腰パンが正装であり戦闘服

 スノーボードハーフパイプの服装騒動について。
本稿は個人攻撃を旨とせず、好みでもないので「選手」と記します。

本件を「品格」で切ると混乱します。
朝青龍のそれとは本質で異なるのは、一般的(と、するのはものを
知らない人間の中にはその無知を恥じもせず俺は知らないというから)
な日本人にある品行方正で謙虚、そして侠気がありおおらかといった
漠然としながらも「横綱感」があり、そこからの「品格」がすでに
存在しているのに対して「スノーボード」にそれがあったのか、
あるいは競技の性質上求められるのかどうかです。

日本代表としての「品格」というのはあるかも知れません。
しかし、これも混乱するのは「いまどきの若者」というカテゴリー
を持ち出せば、成績中位以下の都立高校生は選手と似たり寄ったりの
格好をしており、そこでの整合性をどうとるのかが議論となります。

一般人はともかく、国家代表ならば・・・この強引な論理展開に
私は頷くものです。しかし、日教組教育が結実した現在、国家の
名の下に統合することへのアレルギー反応と同時に「個性」などと
いう幻想を盾に反論が展開されるでしょう。ここで個性について
述べませんが、個性とは集団との対比によって存在するもので、
孤独の元には不用な概念です。

さて本題。騒動を大きくしたのは「危機管理」の欠如です。

あの格好でメディアが待つ空港ロビーで非難されないと判断した
選手本人に監督、コーチなどの関係者諸々がだいいちの過ち。

つぎに「記者会見」に反省していない、いや、悪いと思っていない
選手を同席させたこと。

あそこは

「選手は批判を真摯に受け止めています。
しかし、なにぶん競技前なので競技に集中させることを優先させました。
国民の期待を背負ってバンクーバーまで来ています。ご理解ください」

と、しておけば「時間待ち」と「結果待ち」、さらに謝る、謝らない
という「カード」が残ったのです。反射的に謝罪するのは日本人的で
微笑ましいのですが、日本人的な弱点でもあります。

そしてカードの最後に挙げた「謝らない」。
選手を報じている記事には「こだわり」や「ポリシー」の類語が
並びます。ならば、私ならこうです。

「自分にとって腰パンが正装であり戦闘服です。
不快に思った人にはお詫びしますが、自分を曲げることはできません」

と、やれば議論百出は予想されますが、必ず見方が多く現れた
ことでしょう。少なくとも私は「そこまでの覚悟あるならどうぞ」と
手を叩いて応援したことでしょう。もちろん、結果が伴わなければ
叩かれることは自己責任として。

最後に、競技後、「こけた」「着地に失敗しなければ」や、

「大技に挑んで失敗しての入賞は凄い」

と、そこから失敗しなければメダルだったいう論調にもひとこと。

フィギアスケートもジャンプで着氷に失敗すれば減点される
ことは当然。家に帰るまでが遠足であるように、無事着地するまで
がジャンプ(トリック)。

高橋大輔君もジャンプが全部成功していたら金メダル。とは
私はいわない。同じ条件で、金をとり銀をとったふたりの選手に
ひいてはそれ以下の成績となった高橋選手に失礼な話しだからです。
 

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