ひよこが死んでリセットボタン

私がコンピュータに触れたのは確か1982年で、当時は

「マイコン」

と呼ばれていました。マイクロと「my」をかけての名称です。

マイコンブームと呼ばれた当時は未来の色はバラでしかなく、
進化は常に豊かさという隠喩を含んで使われていたものです。

30分以上自転車を漕いでコンピュータの展示場にいきました。
体験コーナーが目当てです。

秋葉原は激戦区で初心者にはハードルが高く、競争相手も多かっ
たことから赤羽の忠実屋(赤札堂だったかも知れません)が穴場
でした。

目的は「ゲーム」。

マウスもジョイスティックもない「マイコン」には「ソフト」
もありませんでした。「ソリテリア」ももちろんありません。

拙いキーボードさばきで「打ち込み」ます。
BASICというプログラム言語をプログラムが掲載されて
いるベーマガ(マイコンBASICマガジンという雑誌)を片手に
入力していたのです。

アルファベットが右から左に流れてそれを「*」のミサイルで
打つというシンプルなものですが、「RUN」と実行命令から
ゲームが始まった瞬間の感動は忘れません。

・・・入力ミスで動かないことの方が圧倒的に多かったことも
感動を倍加させた理由です。

マイコンブームと前後しますが、ブロック崩しにインベーダー、
ゲーム付き腕時計に電卓、ゲームウォッチ、そしてファミコンと
私の義務教育の期間は「家庭用ゲーム創生期」と重なります。

その為か「ゲーム害悪論」には懐疑的です。

だってゲームはツールの一つであって、それが全てではなく
小説だってその歴史の中で「若者を堕落させる」と非難された
ことがあり、テレビだって漫画だって同じです。

昨今の「MANGAは世界に誇る日本の文化」だという論調も
昭和の頃にはばかげた話で恥ずかしというのがコンセンサスだった
ことを覚えているでしょうか。

「漫画を読む大学生」

は嘆きと共に語られたものです。
だからゲームだって・・・と。

ただファミコン登場から四半世紀が過ぎ、

「生まれたときからファミコンがあった世代」

も社会に出てきているので今回はあえて「害悪」について
の仮説を提示してみます。

月間少年ジャンプに続いて「コミックボンボン」が今月で
休刊となりました。

主要顧客層であった子供達はにゲームに移行していると
報じたテレビで、理由を尋ねると

「漫画は読むだけで操作ができない」

といいます。これをもって「体験できるゲームの優位性」を
論じるのはゲーム会社はスポンサー様であることと無関係で
しょうか。

ここにちょっとした怖さを感じます。
操作したい、参加したい。

が、常識となっていることです。

昨今蔓延する「俺様主義」を助長したのがゲームではないか
という仮説です。

悪平等思想に反権力思想を植え付け、権利至上主義を実らせ
公教育活動から

「俺様の権利は侵すべからず何よりも尊きもの」

となったと見ていたのですが、それを助長したのが

「誰でも主人公になるゲーム(特にロールプレイングゲーム)」

ではないかと。

その昔、飼っていたひよこが死んでリセットボタンを探した
子供のニュースは世間を騒がせましたが、あれから20年近い
月日が流れました。

分別のついた人間にとって疑似体験やバーチャルが広義での
「嘘」であることは織り込み済み楽しむことができます。

子供にその境界はありません。
私はウルトラマンタロウになりたかったですし、大場久美子
さんのコメットさんを本気で好きでした。

嘘の世界に子供を晒す危険にあまりにも無防備です。

小説や映画、テレビは整理された情報として与えられ、解釈
の中で「体験」をします。登場人物に人生を重ねることで、
相手の気持ちを斟酌する訓練も兼ねていました。
と、同時に野山を駆けめぐり転んで膝から血を流して

「痛い」

を経験します。フィードバックされ、物語の中での怪我に
同情や共感を覚えます。

ところがゲームは自ら操作します。
それはまるで自分であるかのような体験です。

死んでも生き返りますし、某かの薬草ですぐに元気を取り戻
します。

一番怖いのが「都合の良い展開ばかり」だということです。

自分で考えて行動しているかのような「ゲーム」はシナリオが
あり、それに添った行動しかできないようになっており、従えば
都合の良い未来が開けるようになっています。

辛いことも悲しいこともできるだけ省略し簡略化されています。
ゲームですから。

子供にとってそれも一つの現実です。

今の子供に限らず25年前子供だった大人にも。

「俺様主義者」とゲームヘビーユーザーの相関関係が気になります。

・・・もちろん、ゲームとリアルの境界線をきっちり教えれば
害悪論のようなことはおきないのですが、教える大人が既に
境界が無くなっていれば・・・ぞっとします。

おまけ。

世界に誇る漫画の衰退が叫ばれています。
恥ずかしながら今でも漫画を読んでいますが、ネットの台頭
による娯楽時間の引っ張り合いなどが理由として挙げられます
が、質の低下はもちろん

「見開きページの濫用」

も大きいのではないでしょうか。最近の連載ものは中身が
薄いです。漫画雑誌が売れない一方「単行本」は堅調なのは
まとめて読むことで薄さがカバーされるからではないでしょうか。

腹立ちますね。紙資源の無駄遣いと。

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