政治の責任で思考停止させている

 日本の政治はだらしない!

はい、上を向いて唾を飛ばしてください。

政治は国民を映す鏡です。もちろん、おかしなことに疑問を呈し
意見や批判をすることは大切です。しかし、その突き立てた剣は
諸刃で己にかえること忘れてはなりません。自省も込めて。

何でも政治の責任と叫ぶ人が多くて飽きてきました。

年金を筆頭にした社会保障に不況、経済対策、フリーター、
ワーキングプワなどなど。

しかし、本当に全ての責任が政治なのでしょうか。

だとすれば、もちろんこれも私たちに返ってきます。
今週の月曜日に年輪を刻んだ私は「政治参加」できる年月を
18年過ごしており、それだけ責任を背負わなければなりません。

「投票」により参加してきたわけですから。

何度も述べてきましたが「不投票」は論外・・・というか発言権
を自ら廃棄したわけですから論じる資格すらありません。白票でも
投票所に行き参加したのなら話は別ですが。

また、昨今の「言葉狩り」・・・というのも躊躇われるほどの
「揚げ足取り」により、時事問題を語るときに

「最大公約数として都合の良い攻撃相手」

として政治に非難が集中し、メディアがこれに乗ります。

まず始めに、神は細部に宿るといいますが、個別事例を取り上
げれば全ての論を語ることができなくなるので、病気や身体的症状
などをもっている人についてのことではないとします。

但し、「家庭環境」は我が娘に「援助交際をしてこい」という
ものは除いて、父親がリストラにあって貧乏になった程度のもの
は考慮に入れておりません。

で、何がテーマかといえば2点です。

まずは「若年貧困層」と「ワーキングプワ」。
また連動して「フリーターの高年齢化」なども含んで吟じます。

政治ではありません。
仮に政治に由来を求めるなら、そういう「教育」を許した点に
おいてです。

私はこう考えます。

「政治も天も自らを助くる者を助く」

若者ならば働け。病気や怪我などなければ働け。
体力なければ働いて身につけろ。
手に職がなくても働けば身につく。
人がやんでいるときも働け。
考えながら働け。

各種報道で

「可哀想な労働者」

として派遣社員やネットカフェ難民が紹介されます。

フリーター第一世代でライブに体験したものとして首をかし
げます。

どの業界でも一所懸命働き、能力が認められれば大切にされ
時には正社員、または好待遇を受けるものです。理想論ではな
く「経済合理性」から、能力の高さは生産性や付加価値向上と
なり、引いては会社の利益に貢献するからです。

「正社員になれない」

といいますが、私の知る限り正社員のなりてがなくて困って
いる企業は掃いて捨てるほどあります。その現場を知っている
とこう考えてしまいます。

「なれないではなく、なりたい会社の正社員になれない」

するとこういう反応もあります。

「いやいや、本当に雇って貰えない」

ではこういうことでしょう。

民間企業は営利団体で福祉事業でも役所でもありません。
難しく述べるなら「労働生産性が低い人間」は雇えず、
平たくいえばこうです。

「20万円で雇う以上、20万円以上会社に利益をもたらす」

が、雇用する側の必須条件で、これを満たさなければ雇え
ません。厳密に言えば各種社会保険費用などの諸経費も考え
れば最低でも支給額の1.5倍以上の利益貢献がなければ
会社の存続が怪しくなります。

残酷に言い放てば能力の低さは政治の責任ではありません。

「虫けら」だった私は考えます。

派遣労働者は「単純労働だから」と枕詞にして、だから
就職が難しく賃金が安いと「識者」はいいます。

冷蔵倉庫でアラスカからやってきた冷凍鮭の詰まった
段ボール箱をひたすら積み上げるだけの単純だけど過酷な
アルバイトは社員から「虫けら」扱いです。

仕事が終わり数人が「脱走」していても気にもしません。
虫けらですから社員である人間様に名前など覚えて貰え
るワケもなく、望むこともありません。私の体験です。

日払いで、働きたいときだけ働けるのは便利でした。

が、私は人間です。名前のある人間としていきたい。
その後の職業選択の際の「条件」となりました。

いやならばその道を選択しなければ良いだけのことです。
だれが派遣社員になれと強制したのでしょうか。

「生活のために」

それはあるでしょうね。しかし、今いる場所が全てでは
ありませんし、そこで得たもので次の居場所を探すことを
止めるものは何もありません。

またどんな仕事でも技術があり、単純作業の内職工房時代
に私が身につけた「技術」は「動作の最適化」です。

今が旬の「お歳暮」のビールや調味料を入れる「化粧箱」
を折る仕事があります。ダメな作業員とできる人間で
は1時間当たり8倍以上の開きがでます。能力差はありま
すが、一番大きな違いは正確に同じ動作を繰り返すことが
できるかで、この正確な動作を「一秒を縮める」ことがで
きれば大きな結果の違いとなります。

