通貨として議論にオープンソースを持ち出す時点で、大石哲之氏の論理力が見てくると言うものですが、彼だけの罪と言うより、こういう自説のためなら無理筋でも通そうとするのは、IT業界ではよくあることです。
その権化のような堀江貴文氏。朝一番に予約した歯医者で見つけた「朝日新聞」でビットコインに
“ビットコインの広がりは止められません。簡単には供給量を増やせないし、他の通貨と交換ができる。必ずしも国に管理されている貨幣が信用できるとは限りません。紙幣をお金として使うのは習慣的なもので、惰性です。日本でも、何かの拍子で紙のお金が消える時代がくるかもしれない。”
とコメントを寄せております。もうひとりが、1ドル50円説を唱えていた浜矩子教授ので、そもそもの人選ミスのような気もしますが、朝日新聞ならさもありなんというところですが、一応、引用。
“ビットコインは、国境の無いグローバル時代に咲いた「通貨のあだ花」。通貨は人と人との信頼関係が基盤なのに、その信頼性を命がけで守る中央銀行のような番人がいない。そんな貨幣のサービス停止は、「やっぱりね」の感が濃厚だ。”
堀江貴文の無政府主義者(アナーキー)な発想は自分が一番偉いという底意の裏返しなのでしょうが、その一方で家入一真や安藤美冬とかいう輩と組んで、東京の区長選挙に出馬しようとするところに、本質的な嘘つきを見つけます。
短いコメントなので要約されていると堀江は言い訳をするのでしょうが、紙のお金が消える理由を「何かの拍子」とは、倉田真由美レベルの論理展開。そもそも紙幣云々からの話しは、電子マネーでなかば実現していることで、何かの拍子もクソもありません。
また「ビットコインの拡がりは」と語っておきながら、国内の紙幣に矮小化して結論づける・・・かのようにして、最後は「かもしれない」と可能性の提示にとどめます。どちらにころんでも「言っていない」とも「言った通りだ」ともいえる論理はまるで橋下徹です。
さらに前後の接続詞として国家への不信を匂わせるあたり、「国策捜査芸」の名取りのひとりとうなりますが、「必ずしも」という表現はずるく、世にイレギュラーはつきもので、どちらに転んでも言い逃れができるいいわけで、論理的な組み立ててで話しをすり替える堀江節。馬鹿は騙されるんです。短い文章に3つ以上の論理を入れ込むと、脳みそがパニックを起こすのです。
朝日新聞の比較においては浜矩子の勝ち。もっとも各国の中央銀行が、命がけで信頼性を守るのは「国益」のためで使命感だけではなく、「体温」が感じられないのが残念ではありますが。
調べてみると堀江貴文氏は、昨年末よりビットコインを推奨する立場で、何本かの記事を書いており、先の大石哲之氏と同じ立場なのでしょう。そういえば、いまもって「ホリエモン」の右腕とか左腕とか名乗る詐欺師まがいが活躍しており、本人とのツーショット写真も数多く流出しております。
余談ついでに最近の若い世代・・・20代は、堀江貴文がメディアを席巻し、嫌われオーラを拡散していたころの彼の言動を知らず、「国策捜査」という名の下に、美談へとすり替え、徐々に信者を増やしている姿が、何かに似ているなぁと考えていました。
先日、愛犬の散歩で、ちょっと遠出し辿り着いた足立区入谷にのぼりが沢山。
「オウムはでていけ」
そう。いま、オウムを知らない若者の入信者が増えているんですって!