インダストリー4.0とIoTの正体とは

 フォルクスワーゲンの排気ガス不正は、その手口から見事というか大胆というか、これでバレ無いと高を括っていたところにドイツ人の本性を見る思いがします。

 ザックリと言えば、一定の速度であったり、ハンドルを動かさなかったりとする、環境テスト時の状況を検知すると「エコモード」になるという仕組み。

 いわゆる通常モードでは、石原慎太郎氏が都知事だったころに、ペットボトルに詰まった黒い粒子で啓蒙していた、環境負荷の高い物質が撒き散らかされます。

 真面目に悪事を働くというか、テストはテストと割り切るところに、かつての狂気を生み出し、戦後になれば歴史を切り出して考える国民性を見る思いがします。

 まず、産経新聞が報じたところを要約して伝えます。

“環境問題に取り組むNPOがクリーンディーゼルの実力をもって、より環境性能の向上を啓発するために、米ウェストバージニア大に実験を依頼したもので、「VWやBMWを疑うつもりは全くなかった」とNPO関係者(筆者要約)”
http://www.sankei.com/economy/news/150925/ecn1509250040-n1.html

 つまり、こんなに環境に良いよ。という目的の為の調査で、反対の結果がでた。そして、それを公表したということ。

 驚いたのがTBS「サンデーモーニング」に出演した目加田説子中央大学教授は、

“企業に任せず市民が調査すべきだ”

 を、本件から得られる教訓だと指摘します。

 それではその資金はどこから捻出されるのでしょうか。

 市民のカンパならどうぞご自由に。政府や行政にカネをせびるなら、そもそも論で「市民」は使えません。こうした机上の空論にすらならない愚論の拡散がテレビコンテンツの寿命を縮めています。

 不正を見逃せとも、フォルクスワーゲンを許せとは申しませんし、ただでさえ不安定な株価への悪影響に怒り心頭に発しており、坊主のついでに袈裟を憎むなら、中国では揉み手をしながら、日本には上から目線で苦言を呈しやがったメルケルのバ・・・コホン、メルケル首相のコメントも欲しいと怒りに震えているぐらいです。

 しかし、フォルクスワーゲンの株価は、時価総額で4兆円が吹き飛び、ブランド価値は1兆2千億円分が消えてなくなったと英国の調査会社は報告し、米国の制裁金は2兆円では収まらないと報告されております。それで釣り合うかはともかく、悪事の露見により制裁を必ず受けるのが自由な報道が許された環境下での自由経済です。

 先の目加田説子論とは、市民という美名への我田引水。彼女のイデオロギー的立場は存じませんが、サンデーモーニングに顕著なバカ左翼の特徴です。

 その市民が何の目的で、環境調査をするというのか。これに触れなければ、手段の目的化で、実に旧日本軍的です。

 市民、市民といいますが、その市民には右翼も含まれれば、隣のハゲ親父もカウントされ、脱原発も、原発容認派も含まれます。実のところ「市民」と語った瞬間、それはクソミソと同じなのです。

 なお、エコカーの普及が進むに連れ、この傾向は減っていますが、その普及期に、自分勝手な運転を見つけることが多かったのは、購入補助金や燃費を抑えるなどメリットが、「自分だけ得をすれば良い」と考える人を引き寄せたから。これを「エゴモード」と名づけています。

 フォルクスワーゲンのドイツを、エマニュエル・トッドの著作のヒットに絡めて「ドイツ帝国」という警戒する声があります。

 帝国と言っても皇帝はおらず、それは王様のいない王国であり、ネズミのキャラのいない浦安レジャーランドで、ネーミングそのものはフランス人であるトッドのエスプリを効かせた、経済的発展へのやっかみと見るべきでしょう。

 ところが先に引いた「サンデーモーニング」では、造園家と紹介される涌井雅之氏(三桂所属=関口宏の事務所)が、

「先日までヨーロッパに行っていたが、いまドイツ帝国として怨嗟の声がスゴイ」

 と、その怨嗟の声が、ギリシャからかフランスか、デンマークからなのかは触れないどころか、帝国論の口火を切ったエマニュエル・トッドの名前も挙げずに発言します。これもテレビが信頼を、正確にはテレビの左派が信頼を失う理由。

 なお、トッドの指摘はそれに留まらず、ロシアと中国という、どちらも日本にとっての敵性国家で、この関連性への指摘は必読です。論拠を示さず発言する涌井雅之氏とは雲泥というか、スーパームーンとバクテリアほどの開きがあります。

 そんなドイツが提唱する「インダストリー4.0」を、いま日経新聞を中心に称揚しています。

 ザックリと言えば、IT化したトヨタのカンバン方式。もっといえばモノヅクリ版のWeb2.0。号令とかけ声と気合いと根性のみで、ノウハウと呼べるレベルにはありません。なにせ走り出したばかりです。

 ドイツにおける国家プロジェクトの名前であり、日本風に言えば「骨太の方針」や「アベノミクス」といえば、よりイメージできるでしょうか。向かう方向性は何となく分かっても、具体的な方法論が示されている訳でもなく、もちろん「政府の方針」としてはそれでも良いのですが、ミクロン単位、ミリ秒単位の精度が求められるモノヅクリの現場で通じるものではありません。

