結果を出しているのに理不尽だ

アベノミクスが動き出し、株価は堅調で、街角からも明るい希望が聞こえてくるようになりました。弊社保有株式においては野田ドジョウが解散を表明してから、もうすぐ200万円の上昇でホクホクとはいかないのは、その前の赤字の濃さが場末のキャバ嬢のルージュに匹敵したからです。

円安を受けて軒並み上がる海外市場のETF商品ですが、わたしが購入したブラジルだけは出足が遅れているのもその理由です。

ただし、これだけはいえます。

「どこまで下がるのか」

という不安心理だけは払底されました。

人の心理は面白いもので、燦然と輝く希望がなくとも、これ以上の不幸が訪れないというだけで、相対的に幸せを感じるものなのです。

これは戦後復興から昭和時代に通じて言えることで、古市憲寿のようなバカな小僧が語る昭和像に欠けているものであり、それをひとことで言えば

「戦争中よりはマシ」

というもの。真夏の太陽のように希望が照りつけていたのではなく、地上の楽園と喧伝されていた事実は北朝鮮のもので、毎日食べていくために必死で、しかし、戦争により生活が奪われることがなくなっただけで幸せに感じたのです。古市憲寿があっけらかんと語る明日に希望があった時代ではありません。

というかキューバ危機をあげるまでもなく、昭和の子供は五島勉という詐話・・・作家の創り出したノストラダムスの恐怖の支配下・・・だけではなく、我が日本国は米ソ冷戦下において極東における西側の防波堤で、ちなみに当時の韓国は軍事政権で、戦争というのは割合近い現実であり、社会党あたりが元気だったのも現実の恐怖から目を逸らすためのトリックスターのような役割を担っていたからです。

もちろん、わたしは戦争(大東亜戦争)を知らないわけですが、周囲で復員してきた人を探すのは簡単でしたし、それを遠い忌まわしい記憶と封じ込めようとした日教組のバカどもの洗脳を信じている最中にフォークランド紛争が勃発し、虚ろな記憶ですが、これを訪ねた教師は

「紛争であって戦争ではない」

と世界は平和だという幻想のためには生徒に平気で嘘をついていました。

ちなみに世界的には「戦争」と表記されます。

つまり「死ぬよりマシ」と思える精神状態を忘れた結果、「三丁目の夕日」的な共同幻想を再生産しているということを忘れはなりません。そしてこれまた余談ですが、西岸良平さんによる漫画「三丁目の夕日」においては、残酷な昭和もホノボノとしたタッチのなかで、しっかりと描かれています。

とにもかくにも、政権再交替にて経済においての国民の心理が改善していることは明らかです。

すると自民党が大嫌いな朝日新聞系のテレビ局や、みのもんたなどが露骨に批判を始めましたが、ところで、みのもんたって、いつからこれほど自民党が嫌いになったのでしょうかね。権力をからかうところは以前からありましたが。

やはり自分が権力者になるとそれ以上の存在を疎ましく思うのか、期待した民主党の失敗のフラストレーションをやはり自民党に向けているのか。であるならば、あの寄り合い所帯に期待した不明を恥じるところに人の成長があるのですが、増上慢に成長はなく、それは驕れる平家の平成版を演じた民主党が証明してくれたように、彼のタレント生命を予感させてくれますが、これまた余談。

景気が良くなる、が、給料はしばらく上がらない、と、これを理由に安倍政権に批判の矢を放とうとするのは論外です。

そして給料が上がりにくいメカニズムはかつて誉められていたことが理由だというのが今日の「言えないこと」。

企業の内部留保は一説では400兆円あると言われています。

すわ、これをはき出して給料を上げろ・・とそこまで直線的な発言はさすがに少ないとは言え、安倍政権による経済政策であるアベノミクスが成功し、企業の業績が上がったときに、給料まで反映されるのか、されずに内部留保に回されたらたまらないとテレビコメンテーターが嘆いてみせます。

テレビコメンテーターは名前が売れており、主催者の意図に沿う発言が得意技なので、企業が広報にお金を廻せば、シンポジウムなどのイベントで収入増に繋がるので切実な願い・・・は、これまた脱線。

