ネイティブ0.2。留学は能力を裏付けない(マイコミジャーナル)

 英語教育に一石を投じるほど大袈裟なものではありませんが、
その昔、英語が苦手なことにコンプレックスがあったのですが
この経験から国内英語を軽んじるようになりました。

はい、例によって実体験です。

もちろん、海外にでてネイティブな発音ができるにこしたこと
はありませんが、日本国内で原語主義というかできるだけオリジナルに
近づけようとするのは正しくて間違いです。だから、ネイティブな
発音ができる人が「ジャングリッシュ(日本語風英語)」を
使っているのを見ると「やるな」と一目置きます。

それは言葉の本質を知っているからです。
本質とは何か。

「コミュニケーション」

です。つまりは「伝える」こと。だから国内でネイティブの
発音や表現拘ること自体がナンセンスだという断じます。

これに対して

「いや、海外に出て恥をかく」

といいますが、日本人の多くが海外に出ても観光地で
恥をさらす程度のことで、これなど非常に日本人らしい恥の文化
ではありますが、今から20年以上前の浜松町駅を下車して
東京タワーへ向かう白人の多くが英語で話しかけていたことを
思うに、

「観光客は万国共通」

なのではないでしょうか。
教育機関でネイティブな発音を要求するのと、日本人だけの
会話の中にネイティブに近い表音を強制するのは次元が違うと
私は考えます。

そして先ほども少し述べましたが、その「日本語なまり」を
恥じることこそ「日本人風」で国際社会ではそんな些末なこと
よりも

「コミュニケーション」

のほうを優先すること、またその伝える内容で人物が評価
されることを理解することこそ

「真の国際化」

なのではないかと。

■ネイティブ0.2。留学は能力を裏付けない(マイコミジャーナル)
http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/016/index.html

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