身を切るような冷たい雨が降る1月の夕方。土曜日と言うことも
あり早めに家路につこうというのでしょうか、人の流れは駅から
住宅街へと向かいます。
自動車で駅近くの一方通行路から東西を走る通りに出ようとします。
一時停止は「完全停止」し、そろりと進みます。
通りの信号は横断歩道用のもので、車両は大縄飛びのように
「はいれるタイミング」ではいるのですが、この時は横断歩道が
青となり東西を走る通りは制限されていました。
この交差点は変則的で、通りにかかる横断歩道には歩行者用信号が
ありますが、通りに北から南に接続する一方通行出口の横断歩道には
信号はありません。
歩行者がいないことを確認しながらゆっくりと進んでいくと、
「左手」の歩道から傘を差した自転車がかなりの速度で
「突っ込んで」きます。
あわてて急ブレーキ。自動車の先端は既に横断歩道を越えていたの
で、自転車は車の先を舐めるように目の前を迂回します。
危険ですがよくあること。するとこの自転車の搭乗者がドライバーの
わたしを睨みつけます。そこで窓を開け「危ないよ」と注意をすると、
「うるせぇな」
と吐き捨てるのでかっちーん。
「てめぇ赤だろうが」
と不惑のわたしは迷いなく指摘。
すると
「てめぇ降りろよ」
と自転車のリクエストに、後続車がいたので、右折して侵入
した通りにハザードを点灯させ停車し車を降ります。
通りを挟んだあちらとこちらになりましたが、
「赤信号ではいってきたから注意したんだろうが」
と指摘すると
「横断歩道だよっ!」
と自転車。
「自転車は車両じゃボケ」
渡っていってとっつかまえようとした時に、バスがふたりを
遮り、その隙に自転車は「スィー」と謝りもせずに去っていき
ました。
自転車は右側通行しており、傘を差しての片手運転。
そして車両なので信号無視。
にも関わらず自分を歩行者と同等の権利があると思いこみ
「権利を主張」
していたということです。
ちなみにこの自転車の運転手は15〜6才の女の子。茶髪に
ジャージ姿のまぁそういう育ちの感じの。
それより、私が「停車」したそこは「交番」の目の前。
怒鳴りあう声にも、お巡りさんは様子を眺めても何もせず。
「どうしました?」
と声をかけることもありません。
東京都足立区西竹の塚の出来事。
地元の方はご存じの竹の塚駅西口の駅前交番の前のできごと
です。仕事しろよ「竹の塚警察」。
といっても、この交番の目の前も同様の「横断歩道」が
あり、その歩道を走る自転車が、赤信号に停まっていたら
「渡っていいよ」
と親切に交通違反をすすめていましたので、法令遵守という
思想のない・・・というと言い過ぎですね。しかし、最近の
お巡りさんは仕事をしていないように感じるのは気のせいで
しょうか。
自転車への風当たりが強くなっています。
特に都心部では昨年の震災が追い風となり、自転車利用が
増加し、それに伴いマナーの悪化が叫ばれるようになりました。
先日も愛犬と散歩中、信号のある横断歩道で、青になった
ので渡ろうと一歩を踏み出すと、「信号無視」の自転車がビューと
目の間を横切ります。ロードタイプの自転車でかなりのスピードが
出ています。
また近所のスーパーマーケットの目の前の横断歩道でも同じ
シーンに出会いました。
両者に共通するのは「オジサン」。
オジサンのわたしがオジサンと呼ぶのは気が引けますが、
私より高齢であろうオジサンで50代ぐらいでしょうか。
すると先の15才の少女と併せて、幅広く交通法規が守れて
いない無法地帯に日本はなったということです。
さらにここに「オバサン」を加えると、もはや
「マッドマックス」
の世界です。止まる、曲がる、降りる。まわりに自動車が
あっても歩行者がいても自由自在です。右側通行も左側も
ありません。
そして子供は大人の悪いところばかりを真似します。
小学生の無謀運転はむかしからありますが、危ないと警告
のクラクション(あ、道交法上は鳴らしてはいけないことに
なっていますが)を鳴らすと睨みつける小学生は珍しくなく
中学生は普通です。
これは2年前になりますが、二人乗りのヤンキー風中学生
が信号無視で交差点に突っ込んできたので、窓を開け注意
すると「ばーか」と悪態をついたので、その場に車を停めて
走って追いかけたことがあります。
姉の意識不明が続いており、心がささくれだっていたことも