企業が社員の給料を上げずに、内部留保に回す理由の第一は銀行です。貸し渋り、貸しはがし。その前にバブル経済はなやかりしころの「押し貸し」から始まっています。

押し貸しとは資金需要がないのに無理矢理貸すことで、犯罪のそれではありません。バブルの頃、こんな事例もありました。

取引のある会社に土地を買わせます。不動産担保がないと運転資金を貸し出せないというのが、無茶苦茶な理由であるのは、土地を買うための資金は貸し出しているからです。

ここに悪意を振りかければ、貸し倒れさせて抵当をつけた土地を搾取し、負債だけ借り入れた会社に押しつける銀行による詐欺です。

購入直後にバブルが破綻します。すると、バランスシート上の負債が多いと運転資金の貸し出しを渋ります。バランスが悪くなったのは銀行が薦めた土地の購入であることは明らかです。なぜなら、帳簿上では毎月黒字となっており、手形が落ちるまでの資金不足を銀行融資で補っていただけからです。

役員が過大な報酬を受けとっていたわけでもなく、際だった資産も投資もしておらず、資料保管用に借り上げたアパートはトイレ共同の築40年物件の一室と、堅実な経営をしていた会社に土地を買わせたのは銀行です。これは元勤務先の話し。

ボーナスカットや給料の遅配で乗り切りましたが理不尽な話しです。そして珍しい話しではありません。大なり小なり銀行に泣かされた記憶を持ちます。

すべての元凶を銀行に求めはしませんし、銀行もまた大蔵省に振り回され、いまは財務省に泣かされているのでしょう。ただ、公的資金注入で叫ばれた、銀行擁護論があれだけ批判された背景には、民間企業の積年の恨みがあるのです。

同じくバブルの頃。終身雇用をバカにする空気が生まれました。
才覚があれば一旗揚げられる時代になったとマスコミがはしゃぎます。「フリーランス」が時代の代名詞になったころです。

拡大解釈され、会社にいつまでもしがみつくのは愚鈍の象徴であるという論調も見かけ、転職社会の米国を賛美しました。

「脱サラ」

が盛んに叫ばれ、居酒屋の店長が

「青年実業家」

と名乗っていました。まさに戦後民主主義が唱えた「個人の時代」が到来したと誰もが浮かれていました。

言葉を換えれば「実力主義」といっても良いでしょう。二十歳を挟んでこの時代を生きた私にとって、魅力的な言葉でした。何十年もジッと我慢することなく、実力により頭角を現すことができる。生意気盛りで50年輩の役員にだって論争をふっかけていました。

もうひとつ雇用をめぐる流れがこの頃生まれます。

「フリーター」

です。こぞって持ち上げました。自由な生き方、縛られない、とらわれない、帰属しない生き方として「社畜」の反語のように持ち上げられたものです。

ただし、社会の大半はフリーターを白い目で見ました。わたしもそれを恥、会社員を辞めたのち、これに堕したとき「プータロー」とさらに辱めるための呼称を用いたものです。

ここでフリーターは恥ずかしくない。とする幻聴が聞こえたので経験者として答えます。「恥ずかしい」です。いまでも。

所詮は臨時雇いです。職業意識が高く、その道を究めるため、しかし、正社員雇用がないので契約形態としての「アルバイト」を否定しているのではありません。食い扶持としてのアルバイトを正業と捉える風潮に騙されてはなりません。

十代二十代の前半ぐらいならば良しとしましょう。ところが30過ぎてもフリーターでは「恥ずかしい」のです。

正社員の道が閉ざされるのも事実ですが、中小企業ならいくらでも潜り込むところがあります。年下の上司の下につくこともあるでしょうが、仕方がありません。その会社においては実力も実績も不足しているのですから。こうした我慢もできず、手に職もなければ、際だった特技もないからフリーターなのです。重ねて言えば、30才を越えるまでの道のりで、人生を考えてこなかった証左です。

些少の不運で一時的にアルバイトをしている人を指しているのではありません。フリーターを身分と勘違いしていることを恥ずかしいとするのです。

銀行の仕打ち、実力主義の礼賛、フリーターの身分化。

企業が内部留保を増やし、給料への反映を渋る大きな理由です。

銀行は先の理由です。いつ、銀行の方針が変わり借り入れが難しくなるか分からないのですから、現金で貯め込むのは経営として当然の備えで、会社が潰れれば社員への給料・・・は優先債権として支払われるとしても、事業が継続できなければ、社員は路頭に迷います。

