漆間巌官房副長官は正しい

 弱い犬ほど良く吠える・・・信じて追いかけて噛みつかれたことが
ありますが、この場合は窮鼠猫を噛むの心境のワンちゃんだったと
いうことでしょうか。

医者の不養生とは日頃健康を説く医者が不摂生をするという
言動不一致を指します。

昨日の産経新聞のあるコラムで現代芸術を見て感動した様子を

「鳥肌が立った」

と表現しました。
寒さなどの外的要因に対して使う表現であり誤用と断りながら
他の表現がないとして「鳥肌」を使います。

コラムは現代美術家でありながら言葉の限界を知ろうとする
芸術家 植村佳奈子さんの取り組みを紹介するものですが、てっきり
「鳥肌がらみ」のエピソードがオチとして使われるのかと思いきや
そのまま終わっていきます。

だとすると誤用というよりは「語彙不足」ではないかと。
肌がざわめくような、関西弁で言う「サブいぼがたつ」に類する
とするなら「肌が粟立つ」がありますし、もしくは字数を費やせる
なら

「全身の皮膚がアンテナとなり作品の発するオーラを受信している
ようだった」

などと言葉を創り出すことだってできるのですから。

とはいえ、表現に困ることは少なくありません。
冒頭からの一連の例え話を平易な言葉にまとめようと苦心したの
ですがなかなか見つかりません。そこであえて羅列してみますが

「棚に上げて」
「我田引水」
「モラルハザード」
「特権意識」

などなどをまとめてすり潰して形にしたものをどう表現するかと
考えようやくひと言でまとめるとこうなります。

「マスメディア」

与党や太郎ちゃん・・・コホン、麻生総理を庇う目的ではなく
述べます。

漆間巌官房副長官は正しい。

西松建設献金事件について自民党へ捜査は及ばないと発言した
とかしないとかについて「記憶にない」としたことです。

発言していたとしたら確かにその立場上問題があるでしょう。
国策捜査で一点突破を図る民主党を応援することにもなります。

私が正しいとするのは

「オフレコ発言」

であるからです。

マスコミでは言えないことと題してメルマガ書いてもう5年も
過ぎましたが、正直に告白すればいえなかったこと、今も未だ
いえないことは少なくありません。私を信頼して語ってくれた
オフレコ話を披瀝しては信頼に関わりますので。公共の利益と
大上段に構えるのも照れくさいモノがありますが、そちらに
照らして公開することもありますが、時期やネタをずらすように
しています。

「取材源の秘匿」

ということで、こちらを信頼して提供してくれた情報を公開
することで情報提供者に不利益を与えてはその後の情報収集は
難しく中長期で見て公共の不利益に反するからです。

で、オフレコ発言。これは公開しない・・・正しくはすぐには
公開しないという紳士協定により本音を引き出す場です。そこで
の発言を間接的にせよ公開した朝日新聞の罪は大きく、公開しな
い、つまりは存在しない発言に対して言った、とも言わないとも
断定しない「記憶にない」は正しいと考えるのです。

個人のブログではありませんから何でも公開すればいいという
ものではないのです。

我が町、足立区の区政に対して先日、読売新聞の首都圏版が
噛みついていました。

要約すれば区議会での自民党系区議が区長や区に対して
「なんでもかんでも情報を垂れ流すな」という苦言に対して

「情報規制とは笑止千万。区民の知る権利のために(超意訳)」

とマスメディアの存在意義を高らかに謳い、質問した区議を
非難するものです。

えっと・・・オフレコ情報を一部アレンジしてお届けします。

区長や区(の職員)が新聞記者に情報を垂れ流しにしている
のは区長のプロパガンダです。区民受け、マスコミ受けする
ものを垂れ流し、世論を喚起して実際の予算を棚上げにして
将来の赤字をみなかったことにしているのではと疑うほどの
ものを区議会を無視して「既定路線」とするための政治宣伝です。

そしてこれは某、野党系の関係者が居酒屋で語っていたこと
ですが「区長は好き嫌いが激しい」とのこと。人事に関しても
その性質が発揮され、関係者曰く

「トップダウンの命令系統ができた」

と絶賛します。評価次第ですが専横人事ともいいます。

この足立区に張り付いている新聞記者は自分たちの取材が
規制されることを過剰に嫌い論陣をはったのであり、それは
既得権が犯されることへの抵抗です。公器を使った。

記事には「日頃の取材努力」とありますが、区議会と役所に
張り付き、広報のだすプレスリリースに従って動いているだけ
というのが区民としての率直な感想です。

そしてネタをくれる区長や区の職員に尻尾を振ります。

取材規制にもの申すのであれば「取材源の秘匿」という
不可侵の大原則を揺るがした漆間発言漏洩疑惑こそ、その発言
内容とはべつの記事として検証し泣ければ我田引水をしながら
水不足を嘆くようなモノです。

漆間発言漏洩を「問題」としてとりあげたのは私が見た限り
ですが産経新聞だけです。

私が大相撲を取り上げなくなったのは「報道の自由」を
弾圧したあの協会が心の底から嫌いになり、取り上げることで
間接的に注目を集めれば「ショー」を支援することになるから
です。

フジテレビ「とくダネ!」で司会者が彼お得意の皮肉混じりの
ジョークに対して旧千代の富士が

「説明に来い、納得いかなければすべての映像素材を
フジテレビという局に貸さないぞ(要約、表現は意訳)」

とした「脅迫」はまさに表現への弾圧です。説明に来いまで
はわからんでもありませんが、映像素材を貸さないということ
は全てのスポーツ番組で流せません。民間のプロレス団体が
ビジネス戦略として映像権を管理しているのなら分かりますが、
文科省管轄の公益法人で・・・何様だと。

しかし、こうした不当な要求を徹底非難したメディアはあり
ません。

そこで言葉に詰まるのです。なんといえばいいのかと。
こんな言葉も浮かびました。

「権力の犬」

・・・でも、犬の方がもっと高貴な気もしますし、反日、
反体制メディアの朝日さんなどは・・・あ、彼らは周辺諸国の
政治権力に尻尾振っていますね。

ダブルスタンダードというかなんというか。
だから物書きの端くれとしてオフレコ発言に対して、

「記憶にない」

とすること自体は正しいと重ねて述べます。

ま、さらにこれもオフレコでの話ですが、メディアの胡散臭さ
インチキぶりがわかるエピソードをひとつ「某」と「周辺情報」
で紹介します。

亡父の故郷である土佐出身者創業者にもち、人気サッカー
チームをスポンサードするあの自動車会社が死亡事故も含む
リコール級の欠陥を隠していた事件を報じたのは某新聞でした。
いわゆるスクープです。これにつられる形で発覚したので
公共の利益に叶った「報道」です。

私の愛車もこの自動車会社のものですが、ここはこの某新聞
から広告を引き上げました。年間数億円の損失で報道への報復
と見るのが妥当です。

言論の自由への挑戦です。
が、その報復を報じた新聞はありません。

すると金に尻尾を振るという言葉も浮かびます。

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