ありますが、追いかけられると想定していなかった子ども達は、
慌てて逃げだそうとして、荷台に載る後ろの仲間を落として
逃げだし、落ちた仲間は駆け足で必至で逃げていく微笑ましい
光景をみたものです。
どうしてこんな世の中になったのでしょうか。
それは「三人乗り自転車」に現れます。
構造上の危険性からも禁止令がだされると、主婦や人権やら
なんちゃらの排泄物と発酵食品を混同したような権利意識丸出
しの主張がまかり通り、子供に限って三人乗りが事実上解禁と
なりました。
一応、三人乗りに適合した自転車だけとなっていますが、
有名無実です。適合した自転車が高い・・・とはいわせません。
先月までは子供手当、今月からは児童手当(再)が支給されて
います。子供が二人いれば2〜3ヶ月分で購入できますし、
そもそも支給は4ヶ月毎なので、支給された直後に買うことが
できます。買わないのは親の都合です。
金は自分の好きなように使う権利は行使するが、法令を
守るためには使いたくない・・・と、事実が物語っています。
で、根本的な問題を指摘します。
三人乗りとは本来違法行為でした。いまも違法行為で、特例
にすぎませんが、子育て世代の「権利意識」の膨脹により
「犯罪が犯罪でなくなった」
のです。これは以前にも指摘したことですが、識者と名乗る
阿呆(実名上げても良いのですが語るに落ちるので)が双子の
場合は必然的に三人乗りとなり、自転車に乗れないならでかけ
るなといっているの同じと主張していますが、端的に答えると
こうです。
「歩け」
あるいは自動車の免許を取りに行けば良いだけのことです。
我が子が可愛く、そして大切に思うのなら自動車免許を
取得して自動車を買えばよいのです。例えばそのために
「子供手当」
を使い込んだとして、誰が責めるでしょうか。母親、あるい
は父親が違法を違法と甘受せず、法律をねじ曲げる姿を子供に
見せるより遥に健全です。
いまの自転車問題の根底にあるのはこの「権利意識」です。
自転車は車道を走るもの・・・とすると、
「車道は走りにくい」
と反論する気持ちは分かりますが、それも「権利意識」です。
仮にその議論にたつなら、いまは廃止されましたが、かつては
自動車は「道路特定財源」をガソリン購入時に支払っており、
自動車が有利になるのは当然の「権利」ではないでしょうか。
わたしは権利のがなりあいという貧相な戦いに立つつもりは
ありませんが、冒頭の少女のように
「まず、自分の権利を主張」
する発想が、自転車を不利な立場に追い込んでいるのです。
例えば先ほどの「オジサンライダー」。
信号無視をしているのです。そこでわたしが「危ない」と
怒鳴ると、振り向いて睨みつけます。このリアクションは
15才(であろう)のヤンキーネーチャンと同じです。
そしてオバサンたちも似たようなものです。
クラクションを鳴らして転けたら危ないと徐行して
通過しようとするときもあります。すると自動車の存在に
気づかなかったバ・・オバサンは、勝手に驚き
「危ないわね」
という表情で睨みつけます。
自動車に対して自転車は怖いといい、安全に走れるように
して欲しいと「権利」を求めます。ならば、より弱い存在で
ある歩行者への配慮はいままであったのでしょうか。
かつて自転車に対して交通弱者である歩行者への危険から、
自転車は車道に追いやられました。ところがなし崩し的に
歩道に戻ってきて、事故が相次ぎ、社会問題となっている
のです。
例えば歩行者より速いのだから歩行者を追い越すのは当然。
歩道であっても遅い自転車はぬいても良い。
自分の速度を落としたくないから「ベル」を鳴らして
歩行者をどかせる。
すべて
「過剰な権利意識」
の仕事です。
もちろん、ちゃんとした自転車のりはこの問題に真摯に
取り組んでおり、彼らの抱える危機感は相当なものです。
しかし、自転車・・に限らずなのですが・・・過剰な権利
意識を払拭しない限り、自転車専用レーンができても同じ
ことです。
また、これは
「原発はいらない。が、電気は安定供給しろ」
というのと同じです。
昨年、計画停電を経験した身としては、こう思います。
「一度、全部止めてみれば(被災地を除く)」
政府の姿勢は・・・まぁクズの集団なのでアレですが、脱原発
を主張する連中のファンタジーは、一度電気を止めないと止まら
ないと睨んでいます。たぶん、電気仕掛けです(笑)。