パヨクはコント。電波オークションで掘る墓穴


 とかく左派というか、朝日新聞とレッテルを貼るかはともかく、つまりはあちら側のパヨクさんらは、自らの批判者を「ネトウヨ」と設定して卑下を試みますが、それらが空振りする理由はふたつ。

 そのひとつがこれ。

 ネトウヨじゃないから。

 もうひとつは「オチ」としていますが、だから、「ネトウヨは○○」と、彼ら得意のレッテル貼りしたからといって、レッテルを貼られた本人は気づくことなくパヨクさんたちの攻撃を気にも留めません。

 そしてなにより、パヨクさんらが、決定的に間違っているのは、パヨクさんらが批判され、そして嘲笑され続ける理由は、彼らのダブスタにあり、それは嘘のレベルのときは怒りを持って迎えられていますが、繰り返すウチに「コント」にまでブラッシュアップされてしまうからです。

 嘘つき少年が最後は戒めを受ける童話「狼少年」だって、それが死なない程度に、狼にお尻を噛みつかれたとかのオチならば、コントにおいて同じオチを繰り返す約束事で笑わせる「てんどん」のようになることでしょう。

 それがテキスト情報のTwitterなど、ネット上のやり取りならば、安心して嘲笑うことができる。それがパヨクさんらが笑われている理由であり、決して思想信条から攻撃しているわけではありません。

 だから、彼らの「ネトウヨ」という罵声すら気になりません。コントのなかの台詞にいちゃもんをつけるのはパヨクさんらの流儀であっても、それ以外の日本国民の態度ではないからです。

 なお、パヨクさんとしているのは、パヨクとだけすると、なんだかパヨクさんらのレベルに降りてしまいそうなので、今回からこうしてみました。

 ダブスタとは二重基準です。AのときはOKだけど、BのときはNGと、同じ条件なのに、時々による評価が変わることで、パヨクさんらの得意とするところです。

 もちろん、一般的な日本人でも、多少の評価の揺れ、基準の変更はあり、雑踏で人にぶつかられ「痛いな」と感じても、相手が怖いお兄さんなら、ぶつかられたこちらから頭を下げる事例はこれで、満員電車で右足を踏まれても、それが綾瀬はるかなら、私は即座に左足を差し出すことでしょう。あるいはそれが斉藤由貴ならば「何があろうとあなたのファンです」と囁くことでしょう。

 話を戻します。

 多少の揺れは誰でもありますが、白を黒というように、二の句のレベルで評価を変えるダブスタがネットでは嘲笑されており、これがパヨクさんらが繰り返しているということです。

 彼らにとっての不幸は「ネット」の存在です。ネットはすべての発言を記録し、低コストでいつでも引用することができます。言った言わないの水掛け論に逃げることを許しません。

 彼らにはテレビや新聞といったマスコミも含まれます。

 そして急速に信頼を失っています。先に挙げたレベルではいえば、いまはまだ「怒り」の段階。ネットで猛烈なマスコミ批判が繰り返されています。

 しかし、マスコミ諸氏の皆さん、ご安心ください。まもなく、これが過ぎて「コント」という認識が拡がることでしょうから。

 すでに朝日新聞はこのレベルに達しており、まとめサイト「保守速報」が朝日新聞系のネタを配信するときは「アホの朝日新聞」と、あの坂田利夫師匠と同じ定冠詞が授与されています。もはや朝日新聞は「ネタ元」扱いです。

 直近の事例では朝日新聞広報部名義で、文芸評論家の小川榮太郎氏の著書『徹底検証森友・加計事件 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』に対して《「厳重」な「抗議」と共に「謝罪」「賠償」などを求め2週間以内に返答せよ》と言ってきました。

 森友学園への土地払い下げ価格が不当に値引かれた背景には、安倍首相の関与があった、のではないかという妄想と、加計学園における獣医学部新設が認められる、認められようとしていたのは、理事長が安倍首相のお友達だったから、ではないかという憶測からの一連の報道、いわゆる「モリカケ」を「捏造」と指弾する本の内容に対しての抗議ですが、見事すぎるダブスタです。

 だって、疑惑を持たれた安倍首相に説明を求め続け、先の選挙における街頭演説でも「モリカケについては語っていない」と批判していたのは当の朝日新聞。

 つまりは「疑われたら疑われた方が、疑った人間が納得するまで何回でも、何度でも説明を尽くせ。納得しない限り説明を続けろ」と言ってきたのがアサヒ新聞。

 安倍首相にはそう求め、自分に向けられた捏造疑惑には、抗議して発言そのものをなかったことにしようと目論む。

 コントです。もっとも笑わせようとしているのではな、嗤われているだけですが。

 モリカケで足並みを揃えるTBSも似たり寄ったり。

 民放連会長の立場としての発言ですが、井上弘TBS名誉会長は、「電波オークション」の導入について問われ、こう答えたと産経新聞が報じます。

「われわれは多かれ少なかれ公共性を担っており、金額の多寡で決まる制度には反対する」

 電波オークションとは、公共財である「放送電波」の割り当てを、入札制度にすることで、新規参入を可能とし、国庫への収益も増えるという制度で、OECD加盟35カ国中、これを導入していない国はわずか3カ国。日本はそこに含まれます。

 実に腹立たしい。公共性を担うのはテレビ局だけではありません。水道工事だって、架線工事だって、ドブさらいにだって公共性はあります。

 社会で認められる職業のすべてには公共性があるといっても良いでしょう。社会性と呼ぶこともでき、これのない商売を考えるほうが難しいでしょう。

 例えばテレビ局の職員が、すべてボランティアで、かつ局の利益を考えずに、テレビ放送をしているのなら、その公共性を声高に叫ぶことも可能ですが、テレビ局は営利企業です。

 もちろん、テレビ放送の公共性を否定するものではありませんが、オークションにより権利を得た別の事業者が実現してもよい公共性に過ぎないということです。

 なにもTBSをはじめとする、既存テレビ局でなければ実現できない公共性などありません。この時点で論理破綻しているのですが、本丸はここではないので続けます。

 金額の多寡で決まる制度には反対とは噴飯ものです。その公共性とやらを掲げるテレビ局の収益を支えるCMには金額の多寡があります。ゴールデンタイムやプライムタイムは高額で、視聴率が上がれば広告費も跳ね上がります。

 金額の多寡じゃんって話。

 自分たちは金額の多寡で生活しているのに、その前提となる放送電波、一般企業に置き換えれば家賃や、原材料費に当たるものに対しては金額の多寡は認めん、というダブスタ。

 さらにです。

 森友学園を問題視するのは、国有地の払い下げが、不当な安値で行われたのではないか。だとすれば、国民の利益を損ねる許しがたい問題である。とするもの。

 はて、こうするとどうでしょうか。

 電波利用料は不当な安値で既存テレビ局に配分されてないか。だとすれば、国民の利益を損ねる許しがたい問題である、と。

 つまり、井上弘氏が名誉会長を務めるTBSが執拗に追及している「森友問題」とまったく同じ構図になるのです。

 ね、やっぱりコントでしょ。

 朝日新聞やTBS、そしてパヨクさんらはこうしたダブスタを繰り返しています。それを一般的には「墓穴を掘る」と呼びます。こうして掘られた墓穴のそこで叫ぶ「ネトウヨ」は、ロバの耳をした王様にさえ届かないことでしょう。

 これが「ネトウヨ」との叫びが、パヨクさん以外に届かない、響かないふたつ目の理由。墓穴の中から叫ばれてもね、って話です。

動画版はページの最後に紹介しています。
「電波オークション制反対で掘ったTBSの墓穴」

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