すると目先にいくらかの給料を増やすより、中長期の雇用のためにも内部留保へと傾くのは仕方がなく、単純に企業が金を貯め込み、社長を筆頭に役員連中が豪遊するためというのは、日教組のバカどもの妄想で、これができるのはせいぜい中小企業やオーナー企業で、株式公開している大企業では困難です。

つまりは「貸し渋り、貸しはがし対策」と「雇用確保」のために内部留保が増えたということ。

続いて実力主義の礼賛。

企業の広報誌に過ぎない日経新聞ですが、時折、良記事を載せます。「私の履歴書」でエロ小説家の渡辺淳一は、過去の女遍歴を当時のシチエ-ションを再現し、関係者なら人物特定は容易な状況にもしらっと筆を進めるデリカシーのなさの自己弁護として「鈍感力」という言葉を作ったのでしょう・・・とは前回までの人。

現在連載中はオンワードホールディングス現名誉会長の馬場彰氏。

彼が係長時代、百貨店の最上階で催事を企画し、これが当たり売上を飛躍的に伸ばしました。そして月の売り上げ目標を半月で達成するようになり、月の後半は日中から部下と麻雀に興じていました。

会社にばれて譴責(けんせき)されます。ボーナスは半額、係長から主任に降格。組織のモラルを守るための見せしめ的な懲罰人事とは本人の述懐。

落ち込んでいる日々、部長に呼び出され、頑張っているのは認めているが、あれはいけないと説教。そして封筒がだされ、だまって受けとっておけ。なかみは十万円。減らされボーナスを部長が自腹を切ったと。

侠気のある話しですが、十万円の部長ではありません。

いま馬場さんの立場ならこうではないでしょうか。

「結果を出しているのに理不尽だ」

そして

「だったら、自分を評価するところに移籍する」

とならないでしょうか。

あるいは

「十万円を受けとった上で退社」

ということも起こりえるでしょう。実力主義の礼賛の結論です。

実力主義を否定するのが本稿の目的ではありません。ただ、実力主義の標榜が、ウェットな人間関係をなくしたことにより、従業員はよりシビアに金銭や数字で「会社を評価」するようになったという事実の指摘です。

育てて貰ったという感覚など皆無に等しいでしょう。そして気楽に退社していきます。

これを会社側からみればこうなります。

「いつ辞めるか分からない社員に高い給料は支払えない」

アウトソーシングが叫ばれた背景でもあり、優秀な外注なら高い支払いになっても一時的なもので、平凡な仕事なら値段を叩ける下請けにだせばよいと経営者は考えます。

つまり社員に対する「先行投資」をしなくなった背景には、実力主義の礼賛から派生した帰属意識の消滅があるということです。会社が社員を手厚く遇しないように、社員は会社に恩返しという発想するなくなり、これは卵が先かニワトリが先かの議論です。

不況下のリストラを先に持ち上げるとするのは片手落ちです。リストラブーム(?)の前にフリー志向があったからです。

最後にフリーターの身分化。

かつては見る目のあるアルバイトは「社員になれ」と誘われたものです。社員にしてこき使う・・・と洒落で言われましたが、福利の面や賞与などの待遇を考えても、正社員の方が会社の負担は大きいのです。

そしてそれほど優秀でなくても、長く務めているうちに社員に誘われることがあったのは、

「不憫」

に思われたからです。フリーターであることがです。

ところが、フリーターが身分となったことで、不憫と感じることを失礼と思う、馬鹿な遠慮まで発生します。自由を何よりも尊ぶ日教組教育のクソ洗脳の影が見えるのですが、他人の自由を侵害するとは極悪非道の許すまじき行為であり、他人がよかれとフリーターをしていることを否定などするなど言語道断と。

企業がフリーターを雇うとき、世間相場から高めの時給を支払おうとも所詮は「臨時雇い」です。不用となれば辞めさせればよく、雇っていても社員よりは安くあがります。

かつてのように彼らの身分を、すなわち生活を安定させて上げなければという親心は不用です。なぜなら彼らはフリーであり、より良い条件を見つけていれば移籍を辞さない連中。ならば、いまここにいるということは、相対的に最良の条件を提示しているということを証明し、さらなる待遇改善に心配る必要なし。

そして、つみあがった内部留保が400兆円。赤字の会社が多いよりは健全だとは思います。

ただ内部留保は、年功序列という社会制度を拒否した、あの時代の日本人の選択だということを、新しい時代に進むいまこそ、考え直さなければならないではないでしょうか。

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