学校に行くな、塾に行け

 ハッピーと感じたことのないハッピーマンデーも終わり、人に
よっては成人の日とも呼ぶようですが、とにかく、お屠蘇気分に
冷水をかけて酔いを覚ましたように、連休明けの昨日あたりから
街の秩序が取り戻されている気がします。

それはわが家においても感じます。同居する甥が学校に通い始め、
朝から学校に出掛けることにより、我々も「仕事モード」に切り
替えることができるからです。しかし、学校の送り出してからの
ほうが不安になるのが本日のテーマです。

中学3年生ですから仕事の慣用句的な意味での、手が止まるほど
手間がかかるわけではありませんが、受験生のくせして居眠りの
常習者で、それはイコール進学をあきらめるレベルの学力しか
装備していない彼にとっては、目を閉じることは未来の光を失う
に等しく、「本人の問題」と突き放すほど我々は達観もできず、
彼が自宅にいる時の私と専務の最大の仕事は

「寝かさないこと」

です。30分、1時間と予告なくチェックし、「ものおと」が
しなくなれば「威嚇」して睡魔を追い払います。他にも大胆というか、
本来は存在していない「勉強の空き時間」を彼は勝手に創り出し、
彼の勉強部屋にあてがった弊社応接室兼会議室兼図書室の書棚に
あった「尾崎豊全曲集」から、歌詞を書き写したり、半纏の
ポケットにハンドグリップを忍ばせて、英単語も覚えずに握力を
鍛えます。もちろんすべて未来を閉ざす行為です。

自覚のないものの脳みそに学力を詰め込むことは、電極でも埋め
込まない限り難しく(埋め込んでも無理です。念のため)、諸事情
から一切の折檻、体罰を禁じられているので、「本人次第」による
ものしかなく、我々には彼を襲う睡魔と、彼を誘う怠惰を追い払う
ことしかできないのです。ちなみに、費用はかかりますが、テレビ
CMをばんばん流す某塾へいれることも検討したのですが、入塾テ
ストを受けたところ、丁重に辞退されたことを添えておきます。
そしてその後、「セールス」の電話が鳴ったことがないといえば
実力は想像できるでしょうか。

ずっとそばについて勉強させれば? という暖かなご意見も
あるでしょうが、それは馬・・・根本的学力不足の子供や人間に
ついての洞察が足りない机上の空論、あるいは憲法9条があれば
戦争は起こらないと信じるぐらいの理想論であり妄想です。

中学3年生、それも受験間もなくのレベルで進学困難なほど
学力が準備不足の子供は、学力以外の問題があり、甥のケースで
いえば、大人が張り付いていると

「遊んでくれることを期待して勉強が疎かになる」

のです。生育歴、環境によるものです。なまじ、大人の中で
育った子供というのは、子供好きな大人を見抜く鑑定眼を装備し
ており、色々と質問するふりして「脱線」することを期待します。
大人はよかれと予備知識や、周辺情報を説明し、勉強するより
話を聞いている方が楽しいと手を休め、もっともっと、それから
どうしたと食い付く様は、絵本をせがむ幼児と同じで、自動的に
勉強は停止します。

それでは教えずに「監視」だけした場合でも、子供好きな大人
を見抜く鑑定眼があると厄介です。

「遊んでくれない」

と無意識下で逆ギレ状態になるのです。

ただし、彼が生まれた時から「強い大人(オジサン)」を演じ
続けた私へは、トラウマかと思うほどの恐怖心とリスペクトがない
交ぜで、私が監視している間は寝ることはありませんが、専務(妻)の
場合はなめてかかって寝てしまいます。

そこで先ほど述べた30分から1時間のあいだの「不定期便」に
落ち着いたのですが、・・・仕事にならないのです。細切れの時間
でこなせる仕事は問題ないのですが、充分な時間を要するものは難
しく、また彼を襲う睡魔は不定期で、そこに神経を貼りながら、
仕事への集中力を維持するのは困難だったのです。

