ダブスタとは「ダブルスタンダード」の短縮形で、ネットスラングとして主にパヨク(劣化した左翼)を嘲笑する言葉として定着しています。パヨク以外では民進党批判に多用されます。どちらも同じというツッコミもあるでしょうが。
リベラルの退潮が叫ばれるドメスティックな理由は「ダブスタ」です。かつてマスコミは左翼やリベラルの独擅場でしたが、発言や批評がネット上に転載されるようになると、発言の一貫性の無さ、すなわち「ダブスタ」が明らかとなり信頼を失います。
津田大介氏のように、保守派を「ネトウヨ」と定義し、さらに「多数派」と過大評価は「口裂け女」のような妄言に過ぎず、普通の日本人にとって「ダブスタ」は「嘘つき」と同義で彼らの発言を信頼しなくなります。マスコミ離れの一因でもあります。
そんなマスコミで大活躍するジャーナリスト 青木理(あおきおさむ)氏の「サンデー毎日(2016年10月23日号)」の連載「抵抗の拠点から 青木理のカウンター・ジャーナリズム」は死刑廃止を宣言した日弁連への賛辞でした。
《国家が個人を縊り殺す死刑制度の是非は、個人間で起きた犯罪とは位相が違う》
とはその通り。だから、私刑が認められていないから、国家が代行するのが死刑制度。
《お前の家族が殺されても同じことを言えるのか、といった情緒論もしばしば横行するが》
と、縊り(くびり)殺す、横行と、言葉の端々にほとばしるイヤミが、青木理氏の人柄を表しています。
死刑制度の堅持を求める全国犯罪被害者の会の設立者 岡村勲氏は元日本弁護士連合会副会長で、かつては死刑制度に反対していたが、自分の妻が逆恨みで殺されて転向したとは、週刊新潮の髙山正之氏の指摘。
情緒論で悪いか。人は感情の生き物なのだよ。
もちろん、主義主張はそれぞれ。青木理氏のお身内に、理不尽な悲劇おこらないに越したことがありませんが、当事者にならないと他人の不幸を理解できないタイプの人がいます。
で、何を持って死刑廃止を「是」とするかといえば「世界の潮流」。
語るに落ちるとはこのこと。世界の常識と死刑廃止を求めるのならば「よその家の子になりなさい」的な反駁はもとより、特定秘密保護法、共謀罪、海外派兵に国軍の保持、それを可能とする憲法改正だって「世界の常識」ながら、青木理氏はこれに触れません。
日頃の言動を見る限り「反対」でしょう。
見事なまでの「ダブスタ」です。
サンデー毎日のように、お好きな方だけが読む雑誌で、ましてや読み捨てられる雑誌だから、何を言っても構わないと思っているのかもしれませんが「dマガジン」などの、電子雑誌の読み放題により「ネット情報」となったことで、いつでも「ストック」できるようになっています。
トレンドからいえば、いまは原稿を「画像化」していますが、「読み上げソフト」と連動すれば、視覚障害者や「オーディアブック」的な楽しみ方も拡がる「電子書籍」。早晩「文字情報」として流通することとなるでしょう。
ネトウヨが騒ぐまでもなく、テキストのデジタル化こそがパヨク勢力を追い詰めます。四字熟語でいうなら「自業自得」と呼ぶのですが。