菅直人内閣はみな撤退することばかり考えていたことが公開された調書から明らかに

 ようやく朝日新聞が訂正の上、謝罪しました。まずは「吉田調書」。福島第一原子力発電所の事故時、命令違反をして職員が逃げ出したと報じた「捏造報道」です。

 捏造とは実際になかったことを事実のように仕立て上げること。とウィキペディアにあります。

 それは「調書」を読めば明らかで、実はコレについて私も反省しています。

 吉田所長は調書の中で、2F(福島第2原発)への退避は指示していないと語る箇所と、多くの職員が退避していた事実を直結して、朝日新聞は

「命令違反、撤退していた」

 と報じたわけですが、その直後に

「2F退避は正解だった(要約)」

 と吉田所長が述べています。

 わたしは朝日新聞に金を出すほどの反日活動家ではないので、この記事はウェブ版で読みました。

 2Fを指示していないが、伝言ゲームの要領で情報が錯綜し、2Fについたと報告を受けたときは困ったなぁと思ったが、よくよく考えれば、1F(事故のあった福島第一原子力発電所)の周辺で待機するのは困難だったので正解だったんじゃないかな。

 意訳をすればこんな感じ。だからすぐに朝日新聞の「命令違反」とは捏造だと気がつきます。

 命令違反なら報告を受けて、再命令を下すなら激怒した様子があってしかるべきですが、そんなことはありません。当時現場に残った職員(つまりはフクシマフィフティーンの一人)は読売新聞の取材に、いざとなったら2Fという共通理解があったと答えています。

 混乱の中で、各々が最適解を考えての行動が、結果的に吉田所長の指示とずれた形になりましたが、そもそも吉田所長の言葉ひろってみても、明確な指示と言いがたいものがあるのです。

 そして「逃げ出した」という割りには、すぐに現場に戻った職員も多いことから、一時的な混乱であると読み解くのが、普通の読解力からの結論です。

 だから、ある意図=日本と日本人を貶め、原発を危険なものと印象づけるための、捏造をしたのが朝日新聞とみていました。

 ところが、朝日新聞の紙版において、例えば吉田所長の

「2F退避は正しかった」

 は掲載されていません。昨日の「釈明会見」でも、執筆した記者は「事後の感想」という理由で削除したといいます。ウェブ版には掲載していたのにです。

「命令違反」

 と断じるなら、そのときに「指揮系統」「命令伝達の正当性」を確認しなければ齟齬がでるのは、混乱期を1マイクロシーベルでも想像すれば容易なことを記者はしなかったということです。

 それは記者として失格か、意図があったかのどちらかで、常習性の観点から後者でしょう。

 私の反省とは産経新聞や、吉田所長や当時の職員を丹念に取材していた門田隆将氏が、いち早く疑問を呈したときに、「原本」にあたる朝日新聞本体に目を通さなかったことです。

 まさか「紙版」と「ウェブ版」で違う文章が掲載されているとは夢にも思いませんでしたが、その後、各メディアが疑問を呈さない時点で気がつくべきでした。反省です。

 さて、本日連休前の忙しい最中、というより、連休も仕事をすると覚悟したから書いているわけですが、「吉田調書」に関しては、各紙が検証し、ことここに至って『報道ステーション』でも報じていたので、事実が国民の前にあらわとなりました。

 報道ステーションで気になったのは、冒頭、古舘伊知郎が

「内容の一部を誤り」

 と認めたと朝日新聞の謝罪会見をつたえたこと。
 一部じゃなくて全部ね。いわゆる「論旨」のところだから。

 さておき、吉田調書の開陳と同時に、

「菅直人と不愉快な仲間達」

 の調書も明らかになりました。

 残念ながら全文を入手したわけではないので、主に読売新聞に掲載された要旨を拾いますが、ここをみるだけで、当時の政府、すなわち民主党の連中の欺瞞があきらかになります。

 まず、主要トピックとなる「撤退」について。

 菅直人(クズ)を筆頭に、福山哲郎(ファクト)、細野豪志(モナチュー)、枝野幸男(ただちに)らは「撤退」と「認識」していたと主張します。

 これが刑事事件なら、連中は利益が一致する「共犯関係」にあります。口裏を合わせたとみるのが妥当でしょう。それが明らかになったのが、海江田万里(民主党にとどめを刺したら歴史に名を残す現党首)の一連のやり取り


「(前略)覚えているのは『撤退』ではなく、『退避』という言葉。作業員を第一発電所から第二発電所へ退避させたいということ」
ーーどんな反応をしたか(事故調)
「(海江田は)無理だと言った」
(読売新聞2014年9月12日朝刊 原発事故調の要旨より括弧内筆者、記述ない限り、以下同)

 つまり「撤退」ではなく「退避」だったと証言しており、撤退発言を海江田経由としているものが大半で、調書を信じるなら、退避を撤退と言い換えた、あるいは間違えたのは海江田万里になるということです。

