水道橋博士に見つけた「ネトウヨ」という踏み絵

 本稿で多用する「パヨク」をひとことで説明するなら、劣化した左翼、リベラルのことです。朝日新聞や、そこに連なる文化人、著名人ももはやこのカテゴリーにはいっています。

 本当の意味で賢いタレントや、筋金入りのリベラリストや、ド左翼な方々は、パヨクから距離を取っています。悪貨は良貨を駆逐するように、朱に交われば赤くなります。

 なにより「パヨク」の側に立つことは、思考停止のリスクを増大させることを感覚的に警戒しているのでしょう。それは「パヨク」というダークサイドに落ちた人間は「ネトウヨ」を侮蔑用語として多用し、一方でその説明をしないことに代表されます。

 つまりは「レッテル張り」が常態化し、事実を引いての説明ができなくなるのです。

 レッテルが先に来るので、レッテルにそぐわない事例を説明すれば論理矛盾が発生し、レッテルを貼ることで喜ぶ「身内」に向かって語ることで得られる満足と連帯感が、自動的に思考停止へと導きます。

 ネトウヨも近いところがありますが、組織や集団としての連携が弱く、というより皆無に近く、ネット上ではそれぞれ個人が「情報」のみで連携しているので、あからさまな論理矛盾をするようでは誰にも相手にされなくなります。

 だから、レッテル張りや根拠不明の侮蔑や中傷があっても、甲子園球場における巨人軍選手への野次と同レベルで、厳しい言葉があっても後を引くことはありません。せいぜい、一幕の爆笑を得るか失笑を買うぐらいでしょう。

 ネトウヨや、それを理解する価値観をもっている人々は、自身に耳が痛い指摘を一定以上は聞く耳を持っており、ある種の自浄作用が働き、これが年々、ネット上での存在感を増している理由で、その反対がパヨク陣営です。

 で、当初は短絡的に「アンチネトウヨ」とばかりに、ネット叩きに参戦していたタレントや文化人のなかでも「離反」が起こり、その離反者を「裏切り者」と罵るのは浅間山荘から変わらぬ左翼の狭小さで、下卑た日本語にするなら、その「ケツの穴の小ささ」が、消極的シンパすら遠ざけています。

 まず「パヨク」の語源を簡単に説明します。

 反原発、反差別、端的にいえば反自民を掲げながら、示威行動どころか暴力も辞さないと公言していた「しばき隊」なる任意団体の、還暦間近の男性幹部が、立場を利用しての異論排斥を自慢していたところ、自慢とともに拡散されていた手がかりから、実名、実住所が特定されます。

 さらに元タレントとの、今年風に言うなら「ゲス交際」が発覚し、交際当時に多用された挨拶の言葉

「ぱよぱよちーん」

 が発掘されます。

 韓国語語源説もありますが、ともかく社会的な立場もあった還暦間近の男性の、しかも日頃、暴力の匂いを漂わせていたこととのあまりにものギャップが、彼らのマヌケさを際立たせネット界隈で一気に広まります。

 その「仲間」の正体も次々と、ほぼ自白のような形で露呈した、そのコントのような展開から、左翼、リベラル陣営の劣化普及版、つまりは粗悪品を指す言葉として「パヨク」は定着しました。

 匿名の闇から他人を脅迫、恫喝しておきながらの、自らの不手際、迂闊さにより個人情報のダダ漏れ具合に「自爆」というニュアンスも込められています。

 この「自爆」に「ブーメラン」とルビを振ると、民進党やそのシンパである朝日新聞などと見事に重なったことで、自爆系リベラル、非論理的左翼陣営を指す言葉として「パヨク」はネットの一般用語となりました。

 なお、私の「マイナビ」における連載を、差別だレイシストだと大騒ぎして打ち切りに追い込んだのもパヨクとそのシンパです。

 小学校高学年程度の読解能力が、パヨク陣営の自省を促す、つまりは婉曲的なエールだと気づいたのでしょうが、みずからを無謬の正義と信じるパヨクどもは、わずかな苦言も攻撃と捉え噛みついてきます。