塾に入れて貰える程度の学力と、それを応援できる「財力」が
あれば、17日間ものバカンスを「修行期間」にあてることもで
きるのですが、それも叶いません。

幸いにして、夫婦ふたりで爪に火を灯しながら、その燃える
タンパク質のイヤな匂いで遊びながら暮らしてきた我々には、
塾に通わせる程度の貯金はあったのですが、塾から断られてしまい、
専属の家庭教師をつけるなど、もっとお金のかかる方法ならあった
のですが、隙あらば居眠りし、尾崎豊を写経し、握力を鍛える
人間に投資するのは、1万円札の白線流しです。お客様から頂戴
した貴重なお金をドブ・・・自覚のない子供に投じることはでき
ません。

そこで甥と一緒に大型書店に出向き、2時間ほどかけて、彼が
「これなら」と思う(もちろん、我々大人が誘導したことは否定
しません。教育に強制は不可欠と考えますので)参考書を

「大人買い」

して、取り組ませます。塾代に比べれば安いものですが、日頃
少年ジャンプと「あびるの空」の単行本しか買ったことのない甥は
その金額に目を輝かせます。

買い与えただけで、勉強をしてくれるほど甘くもなく、あの手
この手の工夫をした17日間だったわけです。

そしていよいよ学校。

「もう、はやく学校に行って欲しい」

とは子供いる家庭の奥さんがよくこぼす愚痴です。

しかし、私は先週末からこう思うようになりました。

「学校に行く必要はない」

某宗教団体や、怪しいチャンプを生み出すボクシング一家の
それとは違います。甥にとってのいま、最大のミッションは
高校入試で合格・・・する以前に、善戦できる程度の学力を
身につけることです。それは昭和の表現で言うところの
偏差値や内申点を論じるレベルではありません。

いや、逆に5点、十点に鎬を削る受験生にとっては、
学校になど通いたくないと考えても仕方がないことを痛感します。

原則を大切にする私からすると論理矛盾しているかも知れ
ませんが、それは一個の人間として判断できる大人への
注文であり、子供へのそれではありません。しかし、それで
も「叔父馬鹿」故に論がぶれているという批判は甘んじて
受けましょう。しかし、学校教育がおかしいのです。

まず、冬休みの宿題(課題、目標など様々な表現があり
ますが事実上)にこんなものがあります。

「ウィンタースポーツを体験、または観戦せよ」

冬休みに入る直前、甥が私の仕事部屋にきてこう訊ねます。

「オジサン、ウィンタースポーツって何?」

即座に答えます。

「受験生がやってはならないもの」

私の脳裏には広瀬香美の懐かしのヒットソングと共に
スキー、スノボーが広がり、クリスマス前と言うこともあり
ニューヨークのロックフェラーセンター・リンクでヤンキー
が興じるアイススケート場で伊藤みどりさんが3回転半ジャンプ
します。

いずれも「滑る」競技で、時に「転び」、古来より受験生の
忌み嫌うものだったと教えます。

真面目に考えてもあとは駅伝ぐらいでしょうか。追い込みの
受験生になにをさせるのかと憤慨しましたが、箱根駅伝を
おせちでも食べながら観戦したとお茶を濁せばよいという温情
と解釈することにしました。

書き初めもありましたが、こんなものは「さっさ」と
書けば10分もあれば充分ですから、受験の妨げにはなり
ませんし、日本人の文化風俗としても大切です。

不可解で、私が「学校に行くな」と考えた宿題が

「総合」

の時間で使う資料集めです。

「最近気になったもの」

というテーマに沿って、各種媒体、インターネットを通じて
資料を集めろというのです。そして、それを受験勉強が忙しい
この追い込みの時期に「発表」までやるというのですから
呆れてしまいました。

