲れた」と子供。
子供は終わらない遠足が楽しいものです。もう終わりだと思って
いたら、思わぬ足止めにドキドキすることがあります。
しかし、親にいわれたら仕方がありません。同意します。
よい親子関係ができているのでしょう。
しかし、対外的に家族を守るために抗議をするときは、強くある
べきだとおもいますが、こんな時こそ
「人生にトラブルは付き物だ。他人に寛容な人となれ」
という教育を実践する好機なのですが。
私の父はトラブルに強い人で、あの手この手でトラブルと向き合
っていたことを覚えています。
出前のラーメンに異物が混入していたり、学校の先生の理不尽な
教育方針には断固として戦いました。
が、しかし、その尻馬に子供がのることは許しませんでした。
「子供がいうことではない」
また、相手の失敗でおきた迷惑で「子供らしく文句」をいおう
ものなら大変です。
「間違った人のことを思いやれ」
と、思いやりという言葉が遠くへ飛ぶかのような鉄拳がとんでき
ました。
間違えた人もわざとやったわけではない、ならばそれを許すのが
男というものだ。という教育。
もっと子供に思いやれをもて・・・と、いう言葉を飲み込んだのは
いうまでもありませんし、それが本当の思いやりだと今は分かります。
人生にトラブルはつき物。
トラブルを起こしたのが自分だったと置き換えれば。
情けは人のためならず。思いやりって多分これなんですよね。