 海江田万里を庇う気持ちはさらさらありませんが、この「説」に無理があるのは調書を見ればあきらか。そもそも「証拠」がないのです。あるのは「証言」だけ。

 証言が証拠にならないのは、すでに述べたとおり共犯関係にあるから。仮に利益相反する東電からの供述なら、真実相当性が高いといえるのですが。

 調書から連中の声を紹介します。まずはペテン師・・・もといここからは当時の肩書きにて紹介します。菅直人・・首相から

“15日の午前3時頃に秘書官が来た。執務室の奥の部屋のソファーで寝ていたが、経産大臣(海江田)が『東電が撤退したいと言っている。どうしましょうか』と。官房長官も『私の方にもきている』と言った。わたし自身そんなことはあり得ないと最初から思っていた

(略)

15日午前3時に清水正孝社長を呼んだが、『そんなことは言っていない』という反論は一切なかった。だから全面撤退を考えていたんだとは思う”

 それでは発言に登場した枝野官房長官の弁をどうぞ。

“(略)私あてにも(東電の)清水社長から電話がかかってきて、同じ主旨のことをおっしゃった。海江田さんのところにも来ていたのは間違いない。間違いなく全面撤退の趣旨だったと、これは自信がある。勘違いとかはあり得ない”

 ほ、ほう。

 全部揃えてから指摘するほど、皆さんも暇じゃないでしょうから、一旦この時点でつっこみます。

 菅直人の秘書官とは岡本健司氏で、

“首相秘書官(政務担当)は、菅首相が野党・新党さきがけ時代の党職員である。第一期民主党(所謂「鳩菅民主党」)を経て現在の民主党まで一貫して”菅担当”の党職員プロパー出身者なのだ。残念ながら同氏は、官邸周辺で「カバン持ち兼ボディガード」と揶揄されているのが実状だ。
(現代ビジネス2010年12月4日号)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1679

 とはジャーナリストの歳川隆雄氏の評価。

 ま、これは脇に置いても、海江田経産大臣の話は秘書官が、枝野官房長官は自身が報告したと、この文面からわたしは解釈しました。

 そして菅直人の発言する時間は

「15日午前3時」

 で一致し、報告を受けたのが「頃」で、東電の清水社長を呼んだのがジャストタイム。

 これが「普通の人」なら、前後の記憶違いもあろうことでしょうが、この時の官邸にいた連中はみな「間違いない」と断定するのですから、時間もまた同じと見るべきでしょう。

 むしろ刹那に追われる危機対策のとき、

「残された時間はあと何分(何秒)」

 となるもので、時刻は正確に覚えていても不思議ではありません。

 すると疑問が生じます。

 寝起きを起こされた時間が「頃」でとはいえ午前3時と記憶しているのなら、午前3時に清水社長を呼び出しのなら「直後」と表現するものではないでしょうか。

 予断を持って指摘するなら、嘘つきは数字を語りたがるものです。

 200回以上成功した化学実験や、発注者が提示した30万円のギャラを不服と、300万円につり上げたゴーストライターがいたとか、5000万円の札束がバックにはいるなどなど、数字を持ち出す嘘つきは、枚挙に暇がないのが人間社会の真実です。

 寝起きに報告を受け、数秒で決断を下し、清水社長も阿吽の呼吸に駆けつけたのか、電話会談だったのかが午前3時丁度であること自体は不可能ではありませんが、現実的ではない証言です。

 この手の調書は、刑事事件のそれと違い、矛盾を突くことが目的ではなく、証言を後世に残すことを目的とするので、追究が温いと言うより全くないのは仕方がありませんが、今後、解明が進むことに期待します。

 で、枝野官房長官がその場にいたとします。

 ならば菅直人が東電社長を呼び出した場にいた枝野は、

“『そんなことは言っていない』という反論は一切なかった。(菅直人)”

 に対して、私に言っていたことは事実ですか? と問いかけなかったことになります。

 もっとも枝野は、報告すると速やかに菅直人のもとを離れたか、あるいは枝野の報告も秘書官だとするのなら、この指摘はあたらないと明記しておきますが、先の枝野の発言では、

“海江田さんのところにも来ていたのは間違いない”

 とあります。
 事故調にある民主党連中の発言のすべてに通じる大事なことを指摘します。

「どこの誰か報告があったか、一切触れられていない」

 以下、紹介する、菅直人と不愉快な連中の調書にも通じますが、枝野が「勘違いはない」と語気を強めながらも、肝心の発言者、情報源について誰も語っていないのです。「撤退」に関しては、海江田の名前があがるぐらいです。

 調書という確定情報に戻るなら、菅直人首相は、東電の清水社長になんとと問いただした結果

“『そんなことは言っていない』という反論は一切なかった。”

 となったのか。仮に

「撤退なんて言わないよね?」

 と問いかけていたのなら、そう答える清水社長は正解となります。むろん、これは極論の詐話に過ぎませんが、反論はなかったことを証拠とするなら、質問の中身を提示しなければ、論拠になどなりえません。屁理屈と言うより虚言レベルといってよいでしょう。ま、ペテン師としては面目躍如ですが。

 撤退について、もうひとり、細野豪志首相補佐官の発言を紹介しましょう。

“(略)海江田さんは完全に撤退すると解釈していた。官房長官もそういう風にとっていた”

 で、残念ながら読売は「要旨」なので細かなニュアンスは異なる可能性もありますが、産経新聞に当該箇所と思われる記述がありました。

“清水正孝・東電社長から海江田万里・経済産業相に電話があったが、海江田さんは全面撤退と解釈していた。それに(官邸に詰めていた)武黒一郎・東電フェローも撤退するしかないという話をしていた。東電の本店と武黒さんの連絡が上手くできていなかった可能性もあると思う。吉田さんが全面撤退を否定しているというのならば私は信じるが、当時の官邸は枝野さん(枝野幸男・官房長官)も海江田さんも、東電が全員持ち場を離れさせようとしている前提でずっと話をしていた
(産経新聞 2014年9月12日朝刊電子版(スマホ)より)”

 やはり海江田万里の罪なのか?

 しかし、細野豪志の発言で注目すべきは

「前提でずっと話をしていた」

 というくだり。そして菅直人の「否定しないから肯定」という論理を重ねるとこうなります。

「官邸の誰も具体的な文言をもって確認していない」

 枝野は“全面撤退の趣旨だった”といいます。ならば一字一句正確に、とまでは求めませんが、趣旨の内容を明らかにしなければ、枝野幸男が錯覚していた可能性を否定しきれないはず。

 というか

「それは撤退という意味ですか?」

 と訊ねたモノは皆無。

 みな「空気」。「っぽくない?」で、日本の未曾有の危機に対応していたと言うことです。

 ゾッとします。

 事実を持って語れば、現場の吉田所長は撤退を考えもせず、事実、現場に残り指揮を執り、一緒に死んでくれる人選までしていました。

 さらに予断を持って語るなら、空気とは自分の感性の反映でアリ、ならばこうなります。

「菅直人内閣はみな撤退することばかり考えていた」

 自分ならどうする? という自問に対して撤退を用意していたということです。だから、みな一致するのです。誰がどう発言したかを明言せずに。

“だから全面撤退を考えていたんだとは思う”

 とは菅直人の発言です。雰囲気空気とは、自己の価値観が投影されるファンタジーの一種です。それは各所に現れる「無責任体質」からも明らかとなります。

 現地視察に言った菅直人について細野豪氏「首相補佐官」は

“(略)反対だった。一方で絶対あの人は行くと思った、正確から言って。ものすごく苛烈な性格なんです。”

 苛烈とは厳しく、激しいこと。しかし、それが指揮官が現地に駆けつけて大名行列をすることの理由にはなりません。むしろ、行動を肯定するなら、その意味の苛烈とは「駄々をこねる」と同レベルということです。言って聞かない、理解できないレベルの人間性を、彼は首班指名選挙において擁立したと言うことです。

 大の大人のいうべき言い訳ではありません。

 俗に「女房役」と呼ばれる枝野幸男の発言です。

“(菅首相は)織田信長型のリーダーで、一騎だけで先頭を走っていくタイプ。菅さんが現地に行って、私が官邸で全体を見ている。その方がものは回ると思った”

 まず、歴史認識が間違っています。民主党らしいですね。

 織田信長は情報戦を制したのです。一騎掛けはおそらく今川義元を倒した「桶狭間」をイメージしているのでしょうが、この時も「斥候」を放ち、敵の行軍を把握した上での行動です。思いつきではありません。

 もしかしたらカブキモノ(バカや奇矯というニュアンス)からの連想で

「一騎駆けこそいくさ場の花ではないかね」

 と述べたとされる『花の慶次』をイメージしたとしても、こちらはフィクションというのが相場で、漫画の読み過ぎかパチンコの打ち過ぎでしょう。

 枝野発言には奢りと侮蔑が見えてイヤらしいのは、要するに

「菅直人がいないほうが上手く行く」

 といっているのに等しいことです。

 当時の官邸、つまりは民主党の調書が明らかになったことは、我が国にとっての慶事といえます。今後は民主党が瓦解するまで、検証を続けて欲しいと願います。

 他にも「SPEEDI」の公開が遅れたことについて、高木義明文部科学大臣と、鈴木寛文部科学副大臣で意見が分かれているのも、民主党らしい不愉快さが見えますが、一番の痛快なくだりを紹介して本稿を結びます。


事故調:第一原発の免震棟で「何で俺がここに来たと思っているんだ」と言った意味は。
菅直人「それを言ったのは池田元久経産副大臣」

 で、名指しされた池田元久経産副大臣(当時)は

“イラ菅で有名だが、バスに乗り込んだらそこでどなりつけた。免震棟には作業員が大勢いた。菅は『何で俺がここに来たと思っているのだ』と言った。これにはあきれた。イラ菅にしても今日はひどすぎるなと思って。つまらないことでどなってみたり、終始ひどかった。大荒れだった。菅の態度は大変遺憾だ”

 まるで駄洒落のような結びですが、本音でしょうね。

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