最近気になったもの・・・自発的な興味を喚起して、自主
的な学習意欲の喚起・・・とでもいいたいのでしょうか。
違います。断言します。教師の手抜きです。

正解のない出題は禅問答のように真実の深淵に辿り着く
という美名もありますが、真実の深淵を知らぬものが評価な
どできぬのもまた真実です。問題は中学生の「気になったもの」
に真実の深淵があるかも知れませんが、それを高校受験を
間近に控えた生徒にやらせる価値があるのかということです。

「受験が全てじゃない」

とは大嘘です。その理由は簡単。中学3年生で行われる
三者面談とは「どの学校を受験するか」という受験相談だから
です。

さらに私的体験を重ねると、進学可能率測定不能の甥の
学力を冷静に判断して「就職」の可能性を三者面談で訊ねた
ところ、昨今の景気を踏まえた上で「不可能に近い」とこち
らも拒否され、最初の願書の段階で「夜間高校(定時制)」
まで提示されています。

つまり、中学校も「進学」を前提に動いていながら、
実際のカリキュラムはそれに即していないのです。

私は何も「予備校にしろ」といっているのではありません。

総合の授業も必要でしょう。しかし、それが何故? いま
なのかということです。とりあえず受験が終わる2月末から
2次募集(いまは後期とも呼ぶ)の3月初旬まではたっぷり
と時間もありますし、あるいは一学期に進路を考えるための
「自由研究」として「総合」を活用する方法だってあるでし
ょうに、よりにもよってこの追い込みの時期に。

さらにおかしな日々が続きます。

いまは都立高校にも推薦受験があり、この願書の提出日は
1時間目の学活だけで、下校、さらに翌日の私立高校願書提
出日も1時間目の学活だけで下校します。なぜでしょう?

願書を出願しにいく生徒が授業を受けられずに

「不平等」

だからでしょうか。
どうしてこういう考えになるかと言えば、その先にある
都立高校の推薦受験の当日は3時間授業で下校するからです。

都立校の推薦は諸条件により異なりますが、学力を検査す
る筆記試験はなく、事前に学校側より提出された調査書と
小論文などと面接で終了するので、たいていは午前中で
終了し、それは3時間目の終了時間とほぼ重なります。

昭和時代、願書を出しに行く生徒を羨んだものです。

「いいなぁ、授業さぼれて」

そこかい! という突っ込みがきこえてきそうですが、
願書出願という現実のプレッシャーに青白い顔のクラス
メイトの表情から、軽口を叩いたことを恥じました。
つまり願書(我々の頃は私立だけ別の日)を出しに行くのは
個人の問題で欠席にはなりませんが、他の生徒の授業を
妨げるものではなかったのです。

ところが「推薦」「私立」と、それぞれの「都合」にすぎ
ない事情に公(集団)があわせるという本末転倒が起こって
いるのです。

話を総合します。

長い冬休み、自由という名の無責任な資料集め、
悪平等による授業の短縮。

ここから導き出される結論はこうです。

「学校に行くな、塾に行け」

・・・ただし、これは「学校差」がかなり激しいので、お子さん
の通学されている学校の方針によりますが。そしてなにより

「塾がいれてくれれば」

です・・・はぁ。

入塾拒否された我が甥は拾ってくれるところはありませんが、
この3ヶ月見ていて、学力が伸びたのは学校の授業ではなく、

「自宅軟禁状態での参考書地獄」

です。
週末や連休に学力が伸び、学校に通いだすと学力が低下します。

今回の原稿は迷いました。なぜなら、本稿の公開により、子供の
将来を左右する教師のご機嫌を損ねた先に何が待っているか・・・
言葉を選ばずに言えば「人質」にとられているのですから。

ただ、馬・・・まぁ、それを気にする次元ではないので、もし
受験生をお持ちの読者がいれば、お子さんが通学される学校の
「事実」をチェックされることをオススメします。

公立学校の「モラル」や「レベル」って想像以上に崩壊しています。

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