 さらに国内事情にエスプリの解説を加えるなら、いまいち空振りだった「ビッグデータ」の代打が「インダストリー4.0」だということです。

 停滞するEUにおいて、一人気を吐くドイツ。は本当。しかし、それを支えるのは、そのEUという仕組みそのもので、一番分かりやすい例を出せば、破綻寸前とされたギリシャとドイツは同じ通貨を使っていることです。

 もの凄く単純にしていますが、かつてのドイツの通貨1マルク=100円だとして、破綻が懸念されるギリシャの1ドラクマ=10円だとします。両者に同じ通貨を使わせているということは、EUの外側から見た価値は1ユーロ=50円となり、ドイツの輸出産業は有利になるということです。

 また、労働力に国境は無く、脱原発を宣言し自然エネルギーで賄っているという反面、周辺国との電力融通という補助装置があり、ついでにいえば産業振興への協力として、技術指導と技術移転をしたら、教えた日本を足蹴にするような隣国もいないこともあげておきます。

 なお、ドイツの脱原発はフランスの原発が支えているのは典型的な誤報、というコンテンツが溢れているのは、見事な左翼と脱原発派の連係プレイですが、そこには発電量の制御に限界がある、自然エネルギーの場合、必要以上の発電があれば、電力の取引市場に安値で供給されてしまい、安価な電力は市場原理から他国に「輸出」され、この多さが差し引きドイツをエネルギー輸出大国にしていることまで語っているものは希。

 つまりはドイツの置かれた環境的要因による成功で、ましてやいま推進中のインダストリー4.0によるものではないのに、飛びつこうとする日本人に呆れます。

 さらにこのアメリカ版が「IoT」です。「モノのインターネット」ともいわれ、その表現がすでにウサン臭いのは、なるほどそれなりの意味がある風の言葉を用意して、誰ひとり正しくそれを説明できないところにあり、「バズワード」の要件の一つです。

 簡単に言えば「外出先からガラケーでエアコンのスイッチオン」てなかんじ。覚えている人がどれぐらいいるか分かりませんが、鳴り物入りでサービスインしてそのままフェードアウトした

「キャプテンシステム」

 はその走りといってもよいでしょう。最近では湯沸かしポットの使用履歴で、高齢の両親の安否を確認する

「みまもりほっとライン」

 も同じ発想です。

 ネットに接続する機能を持たせることで、色んなことができると大騒ぎしますが、実際のところ、ネットに繋がった先進国の生活は、大きく変わったことと、そうでないことが明らかになりつつあります。

 「通信機器」としてのインターネットは、カリフォルニア在住のジョナサンと、徳之島に住む真奈美の恋を手助けしますし、我が子の恋路を「LINE」でストーキング父親もいることでしょう。

 それでもインターネットはサンマを捌くことはできません。レシピ投稿サイト「クックパッド」で、その方法を知ることはできても、いまだインターネットは柳刃包丁をその手にしていません。

 仮に柳刃包丁がインターネットに接続されても、それを持つ調理人の技量をどこまで助けるかは未知数です。刃を充てる角度や、スライスのための速度は計測でき、フィードバックにより調理技術を向上させることは可能かも知れませんが、いずれにせよ練習は必要ですし、サンマの身の固さは個体差が大きく、あるいはそれすらもセンサーで判断するとしても、旬の今の時期、一尾100円のサンマを捌くために避ける経費とは考えづらく、「勘」を磨くほうが早いのではないでしょうか。

 また、そのクックパッドでは料理人の技量を斟酌はしてくれず、そもそも「簡単料理」とは、料理技法の基本を知っている人間にとっては「近道」を教えてくれはしますが、近道が崖道であることは多く、素人は怪我をします。

 一例を挙げれば、クックパッドに投稿された「超簡単キノコパスタ(仮名)」を見てみると

“パスタを茹でているあいだに、フライパンにオイルを入れ、中火でにんにくの香りを出したら、きのこを炒めます”

 とありますが、サラダ油かオリーブオイルかの指定は無く、さらにパスタの太さもメーカーも記されていません。いわゆる「スパゲッティ」と呼ばれるものでも、その茹で時間は3〜10分と幅があります。

 3分と10分の差はキノコの風味殺すに充分です。難癖を付けているようで、事実その通りですが、

「インターネットが解決してくれる!」

 的な発想は、いつもこのレベルで、IoTも同じだということです。

 頭ごなしに否定するものではありません。なにより、日本の家電メーカーの歩んできた道のりと重なります。

 それでも、あえて難癖的に苦言を呈するのは、1995年をインターネット元年としたとき、すでに20年の年月を重ねたのなら、赤子も成人式を迎え、成人は不惑を数え、80才の長老がその風雪に耐えたなら、在住の自治体の市長当たりがお祝いに駆けつけることでしょう。

 それだけの月日が経ったのだから、それだけの経験を持ってIoTと接するべきだということです。インダストリー4.0も同じ。

 そして見たとき、どちらも「バズワード」だと気がつきます。

 トッドにならってエスプリを効かすなら、インダストリー4.0が生み出したのが、フォルクスワーゲンの走行データを偽装するテクニックとなります。

 どれだけ機器を進化させ、テクノロジーを磨いても、人間の悪意には勝てないということです。

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