 その時の顛末を下敷きに書いた小文で「月刊正論」にデビュー。
「パヨク」には、攻撃した相手が「炎上」の後、「焼け太り」するという暗喩もあります。

 パヨクと対を成すのが「ネトウヨ」ながら、本来の「ネトウヨ」はネットのみで威勢良く右派的立場から発言する者を指します。

 電話による抗議活動「電凸(でんとつ・電話での突撃の意味)」や、ブログなどへの執拗な書き込みなどから、ネガティブイメージで塗られましたが、もともとこの手の抗議活動の先駆者は、左派に立つ市民活動家で、他人の言論への許容度の狭さにおいてはどっちもどっちです。

 橋下徹氏が大阪市長だった時代、慰安婦を巡る発言で、発言のTPOについて苦言を呈したブログに「北陸のネトウヨ」を名乗る男から抗議の電話を受け、その論理性の無さ、聞く耳の無さに閉口し、電話を切ると、数秒後にはリダイヤルされつき合わされました。

 何度も続き仕事にならないので、取り次ぎを弊社女性スタッフに任せると、どぎまぎという言葉が浮かぶほど「ウブ」な態度で、折り目正しい口調となったところに「ネトウヨ」の生態を見た思いがしたものです。

 この時は合計30分ほどのやりとりとなりましたが、いまはすぐに警察に通報するようにしています。もちろん、論理的な異論反論はこの限りではありませんが、一方的に自分の主張を述べたいのなら、自身のブログなどで表明すべきと考え、そうでないのは威力業務妨害だからです。

 俗にネトウヨの代表格とされるのが、元在特会の代表で、先日の都知事選挙にも出馬(落選)し、いまは政党日本第一党党首を名乗る桜井誠氏。

 もはや活動はネットを離れ、いまはまだ実績がないところから「政治家」というよりは、リアルにおける「活動家」が正しいながらも、パヨク陣営は彼を「ネトウヨ」と位置づけています。

 先に触れましたが、私も彼らからは「ネトウヨ」と認定されています。ネットのなかった時代に「右翼」と、赤旗新聞を愛読する同級生にレッテルを貼られ、ネトウヨからも抗議を受ける私としては忸怩たるものがありますが、これもパヨクの特徴と苦笑い。

 パヨク陣営は「ネトウヨ」を蔑称として用います。対立する側を低く見下すことで、相対的に己を高い位置に置こうとする賤しい心根です。

 そして思考停止に愉悦を覚えます。芸人の水道橋博士などのタレントもこれに引きずられ、Twitterやネット媒体のインタビューで「ネトウヨ」を多用します。それは大衆の支持を得ない自慰行為と同じです。

 対してパヨクがいまひとつ、メジャーシーンに広まりを見せないのは、リベラルを母に持つ「パヨク」に対する、いつもの『報道しない自由』によります。

 ネット界にも通じ、いちいち名前は挙げませんが、ネット界の著名人の大半はリベラルです。Web業界も大半がそうであるのは、米国のIT業界が米国民主党支持者であるのと同じです。

 新しい道具、舞台に飛びつくような連中は、歴史や伝統、上下関係を遵守する保守や右派に遠くなるものです。

 おまえはどうだと問われれば、半分正しく、でも何でも新しいものを鵜呑みするほど幼くはないと答えておきます。それでも、ネトウヨと呼ばれていますが。

 ともかく、そういった連中は、積極的に「パヨク」という呼称は使わず、リアルにおいても同じく。鬼っ子であっても、積極的に攻撃することは躊躇われ、そして「報道しない自由」「口にしない自由」を選択します。いわば心情的パヨク支持者が、その言葉の一般化を防ぎ、一方で「ネトウヨ」の蔑称化を促進しています。

 これも、日本のリベラル勢力の弱体化の一因です。彼らの消極的な連携は、むしろネトウヨ陣営を利しているからです。

 先に触れたタレント 水道橋博士はインタビュー記事で、定義も説明もなく「ネトウヨ」という単語を使っています。これは彼だけのことではなく、朝日新聞でも説明すらせず、批判的な文脈で「ネトウヨ」を登場させます。

 匿名のネットユーザーならともかく、言葉を扱うタレントも新聞記者も、その言葉の意味を、具体例をもって説明すべき責任を負いながら、それを放棄しているのです。

 つまりは「ネトウヨ」という言葉の意味を知らない読者の切り捨てです。

 切り捨てられた読者の何割かは、ネットに答えを求めることでしょう。そして「情報」を得ます。ネットにはむしろ、パヨク勢力が望まない情報のほうが多く、そして水道橋博士や朝日新聞は信用を失います。

 パヨク陣営が「ネトウヨ」と一括りする意見の中には、リベラル寄りなものも多く、「2ちゃんねる」をみても、ネイバー「まとめ」などでも、事実と客観的意見を積み重ねています。

 もちろん、取るに足らない妄想や冷やかしもありますが、そうした意見は無視され、「まとめサイト」に収録される際に切り落とされブラッシュアップされています。

 対するパヨク陣営はといえば、事実よりも主張と思想が前提となり、わずかな批判すらも排除するどころか、攻撃的に噛みつき、言論封殺と暴力を示唆して見せるのは、「ネトウヨ」にもありながら、それを戒めるどころか同調し、加速するのがパヨクです。

 仮に「ネトウヨ」を知らず、ネットを渉猟した者が、どちらを信用するかと考えれば、一般的にはネトウヨでしょう。というより、全面的な「ネトウヨ」ではなく、その意見に対してはという限定的な賛意でも、繰り返されるうちに、ネトウヨに染まるというよりパヨク、朝日新聞も含めた陣営の論理のおかしさに呆れるようになるのです。

 実際、パヨクや朝日新聞、週刊現代、日刊ゲンダイなどのリベラル陣営は、安倍政権を右派独裁政権のようにかき立て誹謗中傷の限りに筆を尽くしますが、集団的自衛権も特定秘密保護法も、世界基準でみれば異常ではなく、仮にそれがパヨクの主張どおりなら、地球儀を俯瞰する外交とやらで飛び回る安倍首相をみる各国報道の目の色は、フィリピンのドゥテルテ大統領と同じくなることでしょう。

 事実はまったく違います。リオ五輪の閉会式で演じた「アベマリオ」に代表されるように、各国の首脳に暖かく出迎えられています。中韓北を除いてですが。

 アベノミクスにしても、なんら新味の無い経済政策ですし、TPPにしても外国人のビザ拡大、同一労働同一賃金に、世界一迅速に永住権を与える政策など、安倍政権の政策には超リベラルなものが目白押しです。

 だから、すこしでもまともな情報に接し、情報を判断する価値観と知識を身につけたものから、パヨクの批判と主張に呆れて離れていきます。

 これが朝日新聞や、そのシンパが嘆く「右傾化」の正体です。

 ひと言でいえば「ざまぁ」としか言いようがないのですが、自業自得でシンパを呆れさせているのが、リベラル勢力であり、その象徴が「パヨク」です。

 いま説明もないまま、具体事例の紹介がないまま「ネトウヨ」という単語を使うものらは一切信頼できず、これを補うにははネットを渉猟するか、あるいは10月1日に発売された

月刊正論 2016年11月

 にある、宮脇睦先生の

ネットバスターズ

 をご覧いただくのがベスト・・・と、全編広告でした。

 しかし、屁理屈をこねくり回しながらも、芸人として何かを成そうと必死にあがいていた水道橋博士を応援していたものとして残念でなりませんが、それもまた芸風なのでしょう。

 水道橋博士はテレビ朝日「しくじり先生」に出演し、みずからのしくじりに涙して謝意を表していましたが、そのすべてが「自業自得」で、しかも泣いてみせたのは「相方」への謝罪だけで、犯した罪や己の振る舞いへの反省は、最後の最後まで見つかりませんでした。性根が他罰的なところも、パヨクの特徴です。

 私に出来ることは、水道橋博士への抱いた感情を、相方のタレント玉袋筋太郎氏に向けないようにするだけです。これをやってはパヨクになってしまうからです。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA