フジテレビ並みの自己宣伝号

いよいよ、本日、発刊します。

『完全! ネット選挙マニュアル』です。

表紙や各章のアイコンに写るのは私です。そこに本書の底意を見つけて下さい。

と、各種連載でも自己宣伝を繰り返し、その様はお台場合衆国か、AKB48の総選挙番組のための露骨な露出のようではありますが、多分誰も書かないことなので、書いてしまいました。

というわけで本稿も、ネット選挙マニュアルよりのスピンアウト企画です。

なぜ、ネット世論は間違うのか。について。

民主党による壮大な社会実験がもたらす闇を知らずに、政権交代へと走った2009年の総選挙。実はこのとき、ネット世論に自民党を支持する声は少なくありませんでした。

政権維持は困難としても、存在感のある野党としての議席は確保するものとネット世論は見ていました。ところが民主党が圧勝します。

震災から3ヶ月後の2011年6月6日〜16日に集計された

“あなたが「次の首相にふさわしい」と思う政治家はだれですか?”

という「Yahoo! みんなの政治」のアンケート結果のトップは小沢一郎氏でした。週刊誌に依れば、放射能が怖いと選挙区どころか、世田谷の自宅からも逃げ出した男が首相・・・にならなくて本当に良かったと思います。

昨年末の衆院解散前の同アンケートでこう問います。

“あなたが望む次の政権の枠組みは?”

丁度半数の50%が

「政界再編による新たな枠組み」

と答えます。

ネット世論などいい加減なもの、というつもりはありません。むしろ、ネット世論ほど真剣に政治を考えているものはありません。それは橋下徹氏が指摘するところの「バカコメンテーター」よりも真剣に考えていることでしょう。

だから、世論を読み違えるのです。ちなみに本稿ではお馴染みですが、

「世論=せろん」

です。「輿論=よろん」ではありません。

どうしてネット世論は間違えるのでしょうか。日本語には

「床屋政談」

という言葉があります。古くは髪結い床から始まり、仕上げるまでの時間の雑談を指し、政治というのは格好の雑談テーマになるのです。なぜなら、庶民からもっとも遠いところにあるから。無責任でよいというのが最高の娯楽とも呼ばれます。

政治が庶民の娯楽も兼ねるのは古代ローマのころよりの歴史があります。また、権力者をコケにするお笑いの定石があるように、圧倒的存在と定義した「お上批判」は、庶民にカタルシスを与えます。アンチ自民党芸人の芸風です。とにかく自民党に対しては、どんな無理難題をふっかけてもよく、中韓が日本に対するように人権を無視しても笑いがとれればOKという下衆な心根。

そうなのです。古今東西「政治好き」は少なくないのです。

では多数派かといえば、さにあらず。

ワールドカップ出場を決めた翌朝のデイリースポーツが阪神情報を一面に持ってきたように、全ての人が同じ価値観であるわけもなく、政治好きが世の全てならばスポーツ紙もAKB新聞も存在するわけがありません。

生活の不満を重ねて、お上の悪口をいったとしても、政治にまで詳しい庶民は少数派なのです。さらに積極的に政治に関して言葉を発する庶民となればさらにレア。一般社会では変わり者に属することでしょう。世間話として政治の話をしても、真剣に天下国家を考えている庶民は天然記念物並みです。

さらにさらに。床屋政談に代表される「政治話好き」といっても、天然記念物がカブトガニだけではないように様々な種類がいます。

孫崎享あたりを頭から信じ込む「陰謀論」もいれば、ネトウヨの資料をつまみ食いした「エセ皇国史観」をもつもの、もちろん自虐史観に立つものもいれば、経済的視点から読み解くものから、派閥政治に遡り理解を深めるものと多様です。

ただし、ネットでおもに発言する庶民に通底するのは「浅い」ということです。というのは、どのアプローチでも「深く」捉えていれば、軽々に発言はできなくなり、ざっくりと切り取ったアンケートに気軽に回答することは躊躇われます。

例えば震災直後の首相選びでも、「誰か」という安直なものではなく、政治基盤をどこに求めるのか、総選挙を経るのかなどで条件が異なり、私見を述べれば、菅直人(クズ)が首相を辞任し議員辞職(個人的感情)した上で、議会で多数を占める民主党の党首を臨時総理とし、期間を区切った形での自民党との大連立がベストだったのではと見ています。つまり、誰がではなく、何をするかのために政治があると見れば、個人に依存するのは愚かしく、軽々に誰かに回答などできません。

つまり、少数派の政治好きの、そのなかでも浅い見識が「ネット世論」を作りだすということです。

ネット論壇の重鎮、池田信夫氏は2009年12月23日のアスキーの記事で

“ウェブの「床屋政談」が民主主義を変える”

と指摘します。政権交代直後(といっても、習近平の天皇陛下拝謁事件の後で、まだそれでも幻想をもっていたのかというところに彼の見識を疑うのですが、これは余談。思想信条の違いかも知れませんし)の余韻さめやらぬ興奮からかは分かりませんが、こう述べています。

“芸能人のゴシップが主婦の娯楽だとすれば、床屋政談は男の娯楽である。ワイドショーは世の中に何の影響も及ぼさないが、政治経済を論じるサイトは政治を変える可能性がある。”

これについては本書のあとがきで指摘しているので、さわりに留めますが、床屋政談=男の娯楽とは、これまた本書で書いているのでザックリとしますが、ウェブ系有識者の発言に顕著な

「私見を持って公論とする」

というもの。ざっくりといえば、自分の思いこみを世論と騙り、些細な体験を世界標準の如く表現し、希望や願望を既成事実かのように世に問う姿勢です。

ご一新(いわゆる明治維新)のころから、志士を支える商人がいたように、政治を支える富豪や実業家の存在が政治を動かしていたことは事実です。そして政治のために私財を投げ出した素封家もいます。

これをもって「男の娯楽」とするなら粋というものですが、床屋政談とは無責任な立場で楽しむ放言です。ならば矢口真里の今後を心配する振りして嘲笑うワイドショーと同じです。

あるいは池田信夫氏は、小泉純一郎氏が普及させた

「ワイドショー型政治」

の「男の子バージョン」として「床屋政談」と当てこすっているのでしょうか。ならば、変わった先に待つ民主主義とは劣化を意味します。

池田氏もまた少数派の政治好きなのでしょう。そして大衆と乖離します。

ネット選挙のマニュアルを書いた理由のひとつです。

こうしたネット世論に政治が引きずられています。

自民党の平井卓也衆院議員は、ネット選挙解禁法(改正公職選挙法)の成立に関わり、

「ネット選挙について、俺に分からないことは誰もわからない」

と広言するほどの第一人者ですが、先週放送された各党のネット選挙の取り組みを報じるネット番組で、ネット選挙で最重要となるツールを

「フェイスブック」

と挙げていましたが、ヤフーが

“何を使って(通じて)候補者が発信する主張や意見を知りたい?”

と問いかけたところ、約半数の49.2%がホームページやブログと回答していました。これは実感として正しい数字でしょう。大衆はそれほどツイッターやフェイスブックを積極的に利用していないのです。

アカウント持っていても、ときおり眺める程度で、それもローラや有吉弘行の面白いつぶやきを待っているだけで、フェイスブックは友だちの近況に「いいね!」としないと、冷たい人と言われそうという恐怖感からです。LINEを積極的に利用しているとしても、それはメールがLINEに置き換わっただけで、LINEを通じて政治情報を収集しようというのは変わり者です。

平井卓也氏は、ネットに詳しいという触れ込みです。だからはまる陥穽があります。しつこく「本書にも書いたように」とは自己宣伝が過ぎ飽きてきたのですが、ネット議員、ツイッター議員の活動が票に結びつかない理由でもあります。

なぜなら、ネット議員のそばにはネット好きだらけ。だから。

つまり、ネットで床屋政談、政治参加するのが好きな連中が、政治屋のまわりをウロウロしているのです。昼食のラーメン写真にいいね!とクリックし、『進撃の巨人』を大人買いしたと投稿すれば、リツイートする連中は、世間では変わり者に属する「政治好き」ばかりです。

接触時間の長さは好意に変化します。そして開かれているようで、顔なじみしか存在しない閉じられたソーシャルメディアを世界の全てと錯覚します。大衆と乖離したネット世論を下敷きにネット選挙が解禁されました。

その問題と課題。ネット選挙の本質とはなにか? マニュアルと題しているのは、取り扱い注意を促すグレーゾーンも盛り込んでいるからです・・・と、すいません。フジテレビ並みの自己宣伝号でした。

さらに最後にすいません。メルマガで最初に告知しようと、ぎりぎりまで校正を重ね、いまキンドルでの出版手続きを完了したら、24時間から48時間後ですって。購入できるのは。

また、こりもせず宣伝号を臨時発刊するかも知れません。

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