どんな職場に移っても下積み時代は「単純作業」が多く、
この「最適化」という技術は大変役立っています。今も。

どんな仕事にも学べる技術があり、それが次のキャリアを
助けます。裏返せばなんの技術を身につけることなく、
労働時間だけ提供している人が次のステップを望むのは
難しいのが自明です。

これを指摘せずに政治だけのせいにする識者の言葉が
残酷で、「陰謀史観」にたった穿った見た方をすれば、

「全部、政治が悪いんでちゅよ。
労働者の皆さんは自助努力などちないでくだちゃいね。
その方が私たち識者とパトロンである大企業に都合の
よい考えない労働者でいられまちゅよ」

と。
政治の責任で思考停止させているように見えます。

恥ずかしいことなので小声で言いますが、フリーター時代
家賃は滞納するは電気やガスは何度も止まり、水道が止まっ
たと記せばその破綻ぶりを想像できるでしょうか。
「食べる」為に仕事をするだけで未来への希望はありません。
いや、正しくはありました。

「今の自分は本当の自分じゃない」

という根拠のない妄想で、今の私がタイムスリップして
当時彼に会えたのなら刹那に跳び蹴りを食らわしこういう
でしょう。

「なにしとんじゃい。今の体たらくも自分の人生。
以上でも以下でもなく己のまいたタネ。
しっかり刈りとらんかい」

自分語りもなんですので割愛しますが、帰るところは
ありませんでした。時折、母(実母)の話しもだしますが、
彼女は私が14歳の時に蒸発し、18歳で再会した後に
亡父と離婚し、その時には他の男性と住んでおりそこは
私の帰る場所ではなく、どんな家にも事情があるように
母は私を迎え入れようともしませんでした。恨み辛みは
まったくなく帰る場所がないもまた理由にならないと
少しだけ述べてみました。

さらにいえば「帰る場所がある」という甘えもまた

「今の自分は本当の自分じゃない」

を助長しモラトリアムをいたずらに長くして、気がつ
けば40歳目前という今の風潮を作り出しているのです。

正社員となり縛られるより自由な派遣。
一所懸命努力しても時給は一緒。

それも人生。否定はしませんが私は選びません。

さて、誰もがおまえじゃないといわれればその通りです。
強いか弱いかは分かりませんが、こうして生きてきた
「私見」かもしれません。

しかし、昔から生活能力のない人間がいたことを覚え
ているでしょうか。

働いても長続きしない。
働く気がない。
同じコトができない。

などなど。
若年貧困層とワーキングプワと直結しているわけでは
ありませんが、私の知る限り重なる部分は少なくありません。

では「20世紀」の彼らはどう生活していたのでしょうか。

ひとつの答えが「ヒモ」です。

だらしない男だけではありません。プログラマー時代の
同期は女性に食べさせて貰いながら「新人研修」を受け、
しばし後に退職していきました。研修時代から仕事が長く
続かないと告白していたとおりになりました。

働いたことがないという女性もいます。ヤドカリのように
住む場所を変え、男性を渡り歩いていきます。

彼ら、彼女らはワーキングプアでしょうか。
ヒモにはヒモの大変さもあるのですが、我慢して仕事を
続けるよりそちらを選択しています。私の知り合った
ヒモの皆さんは決して政治の責任にはしませんでした。

これを同列に語るといろいろと非難があるとは承知の上で
暴言を吐きますが、「結婚」という選択をしたものも知って
います。

これらすべてをひっくるめて私はこう呼びます。

「生きていく智慧」

イヤな上司に我慢する生き方もありですし、派遣社員を
選んでもいいでしょうし、ヒモだって相手を癒してあげる
という役割があります。

ご存じない方のために記しておきますが、ヒモって
昭和のドラマにでてくるロクデナシよりも、かいがいしく
家のことをする「主夫」的な人が多いですよ。

政治のせいにするのは簡単ですが、人生は自分で決める
から楽しく、辛いことも我慢もひっくるめての味わいだと
年輪を重ねたミヤワキは考えます。

責任転嫁してばかりいるとこの「妙味」を味わえず、搾取され
続けます。